私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

あなたは既にそれです

2013年08月30日 09時19分33秒 | エッセイ
◇あなたは既にそれです◇

大いなる存在、真我、神、仏など、どんな言葉を使われても結構です。

あなたは既にそれなのです。

あなたが、いまどのような状況におかれていようと、どのようなことを考え、行動していようと、あなたは既にそれなのです。

あなたは常にそれそのものなのです。

何かを変える必要もないし、何かを得る必要も、何かを捨てる必要もありません。

あなたはただ、その真理を受け入れるだけでいいのです。


次は来週月曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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為すべきことは常に目の前にある

2013年08月28日 10時03分10秒 | 悟り
実はここ数日、また仕事が手に着かずに苦しんでおります。
昨日、自分が仕事をすることにどうしてこれほどまでに手こずるのかと不思議に思い、もう一度自分を見つめてみようと自覚に入りました。
すると、半ば内面から沸き上がってくるようにして、あるいはどこから降りてくるようにして、メッセージのような文章が浮かんできました。

表層意識の私としては、その内容をまだ消化しかねる部分があるのですが、ここ数ヶ月の間ずっともやもやしていた部分の霧が少し晴れたように思います。

ここに来られる方の中にも、この文章が役に立つ方がおられるかも知れないと思い、今日はその文章をできるだけそのままにここに書かせていただきます。

なお、下記の文章中の「対象」は、ご自分がいま置かれている立場、仕事(役目)、環境など、ぴたっとくるものに置き換えてください。
そして連想を働かせてください。
私の場合は、仕事(役目)がその対象でした(しかし、これにはもっと奥があるようです)。
また、「自覚」とは、自分を観ることです。


◇為すべきことは常に目の前にある◇

何をやるかは重要ではない。

いかに自覚しているかが重要なのである。

感覚は当てにならない。

感覚はエゴのテリトリーである。

感覚に惑わされてはならない。

目の前の現実に向き会え。

そしてそれに取り組め。

お前の為すべきことは、常にお前の目の前にある。

お前は目の前の現実から逃れようとしている。

苦しいから逃れるのか?

他にやりたいことがあるというのか?

仮にお前が取り組む対象を、目の前の対象から別の対象に取り替えたとしよう。

お前はそれで本当に楽になれると思っているのか?

残念ながらそうはならないのだよ。

お前はいずれその対象からも逃げ出したくなるのだよ。

そうやってお前は延々とそれを繰り返してきたのだよ。

言ったではないか。

何をやっても同じだと。

いかに自覚しているかが重要なんだと。

それがすべてと言ってもいい。

何をやっても同じなら、目の前の対象に取り組めばいいのだ。

わざわざ取り組む対象を替える必要はないのだ。

お前の対象に対する無用な分別がなくなったとき、お前は自然と次の対象に導かれるだろう。

次は今週金曜日にでも書かせていただきます。
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道は各自が決めるもの

2013年08月26日 09時48分12秒 | エッセイ
◇道は各自が決めるもの◇

人が歩む道は人それぞれ。
どの道を歩むかは各自の自由です。
各自が自分で決めることです。
自分で決めるしかないのです。
これまでもそうだし、これからもずっとそうなのです。

あなたも、自分の道は自分で決めてきたでしょう?
そして、これからもそうしていくでしょう?

みんなそうなのです。

他人ができることは、その人が行こうとしている場所への道を教えてあげることくらいです。
その場合でも、最終的に道を決めるのは、やっぱりその人自身なのです。

しかし、私たちはついお節介が過ぎてしまいます。
他人の目的地や通るべき道まで決めたがります。

それはどうしてでしょう?

あなたはそれを「愛」というかも知れません。
でもそれは本当に「愛」でしょうか?

満足感や評価など、何らかの報酬を期待していないでしょうか?

