百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

区長の先輩 荒井六郎氏の葬儀

2012年11月14日 17時49分24秒 | 随想

 11月14日 (水) のち  

         歩 い て 世 界 一 周  11月14日

             日  数    総歩数(歩)   平均歩数(歩)   総距離(m)

今 日

 

15,740

 

11,018

今 月

      14

    229,930

    16,424

   160,951

今 年

     319

  4,816,223

    15,098

  3,371,363

2005年から

    2884

 40,548,103

    14,060

 28,383,672

70歳の誕生日から

    6416

122,498,239

    19,093

 85,748,767

ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.ロンドン・インバネスを経てシェットランド島に向かう、後 167,005m

 私の先輩区長の荒井六郎氏の葬儀が葬儀がセピアホールで行われた。式の前には着いたが、駐車場は満杯で離れた臨時の車停めに案内された。お焼香の列は長く折り返しになっていた。氏の生前の遺徳の然らしめるところだ。享年96歳。天寿を全うしたというべきか。

 氏は「紋屋」というお仕事で、和服に家紋を書き込む専業で周辺の呉服店や衣装店の注文を一手に引き受けて大忙しだった。その多忙な中で区長に選ばれた。温厚な方で、区政一般のほか、愛神公林や隣村部の方との山林の境界争いなどとも取り組まれたが、緻密な気遣いで難問の処理にも当たられた。私はその後を受け継いだので、ご苦労の程は並大抵ではなかったろうと思う。 

 信州の片田舎にも【保守】【革新】の激突する政情の中で、氏は地方政治には全く中立で権力や名誉職などには一切見向きもしない高潔な方だった。温厚誠実な方だったが、謡曲についての蘊蓄は深く、聴く度、芯の強い紳士だと内心深く崇拝していた。

 世が移り、洋装が主体の世相となって家紋の注文は激減して来て、余暇をみてゲートボールを初められた。健康志向から入られたのだが、メキメキと上達して地区のリーダーとして、また地域の代表として全国に転戦するまでになった。その得たる賞品は家のボードでは飾りきれなく、公民館にも多数陳列されたいるほどだ。

 突然の訃報に驚いたが、惜しみても余りある方で残念だ。残された奥さんは「お父様と一緒に罷りたい」と常々口にして居られたので、力を落とされて居られることと拝察される。一日も早く立ち直られて、お父様のご冥福をお祈りしてお過ごしなされるよう願うばかり・・・