私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

ツイート記事(202410~)

2024年10月28日 17時48分52秒 | その他
◇ツイート記事(20241010~)◇
 
<10月10日>
◇大悟を振り返って
ここ数日、無我の悟り(大悟)について何か呼び水になるような文章を書けないかと考えているのですが、なかなか難しくてまとまりません。
それで、自分が大悟したとき、どういう経緯を辿ったのかと自分の過去の足取りを振り返ってみました。
ちなみに、私が大悟に至った日は、2013年10月19日(土)でした。
自覚を始めて解脱に至るまで、思ったことや気づいたことをノートを書いてましたので、今でもそれを読むと当時の足取りをある程度追うことができます。
 
今までこのブログでは余り大きく取り上げて来なかったのですが、自分が受け入れの取り組みを結構熱心にやっていたことがわかったのです。
ここでの受け入れとは、自分自身を受け入れるというものです。
受け入れには二種類あり、一つは外側に対してのもので、もう一つは内側である自分自身に対してのものです。
外側に対しての受け入れは、外側に対して握り締めている囚われの手放しと関係していて、小悟に通じています。
内側に対しての受け入れは、自分自身に対して握り締めている囚われと関係していて、大悟に通じています。
囚われの手放しは、自覚によってそれに気づくことによっても生じるのですが、受け入れによっても生じのです。
 
その自分の足取りを辿っていてこれはと思ったが、大悟する19日の前々日の夕方の通勤電車の中で起きた、私に対する感謝でした。
電車の座席に座っているとき、自分がしている過去、現在のすべての経験について、それが経験できているのは私という存在があってこそなのだということに、ハッと気づいたのです。
その瞬間、私自身に対する大きな感謝の気持ちが湧き起こり、座席に座ったまま下を向いてボロボロと涙を流して泣きました。
自宅の最寄り駅に着いても涙が止まれず、下を向きながら遠回りをして自宅に帰りました。
 
私の場合、大悟には、自分自身に対する受け入れからその感謝に至る体験の影響も大きかったのだろうと思います。
私は小悟に至る際も明け渡し体験(受け入れ)の影響が大きかったので、受け入れが優位になりやすいタイプのようです。
 
道は人それぞれですが、何かヒントになる方がおられるかもと思い、書くことにしました。
なお、上に書いた大悟する19日の前々日の体験は、その翌日にブログ記事にしていました。
リンクは、これです。
 
<10月13日>
◇中国は崩壊寸前か
ここ最近、世界情勢の変化のスピードがどんどん速まっていると感じています。
中国だけでなく、アメリカも急激に劣化して行っているようで、どんどん崩壊が近づいているように感じています。
そんな中、習近平が中国国内の内乱に対する準備を進めているというニュース動画を見つけました。
その動画のリンクは、これです。
 
その内乱とは主に民衆の暴動のことのようですが、おそらく軍の一部による反乱も相当警戒しているのではないかと思います。
最近の中国は、地方政府の役所が襲撃され、役人が惨殺される等の事件が頻発しているようです(正規ルートでの報道は無いですが)。
私の個人的なカンで言うなら、中国の人民統治はあと1、2年で崩壊するのではないかと考えています(3年は持たないのではないか)。
中国の人民統治が崩壊すれば、その心理的な影響がアメリカに伝わり、アメリカの人民統治も崩壊するだろうと考えています。
そうなれば、この日本も含めて、全世界の経済も統治も崩壊します。
 
さて、どうなるのでしょう。
 
<10月16日>
◇近況など
久しぶりに近況など書いてみます。
 
足の骨折の件
9月中頃に、農作業中の管理機の操作ミスにより右足首上(腓骨、外側の細い方の骨)を骨折し、現在療養中です。
骨折した部分が少し離れてしまっていて、手術を勧められたのですが、手術はイヤだったので(笑)、そのままギブスを巻いてもらって頑張っています。
そのせいもあって、骨がなかなかくっつかず、困っています。
ギブスの装着は5週間が限度らしくて、それでも骨が付かない場合は、そこから手術もあり得るとのことで、おそらく大丈夫でしょうが、少し不透明な状況です。
来週水曜に、ギブスを外してみて、まだ暫く療養継続となりそうです。
 
