私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

私の生い立ち(父の死から思春期)

2022年06月30日 20時16分51秒 | 私の生い立ち(■有料記事)
◇私の生い立ち(父の死から思春期)◇
◇転機となった父の死

 父の交通事故や死について書く前に、もう少し父のことについて書いておきたいと思い、 父のことを思い返しているのですが、困ったことに父がどういう人であるとか、特徴的なエピソードを書こうとしても、これだという事柄が出てきません。父とは相性が少し合わないところがあったのと、毎晩のように父が外出して擦れ違いも多く、関係が希薄になりやすかったのだと思います。
 父は外面がいいと言いますか、家の中ではそれ程ではないのですが、外では人のお世話に奔走する等、人付き合いに熱心で、付き合いの広い人だったようです。亡くなる何年か前から最高道徳に入り、自宅に近所の人を集めて講演会を開く等、熱心に活動していました。最高道徳に入ったいきさつは不明ですが、祖母を中心とした家の中のゴタゴタなど、父なりに悩んでいたのかも知れません。
 私が小学5年生の5月に、父が交通事故を起こしました。事故は、深夜にどこかの会合でお酒を呑んで車で帰っている途中で起きました。交差点での車同士の衝突でした。事故の詳細は省略しますが、その交差点の信号機が深夜のため点滅状態になっていて、父の方が赤の点滅、相手側が黄色の点滅ということで、赤の点滅だった父の方が悪いということでした。双方とも車は大破したのですが、相手側の方は軽傷で済んだようです。しかし、父の方は、事故により頸椎を損傷し、重度のむち打ち症になりました。
 父は、5月に事故に遭ってから10月初旬頃まで入院していました。入院期間中、母は殆ど自宅に帰ることなく、病院で寝泊まりしながら父に付き添っていました。入院中の印象は、深刻なむち打ち症であるにもかかわらず、父と母が明るかったことです。今思えば、おそらく父も母も、祖母を中心とした家のゴタゴタがほとほと嫌になっていたのだと思います。それで、父と母にとって、入院生活が家のゴタゴタからの逃避地になっていたのだと思います。父の入院中、私はというと、母の不在で少し寂しさはありましたが、相変わらず自由気ままに過ごしていました。弟もそのようでした。母が殆ど帰宅しないので、私と弟が時々病院に泊まりに行っていました。
 家の中の雰囲気が大きく変わったのは、あるいは変わったように感じたのは、父の退院後でした。父のむち打ち症はかなり深刻なもので、退院はしたものの首は器具で固定されたままで、手足に強い痺れが残り、ぎこちなく少しずつ歩くのがやっとの状態でした。しかも、状態は段々と悪くなっているようでした。母は父を支えようとして気丈に振舞っていましたが、父は段々と暗くなっていきました。
 父が暗くなる原因は、自身のむち打ち症だけではなかったのだろうと思います。事故を起こす前は、夜は外に出歩くなど、嫌になれば好きに家を抜け出せていましたが、事故後は嫌でも家に居続けるしかなくなり、父は祖母の悪態に毎日付き合わされることになりましたから。今となっては詳細は不明ですが、祖母の口撃の矛先は、母や祖父から父に向けられることが多くなっていたのではないかと思います。祖母は、働けなくなった父と一緒に母とその子供たちを追い出し、叔父(父の弟)を家に入れたかったのではないかと思います。
 父の様子は、10月初旬に病院を退院して1カ月が経過する頃には、声を掛けても反応が薄く、ふさぎ込むことが増えていたように思います。下を向き、痺れた手を歯痒そうに握ったり開いたりしている姿が印象に残っています。私も子供心にそんな父の様子が気になり、朝学校にいくときは「父ちゃん、行ってきます!」と声を掛け、帰ってきたら「父ちゃん、ただいま!」と声を掛けるようにしていました。
 そんな中、その年の12月の初めに、父は家族の留守中に首を括って自死してしまいました。その日、私が学校から帰ると、家の中が少しバタバタしていて、どうしたのだろうと思っていると、母が「父ちゃんがおらんのよ」と言いました。私は直ぐに、父はどこかに死にに行ったんだ、そしてもう死んでいるだろうと直感しました。なぜか、直ぐにわかったのでした。そしてそれに伴い、私を取り巻く世界が大きく変わってしまうだろうことがなんとなくわかったのでした。
 私の帰宅後間もなく、父の姿が見えないことが近所の方々にも伝わって、一緒に父を探してくれることになり、一気に緊迫感が高まっていきました。日が暮れて辺りがすっかり暗くなった頃、納屋の方から、母の「あー!」という叫び声とともに、「おったぞ!」、「首括っとるわ」と言う近所の人の声がしました。父は、納屋の二階で首を吊っており、それを母が見つけたのでした。
 母の叫び声を聞いたとき、私はやっぱりそうだったんだと思うとともに、これからどうなるのかと思い、頭がクラクラしたのを憶えています。暫くして、父の遺体を母屋に運び込むことになり、私はその様子を見たくなくて、居間のコタツに潜り込みました。すると、そこには既に弟が潜り込んでいて、そのまま眠っていました。私も潜り込んで目を閉じているうちに眠ってしまいました。
 夜更けに目が覚めると、奥の間からすすり泣く母の鳴き声が聞こえてきて、これは夢じゃなく現実なんだと思いました。奥の間には、首にロープの痕が付いた父の遺体が置かれていました。
 亡くなった日の翌々日に葬儀が行われました。父が亡くなってから葬儀の前後にかけて、私の中で意識のチャンネルが子供から大人へ向けて急速に変わっていったように思います。まだ無邪気な子供でいたかったのに、子供をやるのはもう終わりなんだなとか、これからはしっかりとしなきゃなあなどと考えるようになっていきました。そしてそれ以後、わがままや無理を言って母を困らせることは大きく減りました。母の手伝いもするようになりましたし、母の話し相手もするようになりました。


