私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

幼稚化とパニック

2022年07月26日 17時10分30秒 | その他
◇幼稚化とパニック◇

この周辺のことをもう少し明確に書いておこうと思います。
幼稚化とは、民衆の幼稚化のことです。

私は、世界的な規模で民衆の幼稚化が急速に進んでいると考えています。
幼稚化は、過剰な楽観と恐怖心(悲観)を伴います。
これまでのところは、過剰な楽観が優位に推移し、コロナの出現などで恐怖心が拡大してきている状況でしょうか。
しかし、まだ楽観の方が優位な状況でしょう。

これがいずれ、何らかの切っ掛けで恐怖心に火が着き、パニックを誘発するだろうと考えています。
そのとき、世界の経済システムは崩壊するだろうと考えています。

パニックの発生は、食料不安か銀行の預金不安の連鎖によるものではないかと考えています。

もし経済システムが崩壊すると、流通が止まりますから、都市部を中心に深刻な食料不足やライフラインの問題が発生します。
原発にある核燃料の冷却管理もどうなるかわかりません。
核燃料は、使用中も使用済みも含めて何年も継続して冷却管理しないと、水素爆発やメルトダウンを起こします。
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中国経済はもうダメか(小声

2022年07月21日 20時39分45秒 | その他
どうしようか迷ったのですが、書いておくこといしました。
先日、中国の国営大手銀行で取り付け騒ぎが起こていることを書きましたが、中国政府はなんと、その取り付け騒ぎを抑えるため、街に戦車部隊を投入しました。
今回は動画も貼ってみます(これです)。
中国経済はもう既に崩壊しているだと思います。

明日は、我が身です。
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私の生い立ち(大学入学から就職前まで)

2022年07月19日 15時43分26秒 | 私の生い立ち(■有料記事)
有料記事「私の生い立ち(大学入学から就職前まで)」を書きましたので、興味のおありの方は、こちらのnoteサイトにてご購入ください。
文字数は約7800字で、文庫本にして約13ページです。
値段は200円です。