本来なら、農業の秋の収穫作業ど真ん中なのですが、やり始めたところで骨折してしまい、放置状態となっています。
今年の収穫は、大半は諦めることになるかも知れないと覚悟しています。
 
今後の農業の取り組みについて
農業を始めて今年で実質4年目なのですが、地方の山の中で小さな農家が農業で生活費を稼ぐのは構造的に無理なんだということは2年目の時点でわかっていました。
それでも、まだ農業について納得できないところがあるというか、僅かな可能性についてトライしてみたいようなところがあり、ここまでやってきました。
 
しかし、農業(と言うより、現代社会)が抱える構造的な種々の問題の壁は大きく、この4年目は私の農業に対する取り組みの節目になるのではないかと考えながら、取り組みを続けてきました。
基本的に無理な取り組みをしていますから、どうしても無理をして作業をしてしまう状況が多くなり、骨折事故を起こしてしまいました。
 
骨折とそれによる農業へのダメージは大きいですが、私の農業に対する取り組みに対する良い節目を作ってくれたように感じています。
自分の置かれた状況に冷静に向き合うことができた感じです。
世界経済もあと3年は持たず崩壊するのではないかと考えていますので、その点からも、農業だけでなくライフスタイルを含めたいろいろな面で、見直し、切り替えていくタイミングだと考えています。
 
来年からは、農業に割くエネルギーを半分以下に減らして、それ以外のエネルギーは、経済崩壊後の生活に対する準備と、それまでの生活資金獲得のためのアルバイトに当てて行こうと考えています。
サバイバルのための当面の主な取り組みは、以下のポイントです。
・食料の備蓄や方法の整理
・念願の鶏小屋の建築
・薪ストーブ用と風呂用の薪の準備
・簡易なソーラー発電設備
・狩りの準備(罠と簡単なハンティング)
・簡単な無線設備
 
ヒマつぶし
療養中でヒマなので、ネットの動画ばかりみてます。
ここ数日は、世界を旅している青年の動画を観ています。
〇リヤカーで北米、南米大陸縦断をしている青年の動画(リンクはこれです)
〇原付バイクで世界一周をしている青年の動画(リンクはこれです)
 
<10月21日>
◇悟りと夢の変化について(夢の中で心が動かない)
12年程前にあった明け渡し後、寝ている間に見る夢の様子が大きく変わったのですが、解脱後の変化として、夢の中で心が全くという程動かなくなったのです。
正確には、あーだこーだという思考は起こるのですが、感情や快不快等の情緒的な要素が殆ど無くなってしまったのです。
明け渡し前は、夢の中で誰かと格闘したり、高いところから落ちたりして、喜び、怒り、悲しみ等の喜怒哀楽や、恐怖心もあったのですが。
それが、明け渡し後から、夢の内容も比較的淡々とした内容のものが多くなり、喜怒哀楽や恐怖心等の心の動きも小さくなっていきました。
そして、解脱後は夢の中で心の動きが全くという程無くなってしまったのです。
 
一昨日の夜は、久しぶりにハードボイルドなちょっと激しい内容の夢を見たのですが、それでも心が動きませんでした。
どんな夢かと言うと、
私は何かの組織の一員になっていて、その組織は何かテロの標的になるリスクを警戒していて、私は、バスに乗り込もうとする人たちの警戒任務にあたっていたのです。
その任務中、バスに乗り込もうしている人のスーツケースの中に爆弾が仕込まれていることが直観的にわかったのですが、その直観とともに、その直後にその爆弾が爆発することも直観でわかったのです。
私はとのとき、そのスーツケースを持った人の直ぐ近く(2メートル以内)にいて、爆弾の爆発はもう止めることができず、どうしようもないことがわかったのですが、爆弾が爆発することに気づいたときにほんの少し驚きのような心の動きがあっただけで、それ以外は全くという程心の動揺がなかったのです。
まるでサイボーグのようでした。
そして、爆弾が爆発する瞬間に目が覚めたのです。
目が覚めても、全く動揺が残っておらず、呼吸も心臓の鼓動も全く通常の状態でした。
むしろ、爆弾が爆発した後のことを観れなかったので、残念な気持ちがありました(笑)
 
