百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 3月7日 曇
毎朝、テレビで《マッサン》をワクワクしながら見て居る。今、一馬が召集令状を受けて出陣のクライマックス。感動の別れの場面だが、自分の応召は涙もなくあっさりしたもんだった。
勿論、赤紙の令状と白紙に《帰休兵、現役復帰を命ず》では受け方に大きな違いがあるが、飯山駅まで見送りに来てくれたのは、小学校の5年生だけだった。
私は教え子を前にして、一昨年(昭和17年)、共立講堂で聞いた仁科博士の《原子爆弾》の話をした。「マッチ箱ほどの原子爆弾で敵の軍艦を撃沈できる。後僅かでその爆弾が完成する。これが出来れば日本は必ず勝つ。武力より学問の勝利だ。君たちは真剣で勉学に励む。其れが大東亜に貢献することになるんだ。」と訓示した。
その原子爆弾がアメリカに先を越されて、広島・長崎に落とされて手を挙げざるを得なかった。原子爆弾の製造競争に負けたので、アメリカが加害者で日本は被害者だという意識は正しくはないと私は思って居る。
百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 3月7日
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩 |
|
今 日 |
1 |
26,114 |
18,280 |
|
今 月 |
7 |
178,864 |
125、205 |
25,552 |
今 年 |
66 |
1,543,203 |
1,080,242 |
23,382 |
2005年から |
3,680 |
56,014,448 |
39,210,114 |
15,221 |
70歳の誕生から |
7,212 |
137,964,579 |
96,575,205 |
19,130 |
ワシントンからアメリカ大陸横断へ、デンバーに向って後 1,749,886m
※ 今朝、インデェアナポリスに到着
包帯日でなく、奉戴日でしたネ。