決勝に行く前に、少し監督の考えと私たちの思惑について、話したいと思います。
それは、後で考えると、監督の方針に対する我々の抵抗でした。
監督の考えは、とにかく強くするために、スタートメンバーの力をアップさせようというものでした。それは、分かります。しかし、あまりにそれを考え過ぎて、交代メンバーを育てることがおろそかになりました。バスケットは、6人目7人目を使えるように育てることが必要なのです。これまでのどこかで話しましたが、バスケットは、スタートメンバーの5人で戦うスポーツではないのです。それを初めのメンバーを変えるのは、5ファールで退場した時だけというような使い方でした。
これは、監督やコーチの考え方だったのでしょう。
私は、その辺に不満を持っていました。もっと、控えの選手を使ってほしいと、訴えました。レギュラーと補欠ではなく、交代しても、同じように使える状態を作ってほしかったのです。
それで、練習中にU君ではなくK君にも同じことを練習させてほしいと言いました。
また、トップのH君ももう一人のH君と交替させてほしいと言いました。
先生は、それは、ベストメンバーに選ぶチャンスを与えてほしいと私たちが言っているように受け取ったかもしれません。私たちはそういう気持ではなかったのです。しかし、他のメンバーを使えという要求は、ベストメンバーを変えろという要求に聞こえたかもしれないのです。
そして、U君はK君に替わりました。しかし、H君は、元のままに戻りました。途中で先生が、何でもう一人のH君を使えとみんなは言うのかと逆に聞き返して来ました。友だち関係で、レギュラーのH君がだめな理由でもあるのかという感じでした。
私たちは、そんなことはありません。ただ、それを上手に言うことができませんでした。要するに、メンバーチェンジしても力が変わらないようなチーム作りをしてほしかったのです。
しかし、それをH君も勘違いしました。自分がレギュラーから外されると勘違いしたらしいのです。それでだと思いますが、部活を辞める騒ぎを起こしました。
その前に、一人6番手と思われるT君が辞めたばかりでした。そのT君は、レギュラー云々の話ではありません。進学を考えて勉強したいからというのが理由でした。
我々は、そのT君を辞めさせたくなくて、とことん話しました。しかし、ダメでした。3年になってどうして?もう少しじゃないか。最後まで一緒にやろうよ。などなど、いろいろ特別な時間を作って話しました。しかし、結論はダメでした。とても残念でした。だから、今回のH君もダメかなと思っていました。
私は、H君から階段の踊り場に呼び出されて、それを言われました。階段の窓のところで、外を見ながら、辞めたいんだと言われました。私は、それを聞いて、「そうか」と残念そうに言いました。T君のときに散々言ってもダメだったので、もういろいろ言うのは止そうと思い、そのまま「わかった」と言って、話をしませんでした。
何も言わないということは、彼にとっては意外だったようです。私は、一つの作戦のつもりでした。何も言わないということは、どういうことか。H君に考えてもらいたかったのです。何も言わないのは、言うこともないというのではなく、言うことは分かっているはずだと言いたかったのです。しかし、どうしてもダメならあきらめるよということだったのです。後日彼は、こう言いました。「菅野は、あの時何にもいわなかったもんな」と。それが気になったと言っていました。
何も言わない方が、彼には効果があったのです。気にするタイプなのです。なんとなくその性格を分かっていたので、私は敢えてなにも言わない作戦に出たのです。
しかし、とても不安でした。辞めてほしくないのに、分かったと言ったのですから。
ただ、私は、自分のその態度が彼を引きとめることになったのかは、わかりません。裏で先生がどのくらい彼を説得してくれていたか、分かってないのです。
ただ、彼が、私の取った態度が気になったと言ったことは事実でした。
結局、事を大げさにしないで済んだので、それも良かったのかなと思います。
それで、H君は最後までやることができました。
よく、大人の世界では、監督と選手の考え方の違いで、チームがうまくいかなくなるという話を聞きました。こんな中学の3年間の中でも、あるのですね。ただ、私たちは、そのいざこざをするところまで行かない内に引退になったということでした。先生には、先生の思惑があって、チームを強くするために考えていることがあるので、あまりにそのことを言いだせば、生意気言うなと叱られたかもしれませんね。