<10月28日>
◇崩壊前夜か
最近、現在の社会構造の崩壊へ向けた変化がどんどん明るみになってきていると思っています。
崩壊のタイミングは意外な程近い可能性もあると感じています。
まだそこまでは無いだろうとは思いますが、早ければ来年夏にすべて崩壊するということも全く無いとは言えないのかと考えています。
 
今度の展開の予想として。
米大統領選後に、中国を筆頭に、米国、中国の混乱が急速に進んでいくのではないかと思っています。
混乱の中身は、経済的なもの、政治的なもの、内乱的なもののすべてが起こってくるだろうと思っています。
またおそらく、主要メディアによる情報統制も世界的な規模で崩壊していくでしょうから、これまで伏せられていた重要かつ深刻な情報がどんどん明るみになっていくだろうと思っています。
例えば、主要各国の財政運営が既に破綻していてどうにもならない状況であることや、
DSと言われる組織の闇の取り組みなどが、明るみになっていくと思っています。
 
そのような混乱が急速に進むいずれかの段階で、民衆のパニックが世界規模で連鎖的に起こり、各国の人民統治が崩壊するだろうと考えています(2026年末までに起こるのではないか)。
そうなると、暫くの間、ライフラインの停止、食料を含めた物資の流通の停止が起こります。
 
補足です。
戦争について、現在あちこちで戦争が起こっていて、それをさらに拡大させようという闇の働きがありますが、
これが世界的な戦争に発展することはないと考えています。
世界的な戦争をする程の力は、闇の勢力にももう無いし、主要各国にも無いと思います。
例えば、中国には台湾や日本に戦争を仕掛ける力は残っていないだろうと考えています。
 
◇兵庫県知事選
個人的に、衆院選よりこっちの方がよっぽど面白いと思って観ています。
斎藤前知事が再度立候補するだけでも面白いのに、NHK党の立花氏まで参戦して、どうなるのか見ものだと思っています。
私は、これはメディアを含めた古い体制の崩壊が現れている典型的な例だと見てます。
 
 
◇悟り伝える意志
あるジャーナリストが政治家の姿勢について語っているのを聞いていて、
悟りを伝えることについても通じる部分があるなぁと思いました。
 
端的に言えば、悟りを伝える意志と覚悟ですね。
 
さて私自身にはその意志と覚悟がどの程度あるのだろうか、と我が身を振り返りました。
どうなんでしょ。
暫し考え、見つめ直してみたいと思います。
 
 
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)-幸せに気づくー

2024年10月19日 17時40分32秒 | 私の体験

◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(3)ー幸せに気づくー◇

 

昨日このブログに「幸せについて」という記事を書いたのですが、実はそれは私自身に起こったちょっとした気づきだったのです。

その気づきを体験談として記事にしてみたいと思います。

 

約12年前に明け渡しが起こったのですが、その当時は重度の自閉症で世話がとても大変な息子を抱え、家庭と仕事の負担に押しつぶされそうになりながら生きていました。

一般的な幸福からは程遠い、厳しく辛い状況にありました。

そのような中、明け渡しが起こり、その後暫くの間、頭の中が何が起こっても有難く思えてしまうという超おめでたい状態になり、このときおそらく、幸福感に関する感覚がかなりの部分吹き飛んでしまったようです。

その後に出会った自覚を通じて、一般的な幸せというものが囚われや執着にまみれた迷いの中にあることがわかったこともあり、幸せを求めなくなったというか、幸せを全くという程意識しなくなってしまいました。

それからの私は、自分のやりたいことにただ取り組み続けるだけで、自分の幸せ意識することなく生きてきました。

 

