そろそろ、クライマックスに差し掛かりました。
東高校招待バスケです。
実は、春の県大会予選での本庄西が児玉を破ったことは、もちろん他のチームが知っていましたが、その勝ち方も各チームの監督は知っていました。さすが本庄西だねと言われました。児玉に勝つ方法があったんだと。
それで、この東高校の大会から他のチームが本庄西と同じことをやり始めたのです。打たれだしたら誰もが打てる大リーグボールではないですが、弱点を見つけられたら、みんながそこを突いてくるという形になりました。
しかし、その戦法は他のチームではだめでした。私もそんなに下手ではありません。他のチームでは、私を抑えようとしても、私が楽々振り切って、シュートを決めてしまいます。やはり、その戦法を編み出した本庄西はただあみだしただけでなく、プレーのレベルが高いのです。もしかすると、H君はディフェンスの一番うまい選手だったのかもしれません。
ただ、思ったのは、弱いチームなら、仮に私が出なくても勝てますが、問題は上里でした。上里が本庄西とおなじことをやったら、どうなるかは、ちょっと気になりました。そして、思った通りやってきました。私たちは、実はその対策を持っていました。秘策に対する秘策を用意しているのです。しかし、それを使う訳にはいきません。もし負けそうになったら使うかもしれませんが、そうでない限り使わないと決めていました。
監督とコーチから、それは使うなと言われていました。だから、我々は、何も対策のないまま戦うしかないのだと相手に思わせなくてはなりません。そのため、まず上里がポイントでした。
しかし、上里は私が想像するほどは、強くありませんでした。夏までに伸びてこなかったのです。我々が練習試合で大原に勝ったことは、それなりに力が伸びていた証拠ですが、その分上里とは差がついていたのですね。
どうしてだか、分かりませんが、春の大会以来、上里は常に準決勝で児玉と当たるようになっていました。そして、そのたびに、差が開いていきました。
決勝は、予定通り児玉対本庄西でした。
この大会は、面白いことに、予選は外コートで行ない、決勝だけ体育館でした。
女子は早々と児玉が優勝していました。児玉の女子は、負けることはなく、常にこの児玉郡本庄市の大会では優勝していました。
そして、男子の決勝です。
我々は、大変な秘策を持っていましたが、この大会では見せるなと指示が出されていました。そして、極端に言えば、この試合は負けろとまで言われていました。
負けろがオーバーなら、勝ってもいいが、勝たなくてもいい。というのです。
とにかく、秘密兵器は封印しろという命令でした。だから、日頃練習していた方法は全く見せませんでした。
すると、この試合は本庄西が次の作戦を披露しました。それは、なんとこちらが得意なマンツーマンディフェンスで来たのです。私は驚きました。ということは、ボックスワンではないのです。マンツーマンなら、攻め方が違います。それで、我々は、全員が大きくコートの端まで広がって、コートの中央を空けました。マンツーマンということは、一人に一人づつ付くのです。オフェンスのいるところにぴったり一人づつです。ということは、オフェンスが広がれば、必然的にディフェンスも広がるので、コートの中央が空くことになるのです。
そして私は、その空いたコートの中央でボールをもらいました。そうなれば、他の選手が広がっているため、コートの中で、単なる1対1の勝負ができるのです。
私は、ボールをフリースローサークルの辺りでもらうと、そのままランニングシュートの要領で、シュートに行きました。少しだけフェイントをかけましたが、ほとんどそのままの勢いで、行ったのです。そうしたらやや危ないシュートでしたが、入りました。
そのプレーは、誰も決めた訳ではないのに、上手く行きました。誰かが中央に走りこんでしまえば、私の邪魔になってできないプレーなのですが、よくみんなが示し合わせたように、広がって、私に1対1の形を作ってくれたものだと思います。
こんなのは、誰からも教えてもらっていませんでした。
その後、同じことをやられてはいけないと、本庄西が少し、コートの中央ぎみに引いて守ったので、できなくなり、その後、しばらく、2対0のまま時間が過ぎました。どちらも点が入らないのです。本庄西もマンツーマンディフェンスのために疲れて、オフェンスでもうまくいきません。おかしな試合ですが、本当に点が入らない状態が長く続きました。
そのため、これではいけないと本庄西がゾーンディフェンスに戻しました。
それで、試合が動き始めました。こちらも点を取りましたが、相手も取りだしました。確か前半は児玉が勝っていたように思います。
その後です。私はバスケットを始めて初体験の痙攣をしてしまったのです。左太ももの痙攣です。これは、大変なことになったと思いました。まるで、ふくらはぎの筋が切れたのではないかと思いました。そのくらい筋肉がひきつっているのです。
その後、このひきつった状態は治らなくなりました。それで、その試合は私が最後まで、出られず、結局負けてしまいました。
この負けは、私が痙攣をしなければ、どうなっていたかは分かりません。
勝ってもおかしくない試合でした。でも先生もコーチもこれで良いと思っていたようです。
そして、県大会予選を迎えました。