◇私の生い立ち(大学入学から就職前まで)◇
◇大学時代

 大学には、1年の自宅浪人を経て入りました。大学は、東京に出てみたかったので東京の大学にしました。入学した大学は、夜間部の物理学科で都心部にありました。なぜ夜間部にしたかと言うと、私の学力レベルでも入れたのと、もしお金が足りなくなっても昼間働けばいいだろうと考えたからでした。必要な学費等は、母からの仕送りと、奨学金をあちこちから3つ借りて賄いました。
 下宿は、大学から見て西側方面(中野、吉祥寺方面)よりも下町の東側方面(錦糸町、新小岩)の方が家賃が安そうなので、総武線沿線に住むことにしました。部屋は四畳半一間で、小さな流し台と半畳の押し入れが付いていました。ガスコンロがある台所とトイレは、共同になっていました。風呂は銭湯でした。
 入学当初は、大学に入るという気持ちの高まりと、東京に住むというワクワク感で期待が大きく膨らんでいたように思います。しかし、東京での学生生活が日常化するに連れ、そのような期待感も落ち着いていきました。
 部活は、物理研究部とSF研究部に入りました。物理研究部では、空き時間に部室に集まって過ごしたり、一緒に酒を呑んだり、遊びに行くのが主な活動でした。その他、高学年生が後輩に物理や数学のポイントを教えるセミナー活動もやっていました。SF研究部では、毎週土曜の午後に大学近くの喫茶店に集まって過ごすというのが主な活動で、年に何回か書評を中心とした同人誌を作成していました。アルバイトは余りガツガツせず、気が向いたときに何か見つけてしていました。
 大学に入った一応の目的は、物理を学び研究するためだったのですが、浪人していたときに、物理を含む理屈の限界に気づいてしまって以来、物理に対する意欲が大きく減退していたため、物理の勉強にはそれ程身は入りませんでした。大学院へも行くつもりで、物理で身を立てられるのならそれもいいかもと考えるところもありましたが、心のどこかで、いずれ気が変わり物理をやめることになるような予感がありました。大学、大学院時代は、私にとって、何かやりたいことが見つかるまでのモラトリアム期間のようなものでした。
 異性関係についても、異性を求める強い気持ちや衝動は常にあるのですが、自分探しの方が忙しく、踏み込めず引いたような状態のまま時間が過ぎていきました。大学で気になる女の子はいたりするのですが、見ているだけで何もアクションは起こしませんでした。女の子から何度か誘われて、お茶をしたり、ご飯を食べたことはありました。
 大学4年間は、特にこれというエピソードもなく過ぎていきました。東京での学生生活も期待していた程ではなく、つまらんなぁと思うようになっていきました。細々としたエピソードはないこともないのですが、敢えてここに書く程のこともないなぁという程度のことばかりでした。敢えて書くとすれば、自分探しに関連して、人との出会いを求めて動いていたのと、自分の可能性を探っていたところがあったと思います。その辺りのことを少し書いてみようと思います。
 具体的に人との出会いを求める行動については、例えば大学やアルバイト先で面白そうな人を見つけては話しかけて友だちになったり、帰省に鈍行列車を使い、その列車内で話しかけ、途中下車して話し込んだり、下宿に連れてきたりしていました。それによって相当な数の人と話したのですが、そこから得られるものは余りありませんでした。今から思うと、一向に変化しない現状に対して、それを何とかしようと人から受ける刺激に期待していたのだろうと思います。
 自分の可能性を探る行動については、例えば高校時代から作家になりたいという気持ちがあり、何か小説みないなものが書けないかと何度か頑張ってみたことがありました。同世代の作家が出てくる度、自分もと思い、何か書こうと頑張っていたように思います。しかし、残念ならがいくら頑張っても小説のテーマもストーリーも、何も出て来ませんでした。それであるとき気づいたのです。自分には他人に伝えたいものが何もないに。伝えたいメッセージがないのに、形だけ何かを書こうとしてもダメだとわかったのです。それが分かった後は、小説家になろうとは思わなくなりました。
 その他には、自分に音楽の才能があったらと思い、大学の春休みにアルバイトで稼いだお金20万をつぎ込んで、シンセサイザーとシーケンサーを買ったことがありました。ピアノもオルガンも触ったことがないのに、いきなりシンセサイザーを買うとは、自分でもバカなヤツだと思います。結局、殆ど弾くことなくガラクタになってしまいました。
 あと、誰かと一緒に酒を呑むのが好きで、誘ったり誘われたりして時々酒を呑んでました。調子が出てくると終われなくなるタイプで、終電が過ぎてしまい、下宿まで何時間も歩いて帰ったり、始発電車まで呑み続けたりすることが多かったです。そんなに酒が強い訳でもないので、呑み過ぎて翌日の昼頃まで吐き続けたりしていました。
 そうこうしている間に、大学に入って3年が過ぎ、大学4年になりました。私は大学院に行くことを決めていましたので(というよりまだ就職する気になれなかったので)、大学院の受験のための勉強を嫌々ながら始めました。大学院も大学受験のように試験を受け、試験に合格する必要があるのでした。試験科目は、物理と英語が一般的なのですが、私は英語が苦手というか大嫌いで、大学院の受験のときも英語には苦しみました。物理も真面目に勉強していませんでしたから、大変だったように思います。よくあれで大学院が受かったなと思う程です。
 大学院は、3つ受けました。1つ目は国内屈指の研究機関に付設されたところで、2つ目と3つ目は、地方の国立大学の大学院で、現実的な観点から自分の実力に合ったところを選びました。結果は、やはり1つ目は合格に遠く及びませんでしたが、どうかなぁと思っていた2つ目、3つ目にはどうにか受かりました。


ーーーーーーーーーーーーーー 以下、有料です ーーーーーーーーーーーーーー


今回の記事では、大学入学後から27歳で就職するまでの出来事について書いています。
次回は、就職後から結婚前までの出来事について書く予定です。
そして、最終的な悟りの前後までのことを何回かに分けて書いていく予定です。

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇有料セッションのご案内はこちらです。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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自覚のヒント

2022年07月18日 16時22分59秒 | 自覚のヒント【有料】
このブログに書いてある自覚に関するエッセンスをひとつにまとめて、「自覚のヒント」という有料記事を書きました。
内容は、このブログのあちこちに書いているものが大半ですが、悟りの進捗に合わせて自覚の要領やポイントを整理しました。
文字数は約11000字で、文庫本にして約19ページ分です。
値段は3000円です。