あなたから見ると、危なっかしく思え、つい世話を焼きたくなるのかも知れません。
でもそこを堪えて、その人の歩みを尊重してあげてください。
なぜなら、それがその人の意志なのですから。


次は今週水曜日にでも書かせていただきます。
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私はすべてです

2013年08月23日 09時14分10秒 | エッセイ
◇私はすべてです◇

私の中には、この自分という存在の他に、ありとあらゆる存在が含まれています。

歴史上の偉人も、悪名高き存在も、すべて私の中に入っています。

なぜなら、私はすべてだから。


これは間違いなく本当のことです。

だから、私は何にでもなれるのです。

私が考え得るとびっきりのすばらしい存在になり、生きることもできるのです。


でも、私はそれにはあまり興味を感じません。

なぜなら、私はすべてであり、何かになる必要がないからです。


次は来週月曜日にでも書かせていただきます。
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比較する心

2013年08月21日 09時06分28秒 | 悟り
◇比較する心◇

私たちは何でも比較したがります。
悟りを得る前は、収入や容姿といった自分の持ちものを誰かのものと比較します。
悟りを得た後は、自分の悟りを誰かの悟りと比較し、悟りについてあれこれと思考を巡らします。
そしてそのあげく、壮大な悟後の世界を創り上げてしまいます。

そのような悟後の世界も、私たちが創り出したものであり、幻想です。
私たちは、そのことについて既に知っているはずです。
にもかかわらず、どうして私たちはそうやって自分と誰かとを比較することを止められないのでしょう。
どうしてそのような現象を起こしてしまうのでしょう。

なぜあなたがその現象を起こしているのかをよく観てください。

何が観えましたか?

そこには、あなたのエゴが観えるはずです。

エゴがあなたに仕掛ける罠は非常に巧妙です。
悟りを得た後も壮大な悟後の世界を創り出し、あなたを捉えようとします。
あなたは、その世界が大変魅力的に感じられるかもしれません。
それがエゴの仕掛ける罠なのです。

あなたは、エゴの罠に掛かる経験はもう十分したではありませんか。
まだその経験を続けるのですか?

選択権は常にあなたにあります。
すべてあなたの自由です。

次は今週金曜日にでも書かせていただきます。
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読んで頂いてありがとうございました。

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ひとりにひとつずつ

2013年08月19日 08時43分41秒 | エッセイ
◇ひとりにひとつずつ◇

私たちはみな、ひとつずつ自分の宇宙を持っています。

あなたにはあなたの宇宙があり、私には私の宇宙があります。

そうやって、ひとりにひとつずつ、ちゃんと宇宙があります。


そんな宇宙には秘密があります。

実はあなたがいる宇宙には、あなたしかいません。

その宇宙はあなただけの宇宙なのです。


そう、あなたが宇宙そのものなのです。

あなたが喜べば宇宙も喜びます。

あなたが苦しめば宇宙も苦しみます。

どうか、あなたの宇宙をこれ以上苦しめないでください。


方法は簡単です。

あなたの宇宙を静かに見つめてください。

そして、宇宙を感じてください。

そうやって宇宙を感じたら、そっと宇宙を抱きしめてください。

もう何も言葉はいりません。


次は今週水曜日にでも書かせていただきます。
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あなたはその現実を愛しています

2013年08月16日 09時09分05秒 | エッセイ
◇あなたはその現実を愛しています◇

あなたが見て体験しているその世界も、そしてあなた自身も、すべてはあなたが創った幻です。
すべては幻に過ぎないのです。

そんなふうに言うと、どうせ幻なんだからすべてのことはどうでもいいんだと思う方もおられるかも知れません。
また、幻なんだから重く考えないで、軽く考えればいいんだよと仰る方もおられるかも知れません。

現実を重く受け止め、深刻になり過ぎている人に対しては、そのようなアドバイスは有効かも知れません。

でも、本当にそうやって自分のことや、世界のことを軽く考えている人はいません。

みなさん、自分や世界のことを大切に思って生きておられます。

ウソだと思われる方は、空想で構いませんから、ご自分ことや、ご自分の周りの現実を破壊するような考えを起こしてみてください。


どうですか?

平然と破壊できましたか?