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今回の記事では、小学5年生のときの父の死から大学入学前までの出来事について書いています。
次回は、大学入学後から27歳で就職するまでの出来事について書く予定です。
そして、最終的な悟りの前後までのことを何回かに分けて書いていく予定です。

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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私の生い立ち(誕生から少年期)

2022年06月12日 17時29分27秒 | 私の生い立ち(■有料記事)
以前、収入補足のために有料セッションや有料記事を書くことを考えていることを書きましたが、先日アップした有料セッションの企画に続き、私の生い立ちを有料記事にしてみました。
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◇私の生い立ち(誕生から少年期)◇
◇誕生から幼少期

 私は、自然が豊かな田舎で専業農家を営む七人家族の長男として生まれました。家族構成は、曾祖母、祖父母、両親、私、弟でした(曾祖母は私が一歳の頃亡くなりましたが、私のことを可愛がってくれたとのことです)。動物も沢山いました。犬、猫の他、牛一頭、ヤギ、鶏がいました。祖母がめちゃくちゃな人で、家の中を引っ掻き回すこと以外は、動物や自然、近所の気の知れた人たちとの触れ合いの中で、比較的やりたいことを好きなようにやり、自由に育ちました。
 祖母のことに少し書いておきます。祖母は、今から考えると自己愛着等の何か精神面に障害があったのではなかと思います。家事や家の仕事の手伝いは全くと言っていい程何もせず、日中はテレビを観ながら、たばこをふかし、お茶をすすることで時間を過ごすことが多かっと思います。アルコール依存もあり、酒は主に夜吞むのですが、子供たちが寝るころになると、大きな声でいろいろと喚き散らしていました。それに対し、祖父は時々言い返したりするのですが、基本的に諦めてしまっていて、何も言わないことが多かったです。それでも偶に怒りがこみ上げるようで、夜中に「オドレ、叩き殺したる」と叫びながら、棒を持って逃げる祖母を追いかけることがありました。
 そんな祖母の攻撃の矛先が、嫁である母にしばしば向けられますので、母と祖母の関係は酷いものでした。最後には、母は食卓で食事をせず、時間をずらして台所で一人食べるようになっていました。例えば、祖母が夜中に、オカメ(母のことです)がついだ飯は不味くて食えんから始まり、ウチの嫁はパンパン(昔の売春婦の呼び方)で誰とでも寝るとか、クソジジイ(祖父のこと)とも寝とるなんて喚き散らすものですから、無理もありません。
 祖母に関する話の最後に、お風呂の話をしたいと思います。お風呂は、祖母、祖父、母と子供たち、最後に父の順に入ることが多かったのですが、私たちが風呂に入ろうとすると、湯舟に物凄い量の垢が浮いていることが時々ありましたし、何だか分からない大量のゴミのようなものが入れられていることもありました。なんでそんなことをするのか、普通の神経では理解不能ですが、おかしなことを言ったり、したりする人でした。
 そんな祖母を祖父は諦めたかのように放置していたとかきましたが、父はどうしていたかについて書きます。父は、家のゴタゴタから逃げるように夜は外に出ていることが多かったです。どのような心理なのかは分かりませんが、祖父と同様、諦めているかのように祖母のことを放置していました。それでも偶には怒りが起こるようで、朝起きると大きな灰バチが土間に放り投げられて割れているとうことが何度かありました。
今思うと家の中は酷い状況だったはずなのですが、私自身はなぜかそれには無頓着で、それ程気にしていませんでした。

