私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

近況など(仕事やセッションなど)

2015年06月30日 20時50分43秒 | 個人的なこと
◇近況など(仕事やセッションなど)◇

仕事について。
仕事は、障害者福祉施設での仕事を始めて2週間ほどになりますが、なんとかやっています。
最初は、仕事をすること自体がかなり久し振りだったのと、初めての仕事であるのとで、正直かなり大変だったのですが、少しずつ慣れてきたというか、落ち着いてきつつあります。
職場にいくと、何故か不思議と身体が自然に動いてくれるので、それも助かっています。
この様子なら暫くは続けられるかもしれないと思っています。

先日(6月28日)のセッションの報告等について。
28日のセッションでは、講話セッションに3名の方、個人セッションに2名の方、その後の雑談会に2名の方のご参加を頂きました。
前回の5月のセッションでは講話セッションの参加者が8名だったので、大分減りましたが、まあ当初の予想の通りという感じです。
次回も7月下旬ころの開催を予定していますが(予定が決まり次第、公表します)、次回はさらに参加者が減るのだろうと思っています。
参加者が1、2名くらいになったら、毎月開催から、隔月開催等の形に移行する予定です。

スカイプ雑談会について。
7月10日(金)午後8時~10時に、スカイプ雑談会(3回目)を開催する予定です(当初は7月12日に開催の予定でしたが、10日に変更しました、すみません)。
これについては、明日か今晩中にでも、このブログにて案内する予定です。

その他。
このブログに書いている悟り系の記事についてですが、自分の意識の焦点がいまは仕事の方に行っているのもあり、これと言った文章が浮かんできません。
このまま書かなくなってしまうということはないと思いますので、気長にお付き合い頂きたいと思います。

それと、久し振りに普通に仕事をしていての感想ですが、普通に仕事して生活していると、悟りなんてどうでもよくなってしまうというか、悟りに意識が向かなくなるというか、そんな感じになり、妙な新鮮さを感じています。
職場で一緒に働いている人たちは、悟りなんて関係のないかのような普通の人たちなのですが、その中で一緒に働いていると、自分も彼らと何一つ変わらない感じになるんです。
自分が普通の人間であるような感じになるんです。
その感覚が、ちょっと懐かしいというか、新鮮というか、不思議な感じなんです。

最終的な悟りに到達して以来、悟りを含めていろいろなことがよく分からなくなってきているのですが、仕事を始めて普通に過ごしていると、さらによく分からなくなってきているようにも思います。
悟りってなんだろう、よく分からんなあ、という感じなのです。
分かった気になっていたときもあったのになあ、さっぱり分からなくなってきてしもうたなあ、という感じなのです。
自分自身の悟りについても、さっぱり分からんわ、という感じなのです(笑)。

さっぱり分からん感じがする一方で、でも、悟り等に関して何か特定の考えを耳にすると、そのときは不思議と意識がパッと反応するんです。
例えば、その考えはここがこう違う等と直ぐに言葉が出てくるんです。
自分でもほんと不思議です(笑)。

まあ、こんな感じでやっていますし、これからも暫くはこんな感じでやっていきます。(^o^)


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


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個人的なこと(仕事など)

2015年06月17日 20時03分31秒 | 個人的なこと
◇個人的なこと(仕事など)◇

仕事について。
実は今週から、先日から就職活動中だった介護関係の仕事に採用が決まり、働いています。
職場に行くと、割と普通に身体が動いてくれるものあり、いまのところ、意外なほど普通に仕事できています。

しかし、仕事をすること自体がかなり久し振りであるのと、初めての仕事であることもあり、かなり疲れています。
家に帰ってくると、放心状態です。

そんなこともあり、このブログの記事を書くことにまで手が回らない状況です。
気長にお付き合いいただければ思います。
仕事の状況等については、また報告したいと思っています。

6月28日の講話セッション、個人セッションは予定通り開催しますので、興味のおありの方は気軽にご参加頂ければと思います。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

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さまざまな道のり(2)