例え空想でも、ご自分や、ご自分の周りの世界を破壊するのは心に何らかの抵抗を感じられたはずだと思います。

誰しもみな、自分や自分を取り巻く現実を愛しています。

それぞれが、それぞれのやり方で、自分や現実と向き合って懸命に生きています。

みんなそうやって、この世界を経験しています。


次は来週月曜日にでも書かせていただきます。
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読んで頂いてありがとうございました。

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進捗の自己確認など

2013年08月14日 09時57分30秒 | 自覚ワーク等の紹介
このブログの「自覚ワークの紹介」というカテゴリーを作ったときは、自覚ワークについてもっといろいろ書きたいと思っていたのですが、自分を観るワークと自分を愛するワークについて書いたところで、書くことがなくなってしまったようです(笑)。
当初書こうと思っていた他のことの多くは、枝葉に過ぎないんだということが分かったのです。

自分を観るワークと自分を愛するワークのお好きな方いずれか一方か、あるいは両方をただ実践していくだけでいいんです。
本当にそれだけでいいんです。
それだけで、見性という悟りのゲートを潜れるのです。

本当にそれだけのことなのです。
簡単だと思われませんか?

簡単だと思えば簡単なんです。
難しいと思えば難しくなります。

あまり深く考えず、身体で覚えるような感覚でこのワークを実践してみて頂きたいと思います。


みなさんがこの自覚ワークを進めていかれる際に、進捗の目安になるようなものがあればいいのではないかと思いましたので、このカテゴリー記事の最後にそれについて書かせていただきます。

但し、これは私を含めた僅か数人の方の例に基づくものですので、あくまで一つの参考例だとお考えください。
見性までの道のりは人それぞれで、一つとして同じものはありません。


自分を観るワークについて。

自分を観るワークをやられる際、最初から自分という存在そのものを観るというよりは、自分が起こしている考え(思考)を観ることから始められるのがやりやすいと思います。
考えを観ていくうちに、考えが起こる瞬間を捉えることができるようになると思います。
それができれば考えをちゃんと観れていると思います。

そうやって考えが観れるようになってもそこで安心せずに、さらに自分の内面をひたすら観ていきます。
そうしているうち、肉体の自分の視点の他に、自分を客観的に観ているもう一つの視点があることが何となく分かってきます(中にはハッキリと鮮明にそれを実感する方もおられると思います)。

また、自分が考え(現象)を起こしている現場を重ね重ね観ていくうちに、自身が創造主であることの実感も芽生えてきます。

ここまでくると、見性のゲートは間近です。

あとは、各自の決断次第です。
決断の形は、人それぞれです。
自分はこれで見性するんだという具合に、その決断がハッキリとした形で表層意識にも表れる方もおられますし、表層意識には特に変化はなく、表層意識の自覚がないまま見性のゲートを潜って行かれる方もおられます。
また、ゲートを潜られる際に「人は人、自分は自分」という具合に「自分」をしっかり持たれる方もおられるようです。


自分を愛するワークについては、正直なところ私はあまり情報を持っていないのですが、少しだけ書かせていただきます。

自分を愛するワークを続けていかれると、そのうち、肉体の私という存在の他に、私を常に見守っている大いなる存在があることを実感するようになっていきます。

そうやって大いなる存在を実感できたら、私が体験談の中で書いたように、イメージの中で大いなる存在と抱き合ってみてください。
あるいは、思い切って大いなる存在の胸に飛び込んでみてください。
大いなる存在であるあなたは、きっとあなたのことを包み込み、抱擁を返してくれます。


最後に悟りとカルマのことについて書かせていただきます。

悟りを得るためにはカルマを解消していく必要があると思い込まれている方がおられるようです。
そのような方の場合、悟りより先にカルマの解消を置いておられるのでなかなか悟りに行きつかない傾向があるようです。

実は、悟りへ向かう工程とカルマの解消とは分離可能なのです。
ですから、カルマのことは放っておいていただきたいのです。
そして、悟り(ここでは見性)を得ることだけに集中していただきたいのです。

びた一文カルマを解消すことなく、見性することも可能なのです。
なぜなら、例えば見性は自身の本性を知ることであり、明け渡しはすべてを受け入れることですから、そこにカルマが関与する必要性がそもそもないのです。