そして、昨日(10月18日)です。

ネットである方の動画を観ていて、自分の幸せに気づいたのです。

幸せとは、本心に取り組み、生きる、その営みそのものであることにと気づいたのです。

19歳の頃、全てが無意味に思え、虚無感に苛まれ苦しむ中、「生きよう」と思い立ったときから、私はいつも幸せだったのです。

どんなに辛く、大変なときも、ずっと幸せだったのです。

 

自分が幸せのど真ん中にずっといたとは、盲点だったというか、気づきませんでした。

これからは、この幸せを味わいながら生きていきたいと思っています。

 

 

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幸せについて

2024年10月18日 11時32分27秒 | 生きるヒント

◇幸せについて◇

 

私たちは皆、幸せを求めています。

そして、多くの方は幸せになろうとして、外側に向けて幸せを求めてしまいます。

しかし、そうした取り組みによって本当に幸せになれるのでしょうか。

私は大いに疑問を感じます。

 

では、幸せは何処にあるのか。

私の答えは、こうです。

 

人が自身の本心に取り組み、生きるとき、その営みそのものが幸福になる。

 

 

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一切皆苦と存在苦

2024年10月11日 10時00分48秒 | 悟り
◇一切皆苦と存在苦◇


一切皆苦とは、一切が苦ということですが、わかりやすく言えばその中身の多くは存在苦です。
存在苦とは、存在していることそのものが苦、あるいは存在そのものが苦であるということです。

とは言っても、多くの方々はこの存在苦に意識が向くことはありません。
まだまだ経験したいことが沢山あり、経験すること、存在することへの執着が強いからです。
存在苦を感じるようになるのは、おそらく前世で一度あるいは何度か大悟を経験してからだろうと考えています。

なぜなら、小悟者の多くは何らかの絶対的あるいは恒久的なものに対する囚われがあり、そのことが存在への執着を物語っているからです。
また、大悟者についても、一度目の大悟では一切のことがらに対してフラットになり、楽になるだけなのだろうと思うのです。
存在苦を感じ始めるのは、おそらく、大悟後の営みにより虚無が身に染みてきてからのことだと思うのです。

例えば、幼少の頃から深い虚無を感じているような方は、ここで言う存在苦がわかるかも知れません。


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仏教における縁起をめぐる誤りについて

2024年10月05日 17時58分08秒 | 悟り

◇仏教における縁起をめぐる誤りについて◇


先日、釈迦が縁起をどう捉えていたかについて調べていたのですが、その過程で南伝系も大乗系も含めて仏教の大半というか、おそらくほぼ全ての系統において、縁起の捉え方を間違っていることがわかりました。
余りの状況に愕然とし、どうでもよくなり、仏教に言及する気も無くなったのですが、気を取り直して最後に、縁起をめぐる仏教が抱えている問題点について書いておこうと思います。

まずは、仏教の縁起に関する誤解について。
先日の記事「龍樹は縁起を誤解している」の中で書いた通り、私という存在は意識であり、その意識は、微細に見ると識が映画フィルムのコマのようにパッ、パッ、パッと連鎖的に連なって生滅することで展開しています。
識は、各瞬間における認識であり、五感に思考や感情を含めた六根を通じて起こってくる現象と、その現象を認識する認識作用が一体不可分に結合したものです。

縁起という言葉、あるいは概念は、おそらく釈迦よりも前からあったのだろうと私は考えています。
そして、先人たちは、連鎖的に生滅する識の連鎖を縁起と言っていたのではないかと私は考えています。
つまり、縁起の本来の意味は、因果関係のことではなく、識の連鎖のことだったのではないかと考えています。
この点について、釈迦が縁起をどう捉えていたかは、今となってはわからないようです。

しかし、釈迦の後に編纂された縁起に関する仏典の多くは、縁起を因果関係として捉えてしまっています。
ここに、大きな誤解があるのです。
しかも、それらの仏典はその誤解のある縁起という考え方を、無常や無我等と同等か、それ以上の扱いをしてしまっており、間違いを深めてしまっています。