2015年06月13日 22時10分13秒 | その他
◇さまざまな道のり(2)◇

ヤフーニュースに神戸連続殺人事件の元加害少年が手記を出版することになった経緯に関する編集者のインタビュー記事が載っていました(リンクはこれです)。


<以下、ニュース記事のコピーです>

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の犯人男性(32)が6月10日、事件を起こした経緯やその後の人生をつづった手記を出版したことが、大きな波紋を広げている。

事前に出版を知らされていなかったという事件の遺族が、あいついでマスコミにコメントを発表。殺害された土師淳くん(当時11歳)の父親守さん(59)は「少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」。山下彩花ちゃん(当時10歳)の母親、京子さん(59)は「何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです」と問いかけた。

Amazonのカスタマーレビューには「評価に値しない」とか「世に出してはならない本」といった酷評が並んでいる。また、遺族に無断で本を発行したことなどについて、版元の太田出版(東京)には抗議の電話が殺到しているという。男性は今年3月、仲介者を通じて原稿を同社に持ち込んだというが、いったいどのような意図で出版に至ったのか。編集を担当した太田出版取締役の落合美砂さんに話を聞いた。(取材・渡邉一樹)

●遺族の批判を覚悟したうえで「出版」した理由とは?

男性が「元少年A」という名義で出版した手記は、ハードカバー294ページ。「絶歌」というタイトルが付けられている。

手記は2部構成で、第1部は当時14歳だった筆者が逮捕され「少年Aになった日」のエピソードから始まる。中心となっているのは事件を起こした1997年当時のことだが、殺人そのものについての描写は簡潔で、むしろそこに至ってしまった彼自身の心境が、松任谷由実さんの歌詞や、ドストエフスキー『罪と罰』などの引用も交えながら、独特の文体で語られている。

たとえば「ちぎれた錨(いかり)」という章では、「僕の人生が少しずつ脇道へと逸れていくことになった最初のきっかけは、最愛の祖母の死だった」と明かされる。

そして続く「原罪」という章で、男性は次のように告白している。

「僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した」。「僕の中で"性"と"死"が"罪悪感"という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった」。

一方、第2部では、21歳だった2004年、医療少年院を出て、再び社会に復帰してから、現在に至るまでの出来事が語られる。保護観察、更生保護施設、里親になってくれた家族とのエピソード、自立しネットカフェやカプセルホテルを泊まり歩く生活に、事件が色濃く影を落としている様子が語られる。被害者遺族への贖罪の気持ちや、家族への感謝の気持ちもふまえて、今回の手記を書いた経緯がつづられている。

そして、本の末尾には「被害者のご家族の皆様へ」「皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です」とする謝罪文が添えられている。

このように批判を覚悟していたということだが、遺族らの感情を逆なでしてまで「手記」を出そうとしたのは、なぜなのか。原稿の提案を受けた太田出版が、出版に踏み切ったのは、どうしてなのか。

●「赤を入れて直したところはない」

——太田出版には、抗議の電話が殺到しているということですが・・・

「特にワイドショーで取り上げられた後は、すごいですね。『こんな本をなんで出すんだ?』という論調で取り上げられ、それと同じ趣旨の抗議電話が数多くありました。

ただ当初の抗議は、本を読んでいない、見てもいないという人たちばかりでした。6月12日になると、実際に書店で買って読んだという方から、『感動した』『参考になった』といった声も数は少ないですがありました」

——全294ページ。事件の経緯や、事件を起こした際の心の動き、反省の言葉などが、かなり独特な表現で書かれています。この本はいったいどこまで本人が書いたものなのですか。

「編集者として、ここは説明不足なので加筆してほしいとか、ここは削除してほしい、ここは言い換えてほしいみたいなことは言いました。しかし、基本的には、私が手を入れることはありませんでした。ちょっと手は入れられない原稿というか・・・。

独自の文体をもっていらっしゃったので、加筆するにしても、こういった趣旨のことを加筆してほしいと伝えて、全部、彼にやってもらいました。指示は出しましたが、具体的に私が赤を入れて、直したところはないですね」

——原稿を受け取った立場として、どういう意図で出版に応じたのでしょうか。

「彼のような少年が起こした事件について、少年審判が始まってから後のことは、審判の過程も含めてあまり公表されていません。また、社会復帰をしたあと、どうなっているかということも、ほとんど語られていません。

