百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

”日本でいちばん長い日”を観る

2015年08月31日 20時53分02秒 | 随想

       百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 8月31日  雨のち曇り

 今日は待望の《日本でいちばん長い日》を観に行く日。朝10時の待ち合わせを決めて待っていたが、Yさんが来たのは12時半。新調の眼鏡を貰って映画館に着いた時は既に始まって居た。

 映像は陸相と海相が言い争って居た。負け戦のなすり合いの様子。「海軍が負けたからだ!陸軍は無傷だ!」などと言って居た。事実、ミッドウェー海戦で大損害を受けて以来制海権も制空権もアメリカに握られてしまった為、最前線への武器弾薬ばかりか兵士の食料補給もままならず、戦死だけでなく餓死する兵も多くなり、〝転進”とは言いながら撤退を続けて、本土防衛もままならず、ポツダム宣言を無条件で飲んで降伏するか、本土決戦で一億玉砕かの決をとるかを決めなければならない重大な局面に苦悩する責任者の立場が読み取れる。

 御前会議で首相は降伏か戦争継続かを閣僚に問うたが一致できず、天皇陛下に決断を願い、陛下《外相の意見を取る》との発言で国民に告げる放送の原案が審議されて、ようやく玉音放送の段取りとなった。

 しかし、血気にはやる若い参謀たちが近衛兵を指揮して、この放送をさせじと宮城内にまで突入、録音盤を取り戻そうとするが、未遂の終わり首謀者は自決。漸く8月15日、正午の玉音放送が無事に行われた。

 私が日本の敗戦を知ったのは、8月13日夜、松本聯隊の営庭で中隊の無線兵から耳打ちされて知ったのだが、15日の玉音放送を聞いた部隊の誰もが難しい勅語の意味が解らず、戸惑って居たので、「万世の為に太平を開かんと欲す」と言われたことは《日本の将来の為に戦をやめて平和を望む》と言われたのだと言った。兵士たちは驚いたが、誰も逆らう者は居なかった。私はこの時、衛生一等兵だった。

      百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 8月31日 

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数      〈歩〉

今 日

   1        

13,792

8,275

      

今  月

         31

666,299

399,807

21,494

今  年

241

 5,377,750

3,645、532

22,314

2005年から

3,855

59,848,995

41,775,678

15,525

70歳の誕生から

7,387

141,799,126

99,192,758

    19,196

ワシントンからアメリカ大陸横断へ、ラスベカスに向って後354,322m