◇急性アルコール中毒事件

 祖母が家の中をかき回すので、家の中がゴタゴタしていること以外は、寛容で自由な雰囲気の家でした。お酒についてもとても寛容で自由な家でした。そのため、私がお酒の味を覚えたのも早かったです。4、5歳の頃から、父がお酒を呑んでいると、湯呑を持って父のところへ行き、ちょっと入れてもらい、それを呑むようになっていました。ウイスキーとビールは余り美味しくないけど、日本酒はとっても美味しいと思っていました。日本酒の味を気に入っていた私は、もっと日本酒を呑みたいと思うようになっていきました。
 6歳になる頃、とうとうそれを実行したのです。家族が留守で、家に居るのは私と弟だけでした。最初は一升瓶から湯呑に注いで1杯吞みました。ごくごくとジュースを飲むような感じで呑みました。これがやっぱり美味しくて、直ぐに2杯目を注ぎ、2杯目もごくごくと一気に吞みました。
 もっと呑もうと思い、3杯目を注ごうとしたのですが、一升瓶が重くて注ぎにくいので、お酒を一升瓶からヤカンに入れ、3杯目からはヤカンから湯呑に注いて呑みました。何杯呑んだかは分かりませんが、お腹がいっぱいになるまで呑んだように記憶しています。弟にも、お前も呑めと勧めましたが、吞みませんでした。
 お酒を呑んで暫くすると、グルグルと目まいがするような感じになり、さらにはフラフラして歩けなくなっていき、変だなと思っているうちに、意識が混濁していきました。弟によると、急に暴れ出して襖を2枚ほどなぎ倒した後、ひっくり返って動かなくなったそうです。それを見ていた弟(当時4歳になる少し前)が、これは大変だと思ったようで、畑の父母に私の様子を知らせに行ってくれたのだそうです。
 病院へは父が車で運んでくれました。病院に着いたときには、鼓動が弱く、血圧は測定不能で、瞳孔反射も無く、医師は直ぐに助からないかも知れないと言ったそうです。いつこと切れるか分からないので、処置室に父母も一緒にいていいということなり、処置が施されたそうです。
 意識は病院に搬送された日の夜中に戻りました。意識を失っている間、一種の臨死体験のような変わった夢を見ていました。憶えている夢の内容は、深い井戸かトンネルの中を歩いて行こうとしていると、何だか後ろの方から自分の名前を呼ぶ声がするのです。声が聞こえはじめた初めの頃は、無視してトンネルの中をさらに進もうとしていたのですが、繰り返し自分を呼ぶ声がするので、うるさいなとか、わずらわしいなとか、何なんだと思っているうちに、段々と目が覚めるようにして意識が戻っていきました。
 病院は2晩泊まって退院しました。医師は急性アルコール中毒の後遺症(麻痺や知覚低下等)を心配していたようですが、それも無く、直ぐに回復して退院することができました。
 退院後、父母はなぜか私のことを余り叱りませんでした。ただ、アルコール類はどこかに仕舞われており、これからはお酒を勝手に呑んだりしないようにと強く言われました。呑みたいときは、そう言いなさいと言われました。普通なら、もう呑んだらダメだということなるのだと思うのですが、私の家はそうではなかったのです。急性アルコール中毒で死にかけた後も、相変わらず私は、父が晩酌していると、湯呑を手に持って父のところに行っていました。
 次に紹介するエピソードも、私自身や私の自由奔放な様子がよく分かる内容だと思います。

◇明美ちゃんとの思い出

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文字数は約8900字で、文庫分にして約15ページです。
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今回の記事では、誕生から小学5年生のときの父の死の前までのエピソードについて書いています。
次回は、転機となった父の死から思春期までについて書く予定です。
そして、最終的な悟りの前後までのことを何回かに分けて書いていく予定です。

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

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