少年事件の当事者が、きちんと自分の言葉で、そうしたことを語ったというのは、初めてだと思います。その手記はやはり貴重なのではないかと思いました。

手記を読んだとき、個人的にすごいなと感じたのは、彼が少年院を仮退院した後、保護司さんや里親、更生保護施設などから、ものすごいフォローを受けていたことです。罪を犯した少年が更生するために、これだけ様々な人が力を貸しているんだということを、ある種の驚きを持って読みました。

ここは、全然知られていないところです。少年を更生するために、いろいろな方々がほとんどボランティアみたいな形で力を尽くしている。もちろん、制度について大まかな話を聞いたことはありましたが、ここまで細やかなフォローをしながら、社会に慣れさせて、段階を踏んで更生する形になっているとは・・・。今回、手記を読んで、初めて知りました」

——いろいろな意味で影響が大きい本だと思いますが、本を出すことに躊躇はなかったのですか。特に、神戸連続少年殺傷事件については、影響を受けたという少年少女が出てきていましたが・・・。

「本というのは、良きにつけ悪しきにつけ、多かれ少なかれ、他人に影響を与えるものだと思います。

彼は、この事件についてテレビで企画された討論会で、ある男の子が発した『なぜ人を殺してはいけないのか?』という質問に、大人たちが答えられなかったというエピソードを紹介したうえで、彼の体験を通じた、彼なりの答えを用意しています。そこを読んでもらえればと思います」

手記の中で、元少年Aは、今ならこの問いに次のように回答すると記している。

《「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」

哲学的な捻りも何もない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうち回って生き、やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった。》

●「異常な記憶力と感じた」

——ところで、手記のエピソードは、どこまで本当なのでしょうか。彼がどこまで真実を語っているのかについては、どう感じられましたか。記憶が間違っているとか、あえて都合の良いように書いているということはないでしょうか。

「記憶が間違っていることはおそらくないと思います。なぜなら、あそこまで細かく描写できるのは、場面が脳にシーンとして刻まれているからだと思います。手記は、記憶の再現だと思います。本当に記憶力が良く、特に視覚における記憶力が並外れていますね。

たとえば、先ほど私が『削ってもらった』と言った場面の一つが、最初の取り調べのシーンで、最初の原稿ではとにかく人物がめちゃくちゃ克明に描かれていました。これは本人が特定できるなというぐらいの描写なんですよ。部屋の様子なども含めて、鮮明に覚えているのだと思います。そこで交わされた会話も含めて、異常な記憶力だと感じました」

——第1部は文学的な表現も多く、創作的なところもあるのではないかと思いましたが・・・

「たとえば、(凶器を捨てた)池についての描写とかは、文学的な表現を使っていますけれども、私には、たぶん彼の目にはそういう風に見えていたんだろう、という感じがしました」

——あえてあのような表現を用いることで、当時の感覚を再現しようとしたということですか?

「そうだと思います。だから少年時代の第1部と、第2部では文体が大きく違っていて、第1部は『あの当時』のことを鮮明に思い出して、当時自分が考えたこととかそういったことを懸命に思い出して、それを書いている。だから、第1部は14歳の少年っぽい心理描写にもなっています」

——確かに、第1部を読んでいるときは、この人は14歳のまま止まっているのではないかと思いました。

「それに対して第2部は更生施設を出てきた後の、『その時の自分』として書いていると思います」

——ほとんど手を入れていないということでしたが、ひとりの素人が、ここまで本を作りこんでくることは、よくあるのですか。

「全くの素人でも、細かく作ってくる人はいますが、ここまで完成度の高いものは初めてで、経験がないですね。タイトルも見出しも、全部自分で付けて、口絵の写真も入れたいという形で、持ち込みのときには、構成も全部このまんまでした。

大きな直しは個人が特定できる部分を削ったりとかぐらいで、あとは、ここは分かりづらいので言葉を変えてくれとか、それぐらいですね」

——ドストエフスキーなどの引用が、数多くなされていますが、それもそのままですか。

「引用も全部入ってました。そのまま。しかも、引用が一字一句間違っていなかった。突き合わせをしたときにおどろきました」

——「絶歌」というタイトルは、どういう意味なのですか。

「それは、本人が『どうしても』と、決めていらしてですね、本文にも説明がないので、造語だと思うんですけど、正直言ってどういう意味かというのはですね、聞いても説明がなかったですね。最初から『このタイトルで行きたい』ということだったので、『じゃあ』という感じで・・・」

——本を出版したことに対する反応、批判は、本人にも伝わっているのでしょうか?

