百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

先ず隗より始めよ

2013年01月27日 17時38分30秒 | 十八史略

 

歩 い て 世 界 一 周  1月27日(日) 雪後晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

 

16,986

11,890

 

今  月

27

442,710

309,897

16,397

今  年

27

442,710

309,897

16,397

2005年から

2,9538

41,761,429

29,233,000

14,118

70歳の誕生日から

6,490

123,711,565

86,598,096

19,062

ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 709,863m 

 燕人立太子平為君。是為昭王。弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。問郭隗曰、「斉因孤之国乱、而襲破燕。孤極知燕小不足以報。誠得賢士与共国、以雪先王之恥孤之願也。先生視可者。得身事之。」隗曰、「古之君、有以千金使涓人求千里馬者。買死馬骨五百金而返。君怒。涓人曰、『死馬且買之、況生者乎。馬今至矣。』不期年、千里馬至者三。今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。」於是、昭王為隗改築宮、師事之。於是、士争趨燕。楽毅自魏往。以為亜卿、任国政。已而使毅伐斉、入臨淄。斉王出走。毅乗勝、六月之間、下斉七十余城。

 燕人太子平を立てて君と為す。是れ昭王たり。死を弔ひ生を問ひ、辞を卑くし幣を厚くして、以て賢者を招く。郭隗に問ひて曰はく、「斉孤の国乱るるに因りて、襲ひて燕を破る。孤極めて燕の小にして以て報ずるに足らざるを知る。誠に賢士を得て与に国を共にし、以て先王の恥を雪がんこと、孤の願ひなり。先生可なる者を視せ。身之に事ふることを得ん。」と。隗曰はく、「古の君に、千金を以て涓人をして千里の馬を求めしむる者有り。死馬の骨を五百金に買ひて返る。君怒る。涓人曰はく、『死馬すら且つ之を買ふ、況んや生ける者をや。馬今に至らん。』と。期年ならずして、千里の馬至る者三あり。今王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや。」是に於いて、昭王隗の為に改めて宮を築き、之に師事せり。是に於いて、士争ひて燕に趨く。楽毅は魏より往く。以て亜卿と為し、国政に任ず。已にして毅をして斉を伐たしめ、臨淄に入る。斉王出でて走る。毅勝ちに乗じ、六月の間に、斉の七十余城を下す。

 【先ず隗より始めよ】という諺は前々から知っていた。その意味は何かを上司に進言した者に対して、上司は「それは良いことだ。先ずお前からやって見よ」というように使う言葉だと、解釈していた。

 十八史略を改めて読んで見て、全く違う場面で使っていることを知って驚いた。【もし王が優れた人材を燕に招致したいと思うならば、まず私、隗から優遇し始めてください。このことを聞けば、、私より賢いものが、どうして千里を遠いとして、燕に来ないでしょうか、いや来るにちがいありません。」と。昭王は郭隗の為に立派な御殿を改築し、彼に師事した。そうしたら、天下の賢士は争って燕にやって来た、という話だ。

 しかし今も「隗より始めよ]という言葉はこうした時に使っているのだろうか?

 

 



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1 コメント

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隗より ()
2013-01-28 18:49:19
言い出したものより 遣りなさい と思っていましたが  裏が あったんですね
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