つづく
東高校招待バスケです。
実は、春の県大会予選での本庄西が児玉を破ったことは、もちろん他のチームが知っていましたが、その勝ち方も各チームの監督は知っていました。さすが本庄西だねと言われました。児玉に勝つ方法があったんだと。
それで、この東高校の大会から他のチームが本庄西と同じことをやり始めたのです。打たれだしたら誰もが打てる大リーグボールではないですが、弱点を見つけられたら、みんながそこを突いてくるという形になりました。
しかし、その戦法は他のチームではだめでした。私もそんなに下手ではありません。他のチームでは、私を抑えようとしても、私が楽々振り切って、シュートを決めてしまいます。やはり、その戦法を編み出した本庄西はただあみだしただけでなく、プレーのレベルが高いのです。もしかすると、H君はディフェンスの一番うまい選手だったのかもしれません。
ただ、思ったのは、弱いチームなら、仮に私が出なくても勝てますが、問題は上里でした。上里が本庄西とおなじことをやったら、どうなるかは、ちょっと気になりました。そして、思った通りやってきました。私たちは、実はその対策を持っていました。秘策に対する秘策を用意しているのです。しかし、それを使う訳にはいきません。もし負けそうになったら使うかもしれませんが、そうでない限り使わないと決めていました。
監督とコーチから、それは使うなと言われていました。だから、我々は、何も対策のないまま戦うしかないのだと相手に思わせなくてはなりません。そのため、まず上里がポイントでした。
しかし、上里は私が想像するほどは、強くありませんでした。夏までに伸びてこなかったのです。我々が練習試合で大原に勝ったことは、それなりに力が伸びていた証拠ですが、その分上里とは差がついていたのですね。
どうしてだか、分かりませんが、春の大会以来、上里は常に準決勝で児玉と当たるようになっていました。そして、そのたびに、差が開いていきました。
決勝は、予定通り児玉対本庄西でした。
この大会は、面白いことに、予選は外コートで行ない、決勝だけ体育館でした。
女子は早々と児玉が優勝していました。児玉の女子は、負けることはなく、常にこの児玉郡本庄市の大会では優勝していました。
そして、男子の決勝です。
我々は、大変な秘策を持っていましたが、この大会では見せるなと指示が出されていました。そして、極端に言えば、この試合は負けろとまで言われていました。
負けろがオーバーなら、勝ってもいいが、勝たなくてもいい。というのです。
とにかく、秘密兵器は封印しろという命令でした。だから、日頃練習していた方法は全く見せませんでした。
すると、この試合は本庄西が次の作戦を披露しました。それは、なんとこちらが得意なマンツーマンディフェンスで来たのです。私は驚きました。ということは、ボックスワンではないのです。マンツーマンなら、攻め方が違います。それで、我々は、全員が大きくコートの端まで広がって、コートの中央を空けました。マンツーマンということは、一人に一人づつ付くのです。オフェンスのいるところにぴったり一人づつです。ということは、オフェンスが広がれば、必然的にディフェンスも広がるので、コートの中央が空くことになるのです。
そして私は、その空いたコートの中央でボールをもらいました。そうなれば、他の選手が広がっているため、コートの中で、単なる1対1の勝負ができるのです。
私は、ボールをフリースローサークルの辺りでもらうと、そのままランニングシュートの要領で、シュートに行きました。少しだけフェイントをかけましたが、ほとんどそのままの勢いで、行ったのです。そうしたらやや危ないシュートでしたが、入りました。
そのプレーは、誰も決めた訳ではないのに、上手く行きました。誰かが中央に走りこんでしまえば、私の邪魔になってできないプレーなのですが、よくみんなが示し合わせたように、広がって、私に1対1の形を作ってくれたものだと思います。
こんなのは、誰からも教えてもらっていませんでした。
その後、同じことをやられてはいけないと、本庄西が少し、コートの中央ぎみに引いて守ったので、できなくなり、その後、しばらく、2対0のまま時間が過ぎました。どちらも点が入らないのです。本庄西もマンツーマンディフェンスのために疲れて、オフェンスでもうまくいきません。おかしな試合ですが、本当に点が入らない状態が長く続きました。
そのため、これではいけないと本庄西がゾーンディフェンスに戻しました。
それで、試合が動き始めました。こちらも点を取りましたが、相手も取りだしました。確か前半は児玉が勝っていたように思います。
その後です。私はバスケットを始めて初体験の痙攣をしてしまったのです。左太ももの痙攣です。これは、大変なことになったと思いました。まるで、ふくらはぎの筋が切れたのではないかと思いました。そのくらい筋肉がひきつっているのです。
その後、このひきつった状態は治らなくなりました。それで、その試合は私が最後まで、出られず、結局負けてしまいました。
この負けは、私が痙攣をしなければ、どうなっていたかは分かりません。
勝ってもおかしくない試合でした。でも先生もコーチもこれで良いと思っていたようです。
そして、県大会予選を迎えました。
つづく