興味のおありの方は、このリンク先のnoteサイトにてご購入ください。


【自覚のヒント】
【目次】

〇自覚について
・悟りと自覚
・悟り階層と自覚
・無我の誤解について
〇小悟に向けての自覚(最初の自覚)
・私に意識を向ける
・観る自覚
・行為の自覚と自我の主体性
・考えの自覚
・小悟に向けた自覚のポイント
〇大悟に向けての自覚
・私を捉え直す
・大悟に向けた自覚のポイント
〇解脱に向けての自覚
・再度私を捉え直す
・解脱に向けた自覚のポイント
〇滅尽定について
・滅尽定と悟りに関する考察
・滅尽定に至る方法



【自覚について】
◇悟りと自覚

 悟りとは、私という自我の囚われに気づき、それを手放していくことです。悟りの行程の歩み方には、漸悟と頓悟があります。漸悟は、囚われをひとつずつ手放して悟りの行程をゆっくり進んでいくものです。頓悟は、何らかの契機により囚われの手放しがまとまって生じることで悟りの行程を何ステップか飛ばして進むものです。おそらく殆どの方は、漸悟と頓悟を組み合わせながら、悟りの行程を進んでいくのだろうと思います。
 自覚は、私という自我が掴んだ囚われに気づくための手段です。私に意識を向けることで、自我が掴んだ囚われに気づきやすくなります。自覚を続けていくと、自我が掴んだ囚われに段々と気づくようになります。このため、自覚による悟りの行程の歩みは、漸悟になります。
 私という自我が存在するこの世界は、無数の考えがうごめく考えの海のようなものであり、複雑かつ無限です。彷徨う中で、「これだ!」と思って掴んだものも幻に過ぎず、悟りの行程に入ってもなお、迷います。そのような考えの海で、頼りになるのは私という自我だけです。自覚は、私という自我を頼りに考えの海を渡る船であり、手段です。そしてこの手段は、悟りの行程の最後まで使うことができます。これほど優れた手段は、おそらく他にはありません。

◇悟り階層と自覚

 悟りには、小悟、大悟、解脱の3つの階層があります。小悟は、良い悪い等の二元の囚われの手放しが凡そ済み、意識の表面にただ観ている意識である観照意識が現れた階層です。そして、囚われに対する手放しがさらに進み、ほぼ苦(根本苦)に対する囚われのみを残した状態になると大悟に至ります。大悟は、私という自我は意識であり、世界そのものであることを悟ります。最後に一切皆苦を悟ると、解脱に至ります。
 自覚の基本は、私に意識を向けることであり、これはどの悟り階層で行う自覚も同じです。しかし、悟りの進展に伴い、自我に希薄化や微妙な変化が生じるため、細かな部分で自覚のやり方やポイントが変わっていきます。そこで本書により、各悟り階層での自我感覚等の変化に応じた自覚のやり方やポイントをわかりやすくお伝えできたらと考えています。

◇無我の誤解について

 禅の頓悟も含め、何らかの悟り体験に伴い、悟りの行程を何ステップか飛び越えて悟りが進むときがあります。このような場合、急激な自我感覚の希薄化を伴うため、自分の自我が滅したという錯覚が起きやすいです。そして、多くの方は無我に至ったと勘違いし、誤った無我という考えに嵌まり込んでしまいます。
 悟りの概念として、原始仏典にも無我という概念が記載されておりますが、本来の無我は私が無いという意味ではありません。無我とは、一切に実体が無い、あるいは一切に絶対が無いという意味です。どんなに深く悟ろうと、私という自我が無くなることはありません。存在、あるいは世界が継続している以上、自我が無くなることはないのです。悟りの終着点は、無我ではないのです。


ーーーーーーーーーーーーー 以下、有料です ーーーーーーーーーーーーーー


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇有料セッションのご案内はこちらです。

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読んで頂いてありがとうございました。

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中国の銀行取り付け騒ぎは崩壊の兆候か(小声

2022年07月12日 12時10分02秒 | その他
何カ月か前から、中国では銀行の取り付け騒ぎが起こっているようです。
初めはいくつかの地方銀行から始まり、それが段々と拡大し、ついには国営の大手現行でも起こり始めたようです。
ひょっとすると、中国経済は一気に崩壊していくかもしれません。

これは、他人事ではありません。
いずれ我が国を含む他の先進国に波及するだろうと思います。
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