新王国時代のハトシェプストのことを話しました。
次は、アクエンアテンとネフェルティティの話です。
ハトシェプストとトトメス3世の時代から、三代後かな?
アメンへテプ3世という人が出て来ます。
その時代にはアメン神が強くなって、その神官が威張り始めていました。
場合に寄ると、ファラオに口出しする程でした。それが嫌になって、アメンへテプ3世は、自分の住む家を移動したほどです。
ネフェルティティは、16歳でこのアメンへテプ3世の第二夫人として、ミタンニからやってきました。アメンへテプ3世の正妻はティと言って、40歳くらいでした。この人もやはりミタンニから来た人です。
ちょっとおかしいと思いませんか?エジプトは女系のはずです。ならば、妻はファラオの娘のはずですよね。ですからこの時は、例外ですね。
その時代は、ミタンニとの関係で政治的にそうしなければならない状態だったのかもしれません。また、アメンへテプ3世が、綺麗な女性に目がなくて、惚れ込んでしまったからかもしれません。
とにかく、ミタンニから妻を二人迎えたことになります。
ーーーーーーー
ネフェルティティを迎えて3年後にアメンへテプ3世は、46歳くらいで亡くなりました。その後を継いだのが、アメンへテプ4世です。そして、ネフェルティティはその妻になりました。アメンへテプ4世は、ミタンニに留学していたことがあり、子どもの頃のネフェルティティを知っていたのです。密かに恋心を持っていたとも言われます。
このアメンへテプ4世も、アメン神官のことが気に入らなくて、首都をアマルナに移動してしまいます。そして、信じる神様をアメン神からアテン神に変えてしまいました。その裏には、ネフェルティティの入れ知恵があったともいわれます。
テーベの神様であるアメン神を捨てることなど、この地で生まれたものには考えられないことでしたが、ネフェルティティはミタンニから来た人です。そのくらいはどうということはなかったでしょう。とにかく、夫であるファラオより権力を振り回す神官たちが許せなかったのでしょう。
だからアメンへテプ4世は宗教改革を行って、アメン神官の力を弱めようとしたのです。そして、名前をアクエンアテンとしました。これは、アテン神に選ばれたものという意味で、アテン神とは太陽のことです。
普通は、太陽神はラーといいますが、太陽の状態によっていろいろな呼び方があるようです。このアテンとは、太陽が南中をした最も強い光の状態のことです。
ーーーーー
この時代の美術がアマルナ美術と言われますが、それまでのパターン化した彫刻とは違って、とてもリアルに作られています。本当にそうなのだろうかと疑うほど、
アクエンアテンは不格好な体つきをしています。ネフェルティティの彫刻はその逆で実に凛々しく美しく作られています。
ーーーーーー
アマルナに遷都した後、アクエンアテンは病気になり、寝込んでしまいますが、アメン神官たちは、それはアメン神の祟りだと言いました。そして、原因はネフェルティティだから、遠ざけた方が良いと言われました。
ネフェルティティは残念ですが、アクエンアテンから離れます。そして、何をしていたかというと、次のファラオを育てていました。それがツタンカーメンでした。
ツタンカーメンは、その頃は、ツタンカアテンと言いました。アテン神です。
それが、その後、アクエンアテンが死んでしまって、再びアメン神に戻すように神官たちから言われます。そのために、ツタンカアテンはツタンカアメンに名前を変えられました。
だから、今は、ツタンカーメンと言われています。
これが、アクエンアテンとネフェルティティの物語です。
つづく
次は、アクエンアテンとネフェルティティの話です。
ハトシェプストとトトメス3世の時代から、三代後かな?
アメンへテプ3世という人が出て来ます。
その時代にはアメン神が強くなって、その神官が威張り始めていました。
場合に寄ると、ファラオに口出しする程でした。それが嫌になって、アメンへテプ3世は、自分の住む家を移動したほどです。
ネフェルティティは、16歳でこのアメンへテプ3世の第二夫人として、ミタンニからやってきました。アメンへテプ3世の正妻はティと言って、40歳くらいでした。この人もやはりミタンニから来た人です。
ちょっとおかしいと思いませんか?エジプトは女系のはずです。ならば、妻はファラオの娘のはずですよね。ですからこの時は、例外ですね。
その時代は、ミタンニとの関係で政治的にそうしなければならない状態だったのかもしれません。また、アメンへテプ3世が、綺麗な女性に目がなくて、惚れ込んでしまったからかもしれません。
とにかく、ミタンニから妻を二人迎えたことになります。
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ネフェルティティを迎えて3年後にアメンへテプ3世は、46歳くらいで亡くなりました。その後を継いだのが、アメンへテプ4世です。そして、ネフェルティティはその妻になりました。アメンへテプ4世は、ミタンニに留学していたことがあり、子どもの頃のネフェルティティを知っていたのです。密かに恋心を持っていたとも言われます。
このアメンへテプ4世も、アメン神官のことが気に入らなくて、首都をアマルナに移動してしまいます。そして、信じる神様をアメン神からアテン神に変えてしまいました。その裏には、ネフェルティティの入れ知恵があったともいわれます。
テーベの神様であるアメン神を捨てることなど、この地で生まれたものには考えられないことでしたが、ネフェルティティはミタンニから来た人です。そのくらいはどうということはなかったでしょう。とにかく、夫であるファラオより権力を振り回す神官たちが許せなかったのでしょう。
だからアメンへテプ4世は宗教改革を行って、アメン神官の力を弱めようとしたのです。そして、名前をアクエンアテンとしました。これは、アテン神に選ばれたものという意味で、アテン神とは太陽のことです。
普通は、太陽神はラーといいますが、太陽の状態によっていろいろな呼び方があるようです。このアテンとは、太陽が南中をした最も強い光の状態のことです。
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この時代の美術がアマルナ美術と言われますが、それまでのパターン化した彫刻とは違って、とてもリアルに作られています。本当にそうなのだろうかと疑うほど、
アクエンアテンは不格好な体つきをしています。ネフェルティティの彫刻はその逆で実に凛々しく美しく作られています。


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アマルナに遷都した後、アクエンアテンは病気になり、寝込んでしまいますが、アメン神官たちは、それはアメン神の祟りだと言いました。そして、原因はネフェルティティだから、遠ざけた方が良いと言われました。
ネフェルティティは残念ですが、アクエンアテンから離れます。そして、何をしていたかというと、次のファラオを育てていました。それがツタンカーメンでした。
ツタンカーメンは、その頃は、ツタンカアテンと言いました。アテン神です。
それが、その後、アクエンアテンが死んでしまって、再びアメン神に戻すように神官たちから言われます。そのために、ツタンカアテンはツタンカアメンに名前を変えられました。
だから、今は、ツタンカーメンと言われています。
これが、アクエンアテンとネフェルティティの物語です。
つづく