「本が出て以降、出版社側からは、事務的な連絡以外はしていません。あんまりいろいろ連絡をしたりすると、それによって彼の居場所が分かったりするのはよくないので、基本的に刊行後はできるだけ接触は避けています」

——いま、こういう状態になっていることは、本人もおわかりにはなっているのでしょうか。

「それは、テレビやメディアは見ているでしょうから、分かっていると思います」

——コメントを出す予定は?

「それはないですね。取材を受ける予定は一切ありません。この本そのものが、彼自身の考えなので。これ以上コメントを出すということはないと思います」

——遺族には、すでに本を送られたのでしょうか。

「本人は、出版について事前には連絡しないと決めたときに、事後報告になってしまったことと、本をどうしても出さなくちゃいけなかったというお詫びの手紙を付けて献本すると言っていました。

ただ、彼自身にも遺族の方々の連絡先は分からず、仲介の方を通じてということだったので、実際に届いたかどうかの確認はできていないと思います」

——初版10万部ということですが、著者が受け取ることになる「印税」について、彼は何か遺族のために使う予定はあるのでしょうか。

「著者本人は、被害者への賠償金の支払いにも充てると話しています。これまで著者自身としては微々たる額しか、支払えていなかったということですので」

●「どうしても書かずにはいられなかった」

——彩花ちゃんのお母さんは「何のために手記を出版したのか本当の動機が知りたいです」とコメントを発表されました。彼は本当は、どういう気持ちで本を書いたのでしょうか。そして、それを発表しなければならなかった理由は、どこにあるのでしょうか?

「私はこの手記全体が、遺族の方々、いろいろな彼を支えてきた人、あるいは自分の家族への長い手紙というか、支えてくれた人にはお礼の手紙であり、遺族の方々にはお詫びの手紙として書かれたものだなという気がしました。

彼は2004年を最後に自分自身の家族にも会っていません。彼が出てきてから、いろいろな方に世話になった。手記の最後には、ご遺族への謝罪文も付けられています。

手記では、いま自分自身がどうしているのか、自分がいる場所を確かめたいということも書いています。手記を書いたのは、そういった気持ちに加えて、自分がここまで来られた感謝とお詫びの気持ちがあるという風に、私は読みました。

2年以上かけて、自分の過去と向き合って書いていったので、一つは表現欲もあったと思うんですけれど、本の形にして残したいという思いがあったのでしょう。二度と会えない人たちに届ける意味もあると思います」

——ご遺族に事前に説明がなかったのは、なぜですか?

「彼としては、許可を求めても、却下されるだろうということもあったのだと思います。土師さんの気持ちを裏切ることになるというのが分かっていても、出したかったということだと思うんですよ。

本を出すことによって、自分の家族も、遺族の方々も、彼自身も、再び注目を浴びます。それこそ彼自身にとっても、今どこにいるかを探されたりとか、いろんな危険性もあるし、人を傷つけるということも可能性としてはあるという話をしたのですが、やはり『どうしても出したい』ということで、こういう形になりました」

——最後に謝罪文がありますが、それを入れようということになった経緯はどういったものですか?

「最後に謝罪文を付けるという構成も、彼が書いてきたそのままです。私が(原稿を)読んときには、もうあの形で入っていました。こちらで『書いてください』とか、そういった要望は一切出していません」

この「謝罪文」は次のような言葉で結ばれている。

《本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません。

せめて、この本の中に、皆様の「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの一行でもあってくれればと願ってやみません。