それと、最後の最後にお節介をもう一つ。

それは、自覚ノートについてです。
自覚ノートは、心の勉強をしていく上で思ったことや、気がついたことなどを書いていく日記のようなものです。
自分の内面に関することを文章にして書き表す作業は、自分を見つめる上で、みなさんが想像されている以上に学びになります。
自分だけの心のノートですから、形式にとらわれず、自由に好きなように書いてください。

ちなみに、キャンドルライトでは、この自覚ノートのことを自分のための経典という意味を込めて「自覚経」といいます。
ですから、自覚ノートは少し上等なノートに書いてください。
この世で唯一の自分だけのための経典なのですから。


少し短いですが、これで自覚ワークの紹介記事を一旦終わらせていただきます。
次回からは、思いついたことを気の向くままに書かせていただきます。

次は今週金曜日にでも書かせていただきます。
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読んで頂いてありがとうございました。

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自分を愛するワーク

2013年08月10日 09時07分42秒 | 自覚ワーク等の紹介
次は、自分を愛するワークについて説明します。
このワークは、愛のワーク又はロマンスのワークと言ったりもします。

自分を愛するワークは、自分に関心を持ち、自分のことを愛していくことにより、本来の自分を知っていくワークです。
その具体的なワークの手法は本当にいろいろあり、また人それぞれです。
でもどの手法も、自分に関心を持つことが基本になります。

多くの方が自分自身にあまり関心を持たないまま生きています。
自分のことでありながら、自分の本当の気持ちに蓋をしたまま生活している方が多いのです(私もいまでも多くの部分でそうです)。
自分を愛するワークは、そうやっていままで蓋をしてきた本当の自分にまず関心を持つことから始めます。

例えば、「今度の日曜何したい?」とか、「何か食べたいものはない?」とか何でもいいですから、まずは自分に問いかけてみてください。
気分が曇っているときは、「どうしたの?」と内面の声に耳を傾けてみてください。
悲しいときや辛いときは、「辛いね」と自分に寄り添ってください。
楽しいときや嬉しいときは、その気持ちを一緒に味わってください。

そうやっていつも自分に寄り添って、自分を見守ってください。
そして、自分のことを愛してください。

あなたが自分を愛すれば愛する程、自分に意識が向けられることとなり、自分を知っていくこととなります。

初めのうちは、あなたの問いかけに対し、内面の声は何も反応がないかも知れません。
あるいは、答えとしてあなたの普段の欲求が返ってくるだけで、その答えが本当に内面からの声なのか実感がないかも知れません。
それでも、直ぐに諦めることなく、続けていただきたいのです。
続けていれば、きっと内面のあなたのことが分かるようになっていきます。

(ここで白状しますと、私は自覚ワークを始めたころ、この自分を愛するワークは自分にはあまり向いてないと思ってしまったため、あまりやっておりません。)

次は来週木曜日にでも書かせていただきます。
お盆休みですから、のんびりしたいと思っています。
皆さんもよいお盆休みをお過ごしください。

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自分を観るワーク

2013年08月08日 09時04分08秒 | 自覚ワーク等の紹介
私の見性体験談の中でも書きましたが、主な自覚ワークとして、自分を観るワークと、自分を愛するワークの2つのワークがあります。
どちらのワークも、自分に意識を向け、本来の自分を知っていくための非常に有効な手段になります。

まずは、自分を観るワークについて説明します。

自分を観るワークは、その言葉の通り、ただ自分を観ていくワークです。
具体的には、私という存在や、私の感情、考えていること、行動等を淡々と観ていきます。
そのときのポイントは、常に「私」を意識するようにします。
「私」がそういう感情や思考等を起こしているんだということを常に自覚するようにします。

例えば、嬉しいときは、私がいま嬉しく思っているんだな~と観ます。
怒っているときも、私はいま怒っているのだな~と観ます。
悲しいときも、私はいま悲しんでいるのだな~と観ます。
そして、そうやって自分の中の感情を観ながら、その感情を「私」が起こしているのだな~と自覚するようにします。

また、花や風景を観ているときも、ただ花を観るのではなく、花を観ている自分に意識を向けるようにします。
そして、私が花を観るという行動(考え)を起こしているのだということを自覚するようにします。