なぜなら、因果関係という考え方は無我(一切に実体が無い)という悟りと整合せず、反しているからなのです。
これをどうしたらわかりやすく説明できるのかと、ここ数日考えていたのですが、上手い説明が思い付きません。
これを理解するためには、無我の悟りに伴う不可知(知の限界)を知るしかないのですが、少し試してみます。
因果関係とは、ものごとには原因と結果があるという考え方です。
しかし、ものごとの原因を追究することは、根本的に不可能であり、不可知なのです。
例えば、この世界(宇宙)はなぜ生じたのかや、私という存在はなぜ生じたのかは不可知なのです。
そのような大きなことだけではなく、もっと身近な様々なことについて、実のところはすべて不可知なのです。
例えば、1+1がなぜ2なのかも、海の色をなぜ青と言うのかも、根本的なところでは不可知なのです。

つまり、因果関係はそもそも根本的に不可知であり、悟りの対象にもなり得ないのです。

そして、因果関係という意味での縁起が真理となることもあり得ないのです。

 

<追記(20241110)>

上の文章の一番最後の一文を追加しました。

 



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存在に関する情報

2024年10月04日 21時50分17秒 | エッセイ
◇存在に関する情報◇


9年程前に見た夢の体験から、私たち存在に関する興味深い情報をいくつか読み取ることができますので、今回はそれを記事にしておこうと思います。
ひょっとすると、この情報がどなたかの役に立つかも知れないと思っています。
その夢の体験はブログ記事にしておりまして、リンクはこれです。

私は12年程前に明け渡しを体験した後から、身体の無い存在になっている夢を頻繁に見ます。
その身体の無い存在とは、本当に身体が無く、視覚だけがあり、意識としては薄っすらとした自我(思考や発意、感情等)があります。
存在の大きさはおそらく点のような小さいもので、透明です。
私は、そのような視点だけの存在になって、人々の様子や景色を眺めている夢を頻繁に見ます。
多くの夢は特筆するようなことは余りないのですが、上でリンクを貼った9年前の夢は、とても変わっているというか、面白いのです。

簡単にどんな夢かと言うと、
視点だけの存在になっている状態から、夢の中の身体のある他の人物と一体化し、その状態のまま暫く時間を過ごした後、再びその人物と分離したのです。
以下、その夢から読み取れる情報について書きます。

◇視点だけの存在があり得る
おそらく夢と現実は本質的な違いはありませんから、夢の中で起こることは現実でも起こり得ると考えています。
ですから、この現実世界でも、身体の無い視点だけの存在があり得るのだろうと考えています。

◇視点だけの存在が他の人物と一体化したり、離脱する可能性
この現実世界においても、視点だけの存在が肉体のある他の人物と一体化したり、離脱するという現象が起こり得ると考えています。
ちなみに、夢の中で、視点だけの存在である私(慧空)が他の人物と一体化したときは、それまでの慧空という認識は消失し、その人物になり切っていました。
しかし、その人物としての自我の働きは私が担っているという感覚でした。
つまり、その一体化している間、私は傍観者ではなく、その人物として主体的に活動していました。
そして、その人物から分離した後は、再び慧空としての感覚が甦りました。

◇一個の肉体に複数の意識存在が同居している可能性がある
夢の中で、その人物に私が一体化する前から、その人物は普通に活動していましたので、既に何らかの意識存在が入っていたのだろうと考えるのが妥当だと思います。
だとすると、私がその人物と一体化していた間は、その人物には複数の意識存在が入っていた可能性があると考えるのが妥当だろうと思います。
そして、これは現実世界においてもおそらく同じであり、私たちの肉体には複数の意識存在が入っている可能性があると思います。

ここで興味深く、かつ謎なのが、一つの肉体に複数の意識存在が入った場合、肉体のコントロール等の活動の主導権はどうなっているのだろうということです。
私は夢の中で、視点だけの存在のときも、他の人物と一体化しているときも、主体的な自我感覚(主導権)は自分にあったように思います。



◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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