土師淳君、山下彩花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。》


<記事コピー、ここまで>


この記事を読んでも、もちろん分かりかねる部分はあるのですが、なんとなく、元加害少年の心境が少し分かったような気がしました。

私としては、彼はそれなりの内省をしているのだろうと思います。


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足下の苦に気づく

2015年06月13日 07時44分39秒 | 悟り
◇足下の苦に気づく◇

みなさんはどうして、楽や幸福を求めるのでしょう。
希望や理想を追うのでしょう。
大凡多くの方は、いつも忙しく何かを追い求めているか、それが上手くできない自分を責め、さげすみ続けてているかのどちらかです。
あるいは、自らが得たと思い込んでいる幸福を、それが幻だとも知らずに握り締め、高らかに周囲に誇っている方もおられます。

どうしてそのように、楽や幸福に執着し、囚われるのでしょう。
そうやって延々と楽を追っておられますが、あなたの望む楽は得られたでしょうか?
ただ衝動的に幸福を追うのではなく、幸福を追っている自分自身の姿を冷静に省みてください。

あなたの足下には、苦があるのではありませんか?

不足感やもどかしさ等の苦を感じているから、そうやって楽に囚われ、楽を追い求めてしまうのではありませんか?

何か現象を切っ掛けとしてあなたの衝動が起こるとき、そこには苦がありませんか?

苦があなたの衝動を引き起こしているのではありませんか?

その苦は常にあるものではありませんか?


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依存と感情

2015年06月12日 16時17分41秒 | 悟り
◇依存と感情◇

依存と感情の関係について書いてみます。

多くの方は、何か出来事があると怒ったりして、感情的になります。
嫌な相手に対してほど、強い感情が起こってきたりします。

そこには、あなたが嫌いなその相手に対するあなたの依存があります。
強い感情が起こる程、あなたは強くその相手に依存している訳です。
その相手のことで始終感情的になっている人は、その相手に対してどっぷりと依存していることになります。

そんなことは無いと、わなたは否定されるでしょうが、私は、いいえそんなことは無いですよ、と言います。
そもそも、依存していないと、そんな強い感情など起こるはずがないのです。
仮に強い感情が起こっても、時が経てばスッと流れていくはずなのです。
感情が留まり、その感情が繰り返し起こってくるのは、依存がある証拠なのです。

依存には、いろいろなものがあります。
相手のことを大切に思う余り生じる依存もあります。
逆に相手に否定的な考えを握り締めることにより生じる依存もあります。

この依存という観点から、あなたとあなたの周りとの関係を見つめ直してみて頂きたいと思います。

あなたの依存が見えてくると思います。


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現象に関与しようとする衝動に気づく

2015年06月11日 11時00分34秒 | 悟り
◇現象に関与しようとする衝動に気づく◇

出来事はただ起こってきて、過ぎ去っていきます。
あなたの内面に起こる感情や思考も、ただ起こってきているものであり、過ぎ去っていくものです。
つまり、ただ現象が起こっているだけなのです。
あなたの内面で起こる感情や思考も、ただの現象にすぎません。

そのようにただ現象が起こっているだけなのに、私という自我は、その現象を自分の都合よく解釈し、それに関与しようとします。
いくらやっても切りがありません。

ただ起こってくる現象を都合よく解釈している自分自身に気づいてください。

ただ起こってくる現象に、自分の都合で関与しようとするその衝動に気づいてください。

あなたの都合の良さを見逃さないでください。

あなたの都合でやっているその衝動を野放しにしないでください。

その衝動に呑み込まれないでください。

衝動の奴隷にならないでください。

衝動にあなたの主導権(主体性)を譲らないでください。


あなたは、衝動に翻弄され続けているいまのままでいいのですか?


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大切なことは身近なところにすべてある

2015年06月10日 16時12分43秒 | 悟り
◇大切なことは身近なところにすべてある◇

悟りを得るために、聖者に会う必要もないし、どこか特別なところに行く必要もありません。

大切なことは、あなたの身近にすべてあります。
もっと言えば、日常を生きる中であなたの内面に生じる心の動きにそれはあります。

中でも、日常を生きる中で生じる満足感や納得感は特に大切です。
例えば、結果はどうであれ、「やるだけはやった」、あるいは、「自分は精一杯やっている」という後悔の無い納得感です。