また、夕食に何を食べようかを考えているときは、「私」が夕食のメニューをころいろ選んでいる様子を観ていきます。
夕食を食べるときも、「私」がご飯を口に運ぶという考えを起こして、それをお箸でご飯を口に運ぶという動作に繋げている様子や、次にどのおかずを食べようかと考えている様子を逐一観ていきます。

また、特に何もしないでボーっとしているときは、自分で積極的に考えを創り出してみてください。
例えば、今度の休みに何しようかなど、何でもいいです。
そして、自分が考えを創り出している様子を観察してみてください。
頭の中の考えが減っているときの方が、個々の考えを観るのには適しています。

私の場合は、よく晩ご飯を題材にして考えを起こし、その考えを観察していました。
例えば、晩ご飯の選択肢(考え)を順番に頭の中(あるいは、心の中)で思い浮かべていき、その選択肢(考え)が思い浮かぶ瞬間や、選択肢(考え)が頭の中に留まって浮かんでいる様子や、消えていく様子を観察しました。
そのとき、そうやって考えを起こしているのも、その考えを観察しているのも、「私」がやっていることんだということを常に意識するようにしていました。

特に、「私」を意識することは日常の中で徹底的にやっていました。
歩いているときも、「私」が自分の左右の脚を動かしているんだということを意識していました。
左右の脚を前に送り出す度に、「右」、「左」、「右」、「左」という具合に、一歩一歩意識しながら歩いていました。
そして、道を曲がるときも、立ち止まるときも、「私」がそういう考えを起こしてそれを体の動きに繋げてるんだと意識していました。

どうでしょうか?
自覚ワークのやり方を何となくでもご理解いただけてるでしょうか?

何となくでも理解できたら、大丈夫です。
とにかく、実践してみてください。
そして、諦めず毎日続けていただきたいのです。

自分を観るワークは、よく泳ぎの練習や、自転車に乗る練習に例えられます。
とにかくやってみて、身体で覚えていくという側面があるのです。
みんな、最初はよく分からないまま始めます。
コツを掴むまでが少し大変ですが、コツさえ掴めば、あとは知らず知らずのうちに上手に自分を観られるようになっていきます。

そして、そうしてワークを続けていると、段々と自分を常に客観的な視点で観られるようになっていきます。
あるいは、自分自身を観つめ続けているうち、本来の自分を知るようになっていきます。

次は今週土曜日にでも書かせていただきます。

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私に意識を向ける

2013年08月05日 09時04分45秒 | 自覚ワーク等の紹介
自覚とは、自分(私)に意識を向け、自分自身を知っていくことです。
そのための手段の一つとして、これから紹介する自覚ワークがあります。

殆どの方は、本当の意味で自分を意識して見つめたことはないのだろうと思います。
私もつい最近までそうでした。
そんなことはない、わたしはいつも自分を意識していると仰る方も中にはおられるでしょうが、そのような方も本当の意味では自分を意識できてないのです。

自分を意識していると仰る方の殆どは、その方の意識が本当にその方自身に向けられているのではなく、自分を観ている他人の目を通して自分を観ているだけなのです。
つまり、その方の意識は自分ではなく、自分以外の外側に向けられているのです。

私たちは、そうやって他人の目を意識したり、外側から取り込んだ情報のことばかりを気にして生きたのです。

でもここでは、そのような外側のことは脇に置いて、あなた自身に意識を向けて頂きたいのです。
あなたが引き受けているサラリーマン、OL、主婦、学生、フリーター、お父さん、お母さん等の役割も、あなたがいま置かれている境遇のこともひとまず脇に置いて、あなたという存在そのもの、そしてあたなの内面で起こっていることに意識を集中して頂きたいのです。

手の平を胸の真ん中に当てて、「わたし」に意識を集中してみてください。

そうやってあなたがあなた自身に意識を向けるだけで、それまで外側に向かっていたエネルギーがあなた自身に流れ込むようになります。
それにより、自分がしっかりして安定感が増すはずです。

どうですか?
何か違いを感じられましたか?