それは、後で考えると、監督の方針に対する我々の抵抗でした。
監督の考えは、とにかく強くするために、スタートメンバーの力をアップさせようというものでした。それは、分かります。しかし、あまりにそれを考え過ぎて、交代メンバーを育てることがおろそかになりました。バスケットは、6人目7人目を使えるように育てることが必要なのです。これまでのどこかで話しましたが、バスケットは、スタートメンバーの5人で戦うスポーツではないのです。それを初めのメンバーを変えるのは、5ファールで退場した時だけというような使い方でした。
これは、監督やコーチの考え方だったのでしょう。
私は、その辺に不満を持っていました。もっと、控えの選手を使ってほしいと、訴えました。レギュラーと補欠ではなく、交代しても、同じように使える状態を作ってほしかったのです。
それで、練習中にU君ではなくK君にも同じことを練習させてほしいと言いました。
また、トップのH君ももう一人のH君と交替させてほしいと言いました。
先生は、それは、ベストメンバーに選ぶチャンスを与えてほしいと私たちが言っているように受け取ったかもしれません。私たちはそういう気持ではなかったのです。しかし、他のメンバーを使えという要求は、ベストメンバーを変えろという要求に聞こえたかもしれないのです。
そして、U君はK君に替わりました。しかし、H君は、元のままに戻りました。途中で先生が、何でもう一人のH君を使えとみんなは言うのかと逆に聞き返して来ました。友だち関係で、レギュラーのH君がだめな理由でもあるのかという感じでした。
私たちは、そんなことはありません。ただ、それを上手に言うことができませんでした。要するに、メンバーチェンジしても力が変わらないようなチーム作りをしてほしかったのです。
しかし、それをH君も勘違いしました。自分がレギュラーから外されると勘違いしたらしいのです。それでだと思いますが、部活を辞める騒ぎを起こしました。
その前に、一人6番手と思われるT君が辞めたばかりでした。そのT君は、レギュラー云々の話ではありません。進学を考えて勉強したいからというのが理由でした。
我々は、そのT君を辞めさせたくなくて、とことん話しました。しかし、ダメでした。3年になってどうして?もう少しじゃないか。最後まで一緒にやろうよ。などなど、いろいろ特別な時間を作って話しました。しかし、結論はダメでした。とても残念でした。だから、今回のH君もダメかなと思っていました。
私は、H君から階段の踊り場に呼び出されて、それを言われました。階段の窓のところで、外を見ながら、辞めたいんだと言われました。私は、それを聞いて、「そうか」と残念そうに言いました。T君のときに散々言ってもダメだったので、もういろいろ言うのは止そうと思い、そのまま「わかった」と言って、話をしませんでした。
何も言わないということは、彼にとっては意外だったようです。私は、一つの作戦のつもりでした。何も言わないということは、どういうことか。H君に考えてもらいたかったのです。何も言わないのは、言うこともないというのではなく、言うことは分かっているはずだと言いたかったのです。しかし、どうしてもダメならあきらめるよということだったのです。後日彼は、こう言いました。「菅野は、あの時何にもいわなかったもんな」と。それが気になったと言っていました。
何も言わない方が、彼には効果があったのです。気にするタイプなのです。なんとなくその性格を分かっていたので、私は敢えてなにも言わない作戦に出たのです。
しかし、とても不安でした。辞めてほしくないのに、分かったと言ったのですから。
ただ、私は、自分のその態度が彼を引きとめることになったのかは、わかりません。裏で先生がどのくらい彼を説得してくれていたか、分かってないのです。
ただ、彼が、私の取った態度が気になったと言ったことは事実でした。
結局、事を大げさにしないで済んだので、それも良かったのかなと思います。
それで、H君は最後までやることができました。
よく、大人の世界では、監督と選手の考え方の違いで、チームがうまくいかなくなるという話を聞きました。こんな中学の3年間の中でも、あるのですね。ただ、私たちは、そのいざこざをするところまで行かない内に引退になったということでした。先生には、先生の思惑があって、チームを強くするために考えていることがあるので、あまりにそのことを言いだせば、生意気言うなと叱られたかもしれませんね。