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大分県護国神社の梅

2015-03-14 15:52:19 | 九州の梅を訪ねて

 

 杵築の町を出て別府市内へと向かいます。

 

 国道10号線をはしると、椰子の並木が現れました。

 

 正面に見えるのは高崎山でしょうか。

 

 

 目的地は別府公園です。

 

 別府公園は、2009年秋にヒガンバナの旅で九州を巡った時に、周囲をひと巡りしたので、おおよその位置と規模は分かります。

 

 案内板を見つけて梅園の位置を確認し、迷うことなく梅園に足を運ぶことができました。

 

 別府公園には豊後梅を含め、紅梅と白梅が200本ほど植栽されていました。
 

 

 

 今まで巡ってきた梅園同様、別府公園の梅も花の時期には早すぎましたが、松の木立に囲まれた梅の枝に、ちらほら咲く白梅が、この公園独特の風情を漂わせていました。

 

 

 別府市街を抜けて、大分市内へ向かいました。

 

 できることなら今日中に、大分県の残り二つの梅園を訪問し、宮崎県に入りたいところです。

 

 宮崎県でリストした梅の名所は、大分に最も近い場所が延岡ですから、夜の間に大分から延岡までの長距離をはしれば効率が上がります。

 

 余った時間は、見知らぬ街の路地を探訪するなどに使えます。

 

 そのような予定外の旅程にこそ、旅本来の楽しみが潜むと思うのです。

 

 安全と安心が保証された、予測可能なレール軌道だけでは飽き足らないので、旅に出るのです。

 

 

 大分市内が見えてきました。

 

 実は、私が大分市内に足を踏み入れるのは、今回が初めてです。

 

 どんな街かは全く知りませんが、海岸に大きな煙突が建ち並ぶ姿に、これは以外だったな~と思いました。

 

 私は漠然と大分市を、農村に囲まれた商業都市を想像していましたが、実際は、沿岸部に新日鉄などの工場を抱える工業都市で、人口は九州で5番目の規模だそうです。

 

 下の写真は大分県護国神社の展望台から見た景色です。

 

 頭の中に地図を描くと、大分市は瀬戸内海の入口に位置しますので、海運を介する重工業の立地条件に恵まれているのかもしれません。

 

 

 今日は一日、九州の瀬戸内沿いを旅してきました。

 

 多分中学校の授業で、日本史上に於ける、瀬戸内海が果たした役割を、受験用に、知識の断片として理解していた筈ですが、今回初めて、その役割の大きさを実感することができました。

 

 地中海沿岸に優れた文明が栄えたように、内海の波静かな瀬戸内海は、日本という国の発展に大きな影響を及ぼしていたことを、還暦を過ぎたこの歳になって、やっと気付くことができました。

 

 

 大分市では、大分県護国神社に梅園があるとの情報を元に、最初に護国神社を訪ねました。
 

 

 

 大分市観光協会のホームページには、境内に200本の梅が花を咲かせると記されます。

 

 護国神社を訪ねると、神楽用の舞台に「梅まつり」の横断幕が掲げられていました。

 

 ある程度の規模を期待して、境内に梅を探しましたが、広い境内に梅が分散しているのか、展望台附近に小規模な豊後梅が目に止まる程度でした。

 

 

 私は今まで、全国各地に数多くの梅園をみてきましたので、分散された200本程の梅を見ても、印象強くは見えないのです。

 

 しかし、この神社には1877年の西南の役で戦死した陸軍軍人214柱が眠る墓地がありました。

 


 
 大分県出身予科練戦没者慰霊の「鎮魂の碑」が設けられていました。

 

 碑文には、昭和12年9月、全国の中等学校から厳選された250名が、第一期生として、横須賀海軍航空隊に入隊した。

 ・・・ と記載されます。

 

 

 我が子の15~6頃の笑顔が突然脳裏に浮かびました。

 

 

 

 そんな子供達が戦争に巻き込まれていったのです。

 

 碑文の中の中等学校の字句が喉の奥を塞ぎ、あまりのことに言葉もありません。

 

 

 そして、「母の像」の建立の記には、「戦場に夫を送った、強くきびしく やさしかった母 おかげで 私がある お母さんありがとう この悲しみを再びくりかえすことのないように ・・・」という記述を認めました。

 

 

 

 全国で、中国で、朝鮮で、そしてアジアで、同じような思いをした人々が数多くいたのだと思います。

 

 そして今も、イラクやシリアで同じような思いをしている人々がいると思うと、胸が詰まるような気持ちになります。

 

 江戸時代末期、私財を投じて海の難所に灯台を建てた岩松助左衛門、知多半島に愛知用水を導いた篤農家の久野庄太郎など、知と情熱をもって、世に尽くした偉人を数多く輩出したこの国が、これからも知識を深め、広い視野で世界の人々の為に尽くすのであれば、二度と再び「母の像」を建てる必要のない世界がくるだろうと、願いにも似た思いを持って、護国神社を後にしました。

 

 

 大分県でもう一つ、予定リストの中に吉野梅園が残りましたが、今日は護国神社でとうとう時間切れとなってしまいました。

 

 

 夕陽に染まった雲の上、羨ましい程の意志の強さを示し、飛行機雲が聡明な直線を描いています。

 

 明日はどんな日になるのでしょうか。

 

 

 

 

 

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