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高鍋の舞鶴公園の梅

2015-03-22 22:47:12 | 九州の梅を訪ねて

 

 2月8日

 

 昨日は、国道219号線をはしり、西都市の西都温泉で汗を流し、高鍋町の片隅で一晩を過ごしました。

 

 夜明けと共に目を覚まし、コッペパンをかじりながら、7時半頃に高鍋町の舞鶴公園に到着しました。
 

 

 公園に着くとすぐに、南国らしからぬ、涼やかな朝の空気の中で、梅の花探しを始めました。

 

 舞鶴公園は高鍋城跡を公園として整備したものです。


 高鍋城舞鶴城とも呼ばれることが、公園名の由来となっています。

 

 

 高鍋城は平安時代末期に宇佐八幡の神官の出で、日向で豪族となった土持氏によって築かれたと言われます。

 

 1587年に豊臣秀吉が九州を平定するとき、薩摩の島津氏側に付いた、筑前秋月城主の秋月種実が、降伏後に高鍋に移封され、その後幕末まで高鍋城は秋月氏の居城となりました。

 

 鶴舞公園の石段を上がると、すぐ上の萬歳亭の裏手に、20~30本の梅の古木が花を咲かせていました。

 

 

 樹齢を重ねた古木に花が咲く姿は、賢人が沈思黙考するような趣を感じさせます。

 

 鶴舞公園には100本の梅があるとされます。

 

 後から分かったことですが、残りの60~70本の梅は高鍋城跡の上の広場にあるのだそうです。

 

 本丸へ登る坂を挟んだ反対側に、舞鶴神社がありました。

 

 華やかな紅梅が、舞鶴神社の鳥居横で枝を広げていました。

 

 

 舞鶴神社の拝殿の両脇に、白い柵に囲まれた白梅と紅梅が見えます。

 

 

 白梅には「一重青白大輪 東京茶青」、紅梅には「八重桃色大輪 肥後紅」と梅の品種名が表示され、大宰府天満宮から寄贈されたと表示されていました。

  

 

 

 境内には昭和26年に指定された、国の天然記念物「高鍋大楠」がありました。

  

 指定されたとき、枝張り東西28m、南北29mに及び、地面よりの高さは約35mだったそうです。
 

 

 

 平成4年の高鍋町教育委員会の説明板には

 

 「県内でも珍しい古木で、旧八幡神社の神木であった。

  明治以降、宮崎県山林会指定の老樹名木となっていたもので樹齢は500年を越えるといわれている。

 

 高さ16メートル、根周り13メートル、目通り幹周10メートル余である。

 地上約2メートルの高さから南北の2支幹に分かれている。

 枝張りは東西20メートル、南北に28メートルある。

 

 昭和20年終戦直後の台風により幹や枝を損傷し年々老衰が目立つようになったものの、依然として古木の風格を保っている。」

 

 と記載されていました。

 

 みやざきの巨樹百選にも選ばれているそうです。


 

 ブログを書くに当って、高鍋城や秋月氏に関する歴史を調べてみました。

 

 すると、元アメリカ大統領のJ.F.ケネディに「最も尊敬する日本人政治家」と言わしめた、江戸時代の名君、米沢藩主の上杉鷹山は、秋月氏6代種美の次男で、母方祖母の実家である米沢藩上杉氏に養子入りし、米沢藩主となっていたことを知りました。

 

 また、鷹山の兄である秋月種茂も、明倫堂という藩校を設立し、高鍋藩の歴代藩主の名君として名が知られているそうです。

 

 大分の杵築で、豊後の国は学問好きが多いようだと感心しましたが、日向の高鍋藩も教育熱心では、引けを取らぬ歴史があるようです。

 

  

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