絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ローマ人の物語14

2009-12-13 | 読書
コンスタンティウスの時代を読んでいます。

コンスタンティウスとは、コンスタンティヌスの子供です。あまりに似た名前なので、混乱しそうですね。

コンスタンティヌスが死んだ後、3人の子供と、2人の甥で、国を治めるようにという形を作っておいたのに、どんどん殺し合いが起こって、最後はコンスタンティウスが生き残ったということですが、その後のローマがどうなっていくのか、まだ、わかりません。いま、ユリアヌスというどこかで聞いたことがある名前が出て来ました。
まだ、期待されてないようですが、この頃の歴史を語ることがとても面白いらしく、多くの歴史家が小説に書いているそうです。

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しかし、いま、14冊目を読んでいて、ローマ帝国というのは、いつでも東はペルシャともめていて、北からは蛮族の侵入に脅かされているという状況だったのだなと思います。それなのに、内戦をやっている場合じゃないだろと思いますが、皇帝の勢力争いで、5万もの力のある兵隊を死なせてしまいました。そんなことをしていたら、どんどんローマは、蛮族にしんにゅうされてしまいますよね。

しかし、蛮族というのは、所謂族で、侵入しては荒らしまわって、戻っていくので、攻めて来て、そこを支配しようというものではなかったようです。強盗殺人を行なう犯罪集団という感じでしょうか。

それ以前は、そういう族が入り込まないように、ライン川とドナウ川を境にして、守っていたのですが、このころ(4世紀中ごろ)になると、もう入り込まれて、荒らされて、それを聞くと、追い払うために軍隊が退治に行くという形になったようです。前もって、そうはさせないという形が作れなくなってきている状態です。

この後は、ローマの軍自体も、傭兵の時代になって、守っているのが、蛮族にいた人たちという状況が出てくるのですね。だから、オドアケルによって西ローマが滅びるということになっていくのですね。その前に、ローマが西と東に分裂しますが。でも、読んでいると、何度も3分割したり、4分割したりしていますね。一人の皇帝では守りきれないので、4頭政にしたりということがありましたが、それは分裂ではないと書いてありますが、よく考えると、そういうことの繰り返しが、分裂ということにつながっていったのだという気がします。

正式な皇帝をアウグストゥスと言って、副帝をカエサルと言ったり、そのアウグストゥスが二人いたり、それぞれに副帝がいたり、アウグストゥスが引退して、次の二人を決めて、実質6人の皇帝が誕生したりという様々なことがありました。

そういうことを今回読んでみて初めて知りました。この本は有難いですね。

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現在、米軍を沖縄からグアムに移転させろという要求が社民党から出されていますが、社民党は日本の安全がアメリカと自衛隊によって守られていることをどう考えているのでしょうか。
ローマの守りを考えていると、今の日本はどのようにして安全がもたらされているかに考えが及びます。

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ロココ美術(フラゴナール)

2009-12-13 | 美術
ロココ美術の後半は、フラゴナールです。

ブーシェやシャルダンを師としたと言われます。

私は、フラゴナールと言うと、すぐに思い出す絵は、読書をする女の人です。
この絵です。


この絵を意識して、私が30年前に描いたデッサンがあります。
それが、これです。


同じようなポーズを作ったつもりでしたが、今見るとかなり違いますね。
フラゴナールの絵は、本が近すぎませんか?私のは、本が遠すぎる気がします。
私の場合は、自分だけでなく、みんなで描いたので、自分だけで決められませんでした。モデルは、高校時代の同級生でした。


フラゴナールは、20歳でローマ賞を取って、イタリア留学が与えられました。
その帰国した頃描いた絵は、神話画でした。


その後、宮廷画家になって、ロココ的貴族の絵を描きました。

私は、歴史画の方がいい絵だったように思います。
一応有名な絵は、ブランコに乗る女性を、下からスカートの中を覗くように見ている貴族の男性がいるものです。





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