多くの方の場合、その方のやりたいことや大切なことは、日常の中にあるのだろうと私は思っています。
大切なことが日常の中にあるのに、それをなおざりにして、野山の中や、どこかの修行集団の中に逃げ出しても、悟りが成就できるはずはないのです。
ここに、そのような方々の悟りが成就しない原因の一つがあるのだろうと私は思っています。
大切なこと、自分の本心から逃げているのに、そもそものところで成就するはずがないのです。

あなたの一番大切なことはなんですか?
あなたは悟りに逃げていませんか?
悟りは逃げ場ではありませんよ。


後悔を抱えて生きておられる方に申し上げたいことがあります。
自分にとってとても大切なことをやり過ごしてしまったと、後悔している方がおられるかもしれません。
何かやりたいことがあったなに、それにチャレンジしなかった自分を後悔したり、
頑張りきれなかったことを後悔したり、
何かの選択を誤ったことを後悔したり、
大切な人を失ったことに対する様々な後悔があったり、
後悔の内容は様々だと思います。

後悔による苦しい気持ちは分かりますが、後悔しても仕方が無いということを早く分かって頂きたいと思います。
いくら後悔しても、過去は過ぎたことであり、もうどうにもなりません。
大切なのは、「いま」です。
いまの自分であり、いま自分にとって何が大切かです。
早くそこに気づいて頂きたいと思います。

これ以上、後悔しても仕方ありません。
もう後悔は十分されました。
これ以上後悔しないためにも、「いまの自分」、「いま自分の一番大切なこと」に精一杯取り組んでください。


自分にとって何が一番大切なのか。
このブログで紹介してます自覚は、それを知る手段としてもとても有効です。
ぜひ、自覚をやってみて頂きたいと思います。
ご自分の本心と向き合って頂きたいと思います。

そして、自覚を友として、あなたの日常を生きて頂きたいと思います。


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さまざまな道のり(1)

2015年06月10日 08時26分51秒 | その他
◇さまざまな道のり(1)◇

神戸連続児童殺傷事件の加害男性の手記が出版されることになったそうです(ヤフーニュースへのリンク)。

心を動かされる部分がありましたので、メモしておこうと思いました。


<以下、ニュース記事のコピーです>

1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)が、「元少年A」の名で手記「絶歌」(太田出版)を出す。犯行に至った経緯や事件後の生活、現在の心境などをつづっている。早ければ10日から書店に並ぶ。

 太田出版の岡聡社長は「少年犯罪が社会を驚愕(きょうがく)させている中で、彼の心に何があったのか社会は知るべきだと思った」と出版の意図を説明。「本は本人の手紙を添えて遺族に届けたい」と話している。

 当時14歳だった元少年は、97年2~5月に同じ区内に住む児童5人を襲い、小4の女児と小6の男児を殺害、3人に重軽傷を負わせた。事件は社会に大きな衝撃を与え、刑事罰の対象年齢を16歳から14歳に引き下げる少年法改正のきっかけにもなった。

 手記は全294ページ。「精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んできた」として事件前からの性衝動を明かし、犯行に至るまでの自身の精神状況を振り返っている。

 また後半では2004年に医療少年院を仮退院後、家族と離れて身元を隠し、溶接工や日雇いアルバイトで暮らしていたことを書き記している。現実社会の厳しさに直面しつつ、周囲の人々の支えによって罪と向き合う姿がつづられる。一方で「自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた」などとして、書くことが生きる支えになっていたことも明かしている。巻末では「被害者のご家族の皆様へ」と題し、「どれほど大切なかけがえのない存在を、皆様から奪ってしまったのかを、思い知るようになりました」とつづった。

<コピー、ここまで>


「どれほど大切なかけがえのない存在を、皆様から奪ってしまったのかを、思い知るようになりました」

何か言いたいのですが、言葉にならないです。


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どこに逃げようと言うのか

2015年06月06日 08時53分43秒 | 悟り
◇どこに逃げようと言うのか◇

あなたは、すべてが考えであり幻であるということが分かっておられるのかもしれない。
しかし、あなたの心の衝動はまだ止まっていないようです。
いまもあなたの心は忙しく何かを求めて彷徨っている。

そうやって、あなたが彷徨ってしまうのは私にもよく分かります。
あなたの身体、否、あなたそのものが苦しみの炎で燃えているからです。
その苦しみの炎をどうにかしようと必死になるのは無理もありません。

しかし、一度冷静になって、周りをよく見渡してみてください。

どこに逃げようというのですか?