以下、補足です。

このワークで意識を向ける対象である「私」について、少し補足説明します。
ハートが開き、自我(エゴ)が薄くなっておられる方の場合、「私」に意識を向ける際に、「自我の私」を連想してしまう等して違和感を感じる方がおられるかも知れません。
しかし、ここで意識を向ける「私」は、「自我の私」というよりはむしろ、「大いなる存在である私」なのです。
ですから、このような違和感を感じられる方は、「大いなる私」をイメージしながら、「私」に意識を向けられるといいと思います。
なお、特に違和感を感じられない方はシンプルに「私」に意識を向けてください。

次は今週木曜日にでも書かせていただきます。

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悟りへの意志

2013年08月02日 09時14分35秒 | 自覚ワーク等の紹介
今日から何回かに分けて、見性という悟りのゲートを潜るためのワーク(自覚ワーク)について紹介いたします。
これは、私がマスターゲート氏が主催する101キャンドルライトで学んだことに基づいています。
なお、見性とは自分自身の本性である仏性(大いなる存在)に気づくことです(詳細はこの記事か、この記事をお読みください)。

悟りに興味を持っておられる方は、このワークをぜひ実践してみてください。
ここで紹介する自覚ワークは、非常に明確かつシンプルなものなので、誰にでも簡単に実践できると思います。
またワークの進み度合いを自分で実感しなが少しずつ進んでいけますので、その点でも非常にやりやすいワークだと思います。
但し、どういうルートで悟りに至るかは人それぞれで、そのための方法にも合う合わないがあるようですので、ここで紹介する自覚ワークはあくまで一例であるとお考えください。
この自覚ワークは、見性ルートで悟りに至るための一つの方法です。

101キャンドルライトのメンバーになられるなどして、誰か先を行く先人から教えてもらいながら進めていかれるのが楽なのでしょうが、私は、このワークをお一人でやられても見性は可能なのではないかと思っています。
ぜひ実践してみていただきたいと思います。

では、ワークの内容に入っていきます。


まずは、悟りへの意志についてです。

私は、悟りを得る機会(チャンス)は誰にでも等しく平等に用意されていて、誰もが今生で悟りを得る機会を持っているのだと思っています。

この私の考えに対し、あなたは、誰もが悟れるのなら悟る人が少ないのはどうしてなのかと思われるかもしれません。
それは、いまはまだ自分が悟るんだという意志を持っておられる方が少ないからです。
悟りは、その人が悟りへの意志を持ったときに初めて得られるようになっています。

あなたは、悟りへの意志を持っておられますか?

あなたがもし悟りを得たいと思われるのなら、その意志をしっかり持ってください。
そして、あなたが悟りを得るまでその意志を持ち続けてください。

もしあなたが、自分は悟るんだと本当に強い決心をされたなら、あたなはその瞬間にでも悟りを得ることが可能なのです。
あなたの意志にはそれ程までに偉大な力があるのです。
ですからどうか、あなたの意志の力を信じていただきたいのです。

あなたにもう一度お伺いします。

あなたは、悟りへの意志を持っておられますか?


以下、余談です。

悟りへの意志を持ってくださいという私の言葉に対し、あなたは、それが悟りに対する欲望や執着になっているのではないかと思われるかもしれません。
確かに、過剰な欲望や執着は心のバランスを崩し、あなたを悟りから遠ざけてしまいます。
しかし、あなたが悟りを求めるときのその思いは、他のものごとに対するそれとはまったく異質のものなのです。
このため、あなたの悟りに対する思いがあなたの悟りを邪魔することはありません。
もし邪魔になることがあるとしたら、それはあなたの悟りに対する思いが邪魔をしているのではなく、あなたがその思いにくっつけている他の思いが邪魔をしているのです。

また、悟りを得られた方の中には、自分の意志に関係なく悟りの方から自分にやってきたと仰る方がおられるかも知れません(私が明け渡しを経験したときもそんな感じでした)。
しかし、それはその方の表層意識内での認識がそうなのであって、その方の深層意識まで含めた全体の意識で見れば、その方も悟りに対する明確な意志を持っておられたのです。

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