歩 い て 世 界 一 周 1月26日(土) 雪
日 数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩) |
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今 日 |
17,186 |
12,030 |
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今 月 |
26 |
425,724 |
298,007 |
16,374 |
今 年 |
26 |
425,724 |
298,007 |
16,374 |
2005年から |
2,9537 |
41,744,443 |
29,221,110 |
14,117 |
70歳の誕生日から |
6,489 |
123,694,579 |
86,586,205 |
19,062 |
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 721,753m
田単身づから版鍤を操(と)り、士卒と功を分ち、妻妾は行伍に編す。城中を収めて牛千余を得たり。絳(こうしょう)の衣を為(つく)り、五彩の龍文を画き、兵刃を其の角に束ね、脂(あぶら)を灌(そそ)いで葦を尾に束ね、其の端を焼き、城に数十穴を鑿(うが)ち、夜、牛を縦(はな)ち、壮士其の後に随う。牛尾熱し、怒(いか)って燕軍に奔(はし)る。触るる所盡く死傷す。而して城中鼓譟(こそう)して之に従う。声天地に振う。燕軍敗走す。七十余城、皆復齊と為る。襄王を莒に迎う。單を封じて安平君と為す。
田単は自ら板やすきを取って士卒と仕事を分担し、妻妾までも隊伍に組み入れた。城中の牛を集め千余頭に赤い着物を作り、五色の龍の絵を画いて着せ、角には刃物を結び、尾に油を染み込ませた葦を結わえて、夜に火をつけ、城から放った。兵士が後について打って出た。牛は尻尾が焼けて、怒り狂い触れればたちまち死傷し、兵士も太鼓ろ打ち、鬨の声を挙げて、牛の後から攻め立てた。その声は天地も揺るがすほどで燕軍はたちまち敗走し、七十余城は斉に戻った。田単は襄王を莒に迎え、単を安平君として、土地を与えた。
田単火牛に似た話がある。源平盛衰記に拠れば、木曽義仲軍は加賀国と越中国の国境の倶利加羅峠で平家軍を狭い谷間に誘い込んで、牛の角に火の付いた松明をくくりつけて敵陣に放して平家の軍勢10万をたった5千の兵で打ち破った。この戦いで源平の勢力は逆転、義仲は入洛を果し、平家一門は都落ちすることなった。
事になっているが、田単は角には刃物を結び、尾に油を染み込ませた葦を結わえて、夜に火をつけ、城から放った。兵士が後について打って出た。牛は尻尾が焼けて、怒り狂い触れればたちまち死傷し、兵士も太鼓ろ打ち、鬨の声を挙げて、牛の後から攻め立てたのだが、義仲は牛の角に火をつけたことになっているが、果たして生きてる牛の角にどうやって火をつけたのだろうか。角に火がついた牛は敵陣目がけて突進して行くだろうか?。疑問だ。
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