本当にどこかに逃げ場はあると思いますか?

その苦しみの炎ですが、それはどうにかなるようなものですか?

それは常にあるものではないですか?


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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否定と肯定と悟りの階梯

2015年06月06日 08時20分59秒 | 悟り
◇否定と肯定と悟りの階梯◇

否定と肯定について改めて書いてみようと思いました。

否定と肯定は、意識の使い方がまるっきり異なります。
悟りの階梯のそれが有効に作用する段階もまるっきり違っています。

肯定が最も有効に作用するのは、小悟(明け渡し)を得る段階やその直ぐ後の段階です。
この段階では、受け入れ、特に外側に向けた受け入れが有効に作用しますから、それにはすべてを肯定していくという意識の使い方がとても有効になります。
これを徹底することで、小悟のゲートを超えて、小悟階層の大凡中間点であるすべてはニュートラルであるということを理解する段階まで至ることができます。

しかし、肯定が有効に作用するのはこのあたりまでなのだろうと思っています。
肯定は、受け入れや意識を拡大させる方向に作用します。
このため、肯定の意識の使い方では、どうしても意識が緩慢になり、私という自我の足下の細かな囚われや意識の動き(迷い)になかなか気付けないのです。

一方、否定はそれを徹底することで、必然的に意識を「私」の内面に振り向けさせ、引き締める作用があります。
あらゆる対象を徹底的に否定することにより、「私」の意識は中心に向けて凝縮されていくとともに、自分自身の足場や拠り所も崩れ去っていきます。
小悟階層の途中からは、肯定よりもこのような否定が有効に作用するようになっていきます。

私という自我は、自我が握り締めた考えである幻(囚われ)や、その囚われから誘発される感情や思考等の考えでできた幻の雲のようなものですから、それらが考えであり雲であるということを見破っていくためには、肯定よりも否定が有効なのです。

否定を使った具体的なやり方としては、自覚がそれです。
自覚は、五感を使って経験することや、内面に起こってくる感情や思考等のすべてのことを「私の考え」として自覚しますから、本質的に否定を含んでいるのです。

大凡すべてのことがらを考え(幻)だとして否定できたときに、自分自身も含めて、すべては考えだという理解が附に落ちます。

そうしたら、あとはそれでも残りかすのように残っているいくつかの囚われに対して、それに気づくことで手放していきます。
そして最後は、私という存在の根本である苦と向き合うことになります。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

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雑記(仕事などいろいろ)

2015年06月04日 16時11分08秒 | その他
◇雑記(仕事などいろいろ)◇

ここ2週間ばかし、どうも身体がしんどくて、頭もぼーっとしてます。
それでも、不思議と出来事は起こってきて、私の身体もそれに引き摺り込まれるようにして動きます。

悟り系の文章は、ここのところ余り出て来ません。
いまはそういう時期のようです。
気長にお付き合いいただきたいと思います。

障害者福祉施設への就職活動の件ですが、どうやら思った通りの展開と言いますか、方向で話が進んでいます。
取りあえずは暫くの間、臨時職員という形で採用していただき、実際に働いてみるこということになりそうです。
いまは、健康診断の結果を待って採否の最終決定があるのを待っているところです。
働き始めるのは、今月の下旬ころからになりそうです。

本当に身体が動くのか、また身体が持つのか、不透明ではありますが、やるだけやってみようと思っています。
ダメなときは、無理をせず、すみませんでしたと詫びを入れて撤退しようと思っています(もう無理はできませんから、笑)。

この仕事の件は、気になっている方もおられると思うので、定期的にここに報告したいと思っています。

今週土曜の夜8時からのスカイプ雑談会は、予定通りやる予定です。
現在、4、5名の方から参加のご希望を頂いています。
気軽にご参加頂きたいと思います。
自覚に関する質問等も大丈夫です。
スカイプ雑談会のご案内はこちらです。

6月28日(日)には、講話セッションと個人セッションも開催しますので、興味がおありの方は気軽にお問合せ、又はご参加ください。
ご案内はこちら(講話個人)です。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

