私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却

2019年11月12日 16時04分35秒 | 私の体験
◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却◇

久しぶりの記事更新です。
悟り呆けからの脱却というテーマで、私の悟り体験である解脱の悟り後のことについて書きます。

まず最初に、悟り呆けについて説明します。
悟りには階層があり、階層ごとに特徴があります。
そして、その各悟り階層に至った後で、その階層に関連した精神的な後遺症のような状態が暫くの間続きます。
その後遺症のような状態は、その状態に固執するか否かでその後の変化は異なるようですが、多くの場合次第に薄れていき、通常の意識状態に戻っていきます。
ここでは、この悟り後の後遺症のような精神状態のことを悟り呆けと言っています。

具体的に悟り呆けとはどのような状態かと言いますと、分かりやすい例は明け渡し系の体験に伴うものだと思います。
よくある例としては、明け渡し体験によって、あり得ない程ハートフルになったり、些細なことまでいちいち有り難がるようになったり、理由なく幸福感が続いたりします。
激しい例だと、明け渡しに伴って放心状態になり、何もできなくなってしまい、自分で食事を摂ることさえままならなくなる例もあるようです。

前置きはこの辺りにして、私の悟りの行程は、2012年12月の明け渡し体験から始まり、2014年2月の解脱の悟りで終わりました。
私の場合、最初の明け渡し体験の影響がとても強かったようで、その影響がつい最近である2019年夏頃まで続いていたようです。
具体的には、普通じゃない程のハートフルな感覚や、いろいろなことを過剰に良い方に捉えてしまうような状態が徐々に薄れながらも6年半以上も続いていました。
そのような後遺症的な影響の大半が抜けたことで、自分が悟り呆けだったんだと気づくようになったんだと考えています。
最近になって、自分でやっと素面(しらふ)になってきたと思うようになりました。

自分が悟り呆けだったことにどうして気づいたのかと言いますと、現在の職場やその経営者に対する自分の見る目がここ1年くらいでガラッと180度変わったことが切っ掛けでした。
以前は職場や経営者のことを良い職場であり、良い経営者だと考えていました。
詳しくは書きませんが、それがこの1年くらでガラッとひっくり返ってしまったのです。
余談ですが、現在今の職場を脱出すべく、転職計画中です(笑)。

では、悟り呆けから脱却した今の状態はどんな状態かと言いますと、迷いの無いスッキリとした悟りの意識と、普通の日常的な意識というか感覚(素の個性とでも言いましょうか、表現が難しいです)が一体になっているような状態です。
悟る前の状態に戻ったのかと言うと、それはハッキリと違います。
迷いが無いですから、とてもスッキリしているし、安定しています。
何かに囚われることもありませんから、振り回されたり、混乱することもありません。
今は悟り呆けによるハートフルの色眼鏡が取れたので、さらにスッキリしています。

私としては、そのように普通の状態に戻ったことを歓迎していて、やっと素面になったと喜んでいます。
もう53になるのですが、ここからもう一度人生の活動期(第二の青年期とでも言いましょうか)を迎えたような感覚があり、ここから何をしようか考えているところです。

あと何を書けばいいのだろうと考えているのですが、余り日常の具体的な内容を書く訳にもいかないんので、手が止まってしまいました。
いつものようにまとまりのない内容ですが、このままアップします。
何か思い付けば、書き足します。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。
スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。
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読んで頂いてありがとうございました。

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