私は、常に先生みたいだったなあと思います。
ふと思い出したことがあります。それは、仲間のK君から「もう、菅野の睨みは怖くない」と言われたことがありました。なぜ、そんなことを言われたのかはわかりません。しかし、それを言われた時、そうか俺は仲間を睨んでいたんだなと思いました。
要するに、常に睨みをきかして、みんなを支配していたのです。私が思う部活とはこうあるべきだという考えのもとに、それに従わないものが出ないように、睨んでいたのでしょう。それが、部活を引きしめて居たのだと思います。
先輩のKさんが、怖い先輩になって、部活に欠けていた緊張感を取り戻してくれたことに感謝したと話しましたが、私は私で、自分たちの時代を引きしめる役を演じていたのです。
しかも、それは、下級生に向けたものではなく、同級生に向けられていました。練習に手を抜く仲間に対して、無言の圧力をかけて、脅していました。それは、殴るとかいう怖さではありません。言ってみれば先生的な怖さです。いいかげんなことをすると、菅野に怒られるという感じでしょうか。
私は、プレーにおいてだけでなく、様々なことで先生の代わりをしていたんだなと思います。たぶん、そう考えると、先生は菅野がいるから任せておいて大丈夫だと思ったと思います。なぜなら、私が美術部の顧問をしていて常に思ったことだからです。しっかりしている部長の時は、私が出張でも休暇でも安心して部活をやらせることができたのです。そういう意味で、私は先生にとっては、先生の代わりができる部長だったと思います。
K君の発言は、私を舐めているように聞こえますが、それまでは、私の睨みを気にして、怖がっていたのだと分かります。それが怖くなくなったのは、睨まれて怖がっているようじゃ駄目だという意味です。或る意味で乗り越えたのでしょう。もう怖がるんじゃなく、人の目を気にしながらやるんじゃなく、堂々とやるんだという意味だったかもしれません。
ーーーーー
私は、或る時、同級生にボールをぶつけました。みんなで練習をしている時に、勝手にドリブル練習をしていたからです。みんなと一緒にやらないで、勝手な練習をしている状況でした。
私は、直ぐに辞めるだろうと思って、それを期待して、黙っていました。しかし、調子づいていつまでたっても辞めません。それで私が切れました。呼びつけて、みんなの練習を止めて、注意しました。そのときに、勢いでボールをぶつけてしまったのです。そうしたら、逆切れされてしまいました。同級生なのになにするんだよということです。それは、とても険悪な状況になりました。
それまでは、申し訳ないという感じでいたのですが、もう駄目でした。私もそうなると思っていませんでした。だから、とても困りました。しかし、彼はスタートメンバーのレギュラーなのです。この場合、私はどうすればよかったのかと、後でボールをぶつけたことを後悔しました。
しかし、彼のチームワークを乱す行為が許せませんでした。こんな時は、先生に言って、彼をレギュラーから外してもらう行動に出るべきなんだろうかと思いました。しかし、私はそうはしたくなかったのです。それより、すまんすまんとか、ごめんごめんとか言って、直ぐにみんなと同じ練習に戻ってほしかったのです。
教員をしていても、そのような場面には、何度も出くわします。俺が怒らない内にやめろよなと思いながら、待つ時があります。怒鳴り飛ばすのは簡単ですが、そこまで行かない内に気がつけよなと思って待つのです。
しかし、その経験をしたために、私は、警告を発するということを覚えました。「先生が怒りだすのを待ってるのかな?」と言ったり、「賢い奴は怒られない内に止めるよな」とか言うことで、怒らないで済ませる技を覚えました。
こんなところにも、人生の教訓がありました。
ふと思い出したことがあります。それは、仲間のK君から「もう、菅野の睨みは怖くない」と言われたことがありました。なぜ、そんなことを言われたのかはわかりません。しかし、それを言われた時、そうか俺は仲間を睨んでいたんだなと思いました。
要するに、常に睨みをきかして、みんなを支配していたのです。私が思う部活とはこうあるべきだという考えのもとに、それに従わないものが出ないように、睨んでいたのでしょう。それが、部活を引きしめて居たのだと思います。
先輩のKさんが、怖い先輩になって、部活に欠けていた緊張感を取り戻してくれたことに感謝したと話しましたが、私は私で、自分たちの時代を引きしめる役を演じていたのです。
しかも、それは、下級生に向けたものではなく、同級生に向けられていました。練習に手を抜く仲間に対して、無言の圧力をかけて、脅していました。それは、殴るとかいう怖さではありません。言ってみれば先生的な怖さです。いいかげんなことをすると、菅野に怒られるという感じでしょうか。
私は、プレーにおいてだけでなく、様々なことで先生の代わりをしていたんだなと思います。たぶん、そう考えると、先生は菅野がいるから任せておいて大丈夫だと思ったと思います。なぜなら、私が美術部の顧問をしていて常に思ったことだからです。しっかりしている部長の時は、私が出張でも休暇でも安心して部活をやらせることができたのです。そういう意味で、私は先生にとっては、先生の代わりができる部長だったと思います。
K君の発言は、私を舐めているように聞こえますが、それまでは、私の睨みを気にして、怖がっていたのだと分かります。それが怖くなくなったのは、睨まれて怖がっているようじゃ駄目だという意味です。或る意味で乗り越えたのでしょう。もう怖がるんじゃなく、人の目を気にしながらやるんじゃなく、堂々とやるんだという意味だったかもしれません。
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私は、或る時、同級生にボールをぶつけました。みんなで練習をしている時に、勝手にドリブル練習をしていたからです。みんなと一緒にやらないで、勝手な練習をしている状況でした。
私は、直ぐに辞めるだろうと思って、それを期待して、黙っていました。しかし、調子づいていつまでたっても辞めません。それで私が切れました。呼びつけて、みんなの練習を止めて、注意しました。そのときに、勢いでボールをぶつけてしまったのです。そうしたら、逆切れされてしまいました。同級生なのになにするんだよということです。それは、とても険悪な状況になりました。
それまでは、申し訳ないという感じでいたのですが、もう駄目でした。私もそうなると思っていませんでした。だから、とても困りました。しかし、彼はスタートメンバーのレギュラーなのです。この場合、私はどうすればよかったのかと、後でボールをぶつけたことを後悔しました。
しかし、彼のチームワークを乱す行為が許せませんでした。こんな時は、先生に言って、彼をレギュラーから外してもらう行動に出るべきなんだろうかと思いました。しかし、私はそうはしたくなかったのです。それより、すまんすまんとか、ごめんごめんとか言って、直ぐにみんなと同じ練習に戻ってほしかったのです。
教員をしていても、そのような場面には、何度も出くわします。俺が怒らない内にやめろよなと思いながら、待つ時があります。怒鳴り飛ばすのは簡単ですが、そこまで行かない内に気がつけよなと思って待つのです。
しかし、その経験をしたために、私は、警告を発するということを覚えました。「先生が怒りだすのを待ってるのかな?」と言ったり、「賢い奴は怒られない内に止めるよな」とか言うことで、怒らないで済ませる技を覚えました。
こんなところにも、人生の教訓がありました。