百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

1990年 妻への便り

2012年09月19日 17時35分04秒 | 日中友好

   9月19日 (水)一時 平成17年1月1日より 2,828日目
     歩いた歩数      その距離
本日      14, 531歩        10,172m
総計 39,654、434歩  27,758,104 m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.ロンドンを経てグラスゴーに向かう、後 89,403m

 昨日の訪中の想い出は、驚くほどの過分な待遇で、日中友好の楽しかった夢の様な思い出して記したのだが、記憶はホントに正しかったか、妻に送った「中国だより」で確かめて見た。承徳からの第4便は「寛城県」から「興隆県」に向かう間の「隆化県」滞在の4日間が記されていた。昨日の記事は1990年8月23日に書かれていた。

 八月二十三日 晴 気温15℃~25℃(隆化)とある。
  今年の日本の気象からはトテモ考えられないが、中国から「承徳地区は日本の軽井沢のような涼しい所で清の皇帝が「避暑山荘」で夏の政務を摂った地にご案内致します」と特別に気遣って呉れた地区だ。私は「最高最低寒暖計」を持参して記録した。
 

(便りの抜粋)

 りんご園、さんざし園、ぶどう園の視察。所見を述べた後、英雄董存瑞同志の墓に詣でる。遥々日本から来た私に、資料館の係員から署名簿が出されたので、英雄を讃える句を付けて署名した。‥‥・(中略)・・・夕食後、肖さんと散歩に出て床屋を見つけたので散髪を頼む。「一元}と言った。私が日本人と判ると大勢の野次馬が集まってきた。椅子に掛け、風呂敷を被せられた私は「首だけだけはチョン切らないように・・・」と覚悟を決めて顔剃りを任せた。若い主人は大変丁寧に仕上げてくれた。そして「お金は要りません。店の名誉です!」と言った。恐縮して社会探訪を更に続けることにした。

 「天宮酒家」という看板を見て一杯やることになった。二人で飲んでいると、隅の青年たちから声が掛かった。「日本人か?」肖さんは私を紹介した。「日中友好!一緒にやろう!」ということになった。ご機嫌になって大いに飲んで、「お勘定を」と言うと、主人は「日中友好のため‥‥・サービス」と言うではないか。その言葉に参って、歌ったこともない歌を披露したり、民謡を唸って、友好ムードを盛り上げて帰ってきた。 

 八月二十四日 晴 気温19℃~25℃(隆化)‥・中略・・・お別れパーテーは県長以下、「ご教示のほどは忘れずに!来年も是非ご来駕を!」と言う。終って昨夜の床屋と酒家礼に行くと言うと、県長と委員会の主任が同行する。40万人の頂点に立つ二人をお供に従えての礼参りに、床屋の主人も酒家の人たち客までも恐れ入る。帰ってくると、承徳一の青年書家 呉さん。小生のために腕をふるって大奮闘。夜十一時、折から床屋の主人、感激して今度は手土産持参で礼に来る。・・・(下略)