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スカイプ雑談会(2回目)のご案内

2015年06月01日 20時39分18秒 | その他
◇スカイプ雑談会(2回目)のご案内◇

スカイプ雑談会の第二回目について、ご案内いたします。

 ◇開催日時 : 6月6日(土)午後8時から10時(少々の延長可能性有り)
            途中入退場、大丈夫です

 ◇参加費用 : 無料です

 ◇雑談会の趣旨 : なんでもありの単なる雑談会です
               しゃべったらダメなことは何もありません          

 ◇方法は、スカイプの音声通話(今回は画像は無しです)を使って行います
  なお、スカイプは、インターネットを使って無料でビデオ通話、音声通話、チャット等ができる大変ポピュラーで安全性の高い無料ソフトです
  このサイトから無料でダウロード及びインストールできます
  パソコンに対応したものや、各種スマホに対応したものが用意されています

 ◇参加要領等
  
  ・参加を希望される方は、下記のメールアドレスにメールでその旨をご連絡ください
   折り返し、私のスカイプIDをご連絡しますので、そのIDをスカイプID検索で検索して頂き、私のIDに宛に連絡リスト登録申請を送信してください
   既に私のスカイプIDをご存知の方は、スカイプチャットで参加希望のご連絡をいただいても結構です
   これで準備はオッケーです
   何らかの方法で既に参加の意志をお伝え頂いている方につきましては、再度のご連絡は不要です
   
    メールアドレスは、suiku☆xsj.biglobe.ne.jp(☆を@に替えて下さい)です
  
  ・雑談会当日は、開始予定時間の10分前になりましたら、スカイプのモードをオンラインモード(グリーンのモード)に切り替えてお待ちください
   時間になりましたら、こちらからコールいたしますので、そのコールを受信してください
  ・途中で送れて参加を希望される場合は、スカイプチャットで私のスカイプID宛に、参加したい旨をご連絡ください
   こちらから、コールいたします
  ・途中で退場される場合は、そのまま通話をお切りください

 ◇参加者定員 : 20人程度
             先着順で締め切らせていただきます
             と言いましても、定員オーバーとなることはまずないと思います
             1回目の参加者は私を含めて7名でしたから(^o^)
         
 ◇次回の日程等 : 次回の雑談会は、まだ未定ですが6月末か7月初めころに開催したいと思っています
               日程が決まり次第、ここに書きます
               基本的には今後は、月に1回くらいのペースで続けていきたいと思っています


  それでは、ご連絡をお待ちしております


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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確信と囚われ

2015年06月01日 09時17分12秒 | 悟り
◇確信と囚われ◇

悟りの道を歩んでいると、いくつかの特徴的な理解(気づき)やそれに伴う確信が生じることがあります。
例えば、言葉で言うと、神、根源、真我、全体、不二、ニュートラル、無、空などです。
感覚的なもので言えば、幸福感、無我や観照の感覚、見るものは見られるものという主客の統合感などです。

この「確信」という感触、これは悟りの行程において気づきに伴って生じる極めて当たり前の感触ですが、これがとてもやっかいなのです。
それが起こった瞬間、そのとき得た気づき等の理解や感覚を、「これだ!」と握り締めてしまうのです。
そして、握り締めた人はそれの握り締めた考えを外に向かって主張したりします(そういう私も散々やってきましたが、笑)。

「確信」とは、その文字の通り、何かをしっかりと信じてる訳なんです。
つまり、何かをしっかりと握り締めている訳です。

そのままでは、それまで握り締めていた考えを、その何か別の考えに握り替えただけです。

ですから、悟りの道を歩んでおられる方で、自分に何か確信がある方は、その確信についてまずは疑って頂きたいと思います。
あなたは考えである幻を後生大事に抱え込んでいる可能性があります。

誰がそれを確信しているのですか?

誰がそれを絶対に間違いないと考えているのですか?

あなたでしょ?

そもそも、この世界に絶対に間違いないなんて断言できることなどあるのでしょうか?

ご自分の口から確信を持って放たれているその言葉について、一度振り返ってみて頂きたいと思います。


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