私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却

2019年11月12日 16時04分35秒 | 私の体験
◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却◇

久しぶりの記事更新です。
悟り呆けからの脱却というテーマで、私の悟り体験である解脱の悟り後のことについて書きます。

まず最初に、悟り呆けについて説明します。
悟りには階層があり、階層ごとに特徴があります。
そして、その各悟り階層に至った後で、その階層に関連した精神的な後遺症のような状態が暫くの間続きます。
その後遺症のような状態は、その状態に固執するか否かでその後の変化は異なるようですが、多くの場合次第に薄れていき、通常の意識状態に戻っていきます。
ここでは、この悟り後の後遺症のような精神状態のことを悟り呆けと言っています。

具体的に悟り呆けとはどのような状態かと言いますと、分かりやすい例は明け渡し系の体験に伴うものだと思います。
よくある例としては、明け渡し体験によって、あり得ない程ハートフルになったり、些細なことまでいちいち有り難がるようになったり、理由なく幸福感が続いたりします。
激しい例だと、明け渡しに伴って放心状態になり、何もできなくなってしまい、自分で食事を摂ることさえままならなくなる例もあるようです。

前置きはこの辺りにして、私の悟りの行程は、2012年12月の明け渡し体験から始まり、2014年2月の解脱の悟りで終わりました。
私の場合、最初の明け渡し体験の影響がとても強かったようで、その影響がつい最近である2019年夏頃まで続いていたようです。
具体的には、普通じゃない程のハートフルな感覚や、いろいろなことを過剰に良い方に捉えてしまうような状態が徐々に薄れながらも6年半以上も続いていました。
そのような後遺症的な影響の大半が抜けたことで、自分が悟り呆けだったんだと気づくようになったんだと考えています。
最近になって、自分でやっと素面(しらふ)になってきたと思うようになりました。

自分が悟り呆けだったことにどうして気づいたのかと言いますと、現在の職場やその経営者に対する自分の見る目がここ1年くらいでガラッと180度変わったことが切っ掛けでした。
以前は職場や経営者のことを良い職場であり、良い経営者だと考えていました。
詳しくは書きませんが、それがこの1年くらでガラッとひっくり返ってしまったのです。
余談ですが、現在今の職場を脱出すべく、転職計画中です(笑)。

では、悟り呆けから脱却した今の状態はどんな状態かと言いますと、迷いの無いスッキリとした悟りの意識と、普通の日常的な意識というか感覚(素の個性とでも言いましょうか、表現が難しいです)が一体になっているような状態です。
悟る前の状態に戻ったのかと言うと、それはハッキリと違います。
迷いが無いですから、とてもスッキリしているし、安定しています。
何かに囚われることもありませんから、振り回されたり、混乱することもありません。
今は悟り呆けによるハートフルの色眼鏡が取れたので、さらにスッキリしています。

私としては、そのように普通の状態に戻ったことを歓迎していて、やっと素面になったと喜んでいます。
もう53になるのですが、ここからもう一度人生の活動期(第二の青年期とでも言いましょうか)を迎えたような感覚があり、ここから何をしようか考えているところです。

あと何を書けばいいのだろうと考えているのですが、余り日常の具体的な内容を書く訳にもいかないんので、手が止まってしまいました。
いつものようにまとまりのない内容ですが、このままアップします。
何か思い付けば、書き足します。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。
スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。
ご希望の方は、suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さい)へご連絡ください。

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私の体験談(解脱の悟り後のこと)(1)

2014年12月11日 11時28分59秒 | 私の体験
◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(1)◇

解脱の悟り後のことを書いてみようと思います。

まず最初に申し上げたいことは、解脱の悟りは皆さんが期待されるような凄いものではないということです。
おそらく、解脱の悟りを得られた方の殆どがなーんだと期待を裏切られたような気持ちになると思います。
そして思うのです。
「これって、普通やん(関西弁、笑)」と。
解脱の悟り後の意識の状態や感覚は、余りにも普通なのです。

そんな落胆を誘うような解脱の悟りではありますが、意識の本質的な部分では決定的な変化が起こっていたのです。
まずは、そのあたりから書いていきたいと思います。

私の意識に起きたその決定的な変化とは、一切の考えを掴まなくなったことです(掴めなくなった、と言った方が正確かもしれません)。
考えを掴まなくなったことで、一切の迷いが無くなりました。
またそれに伴い、自分の感情や思考が流れていくサラサラ感がより強くなり、自我がさらに薄くなったと感じています。
さらにそれと関連して、私の意識が定まったというか、不動になったと感じています。
私にはまだ自我があり、怒りや苦しみ等の感情や感覚もあり、あれこれと分別(思考)も起こします。
しかし、そのような動的な変化が絶えずありながら、私の意識は常に定まったままなのです。

解脱の悟りを得て一番良かったと思うことは、迷いが無くなったことです。
解脱の悟りを得る直前まで、私はああでもない、こうでもないと激しく迷っていて、モヤモヤとすっきりしないというか、とてももどかしかったのです。
そのモヤモヤ感やもどかしさが晴れてすっきりとしたことで、私の心は落ち着きました。
これはとても有り難いことだと思っています。

でも、期待外れというか、がっかりしたこともいろいろありまして(笑)、期待外れの一番は、依然として苦しみが続いていることでした。
私の場合、解脱の悟りの前後で苦しみは減りはしましたが、それ程減ったとは思っていません。
解脱の悟りを得ても、やっぱり苦しいままだったのです(笑)。
これは私だけがそうなのではなく、解脱の悟りを得た他の人もそうなのだろうと思っています。
なぜなら、苦には、病苦等に代表されるただ起こってくる苦と、その人が握りしめた考え(執着)に関連して起こってくる苦と、存在の根底にある苦の三つがあるのですが、解脱の悟りによって手放せるのは二つ目の執着に関連した苦だけなのです(この点については、近いうちに改めて記事を書きたいと思っています)。
解脱の悟りを得る人は、その直前の時点で既に握りしめた考えは殆ど無くなっているため、解脱の悟りに伴った体感的な苦の変化は余りないのです。

二番目に期待外れだったことは、解脱の悟り後も相変わらずものごとがうまくいかないことでした。
うまくいかないことは、家庭内のことや、仕事やお金に関することなどいろいろです。
解脱の悟りを得るといろいろなことがうまくいくようになるのではという淡い期待を持っていたのですが、その期待は無残に打ち砕かれました(笑)。
家庭内のゴタゴタやしんどさは減るどころか増えた感じだし、FX(為替)取引では大負けして取引の継続を断念することになったし、もしやと思って買った宝くじは当然のように当たらないし(ジャンボを1回、ロトシックスを3回買いました(笑))、余りいいことはありませんでした。(^o^)

とまあ、こんな具合でして、解脱の悟りは余りパッとしないのです(笑)。

次はまた、別の観点から解脱の悟り後のことを書いてみたいと思います。


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私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(5)

2014年12月03日 22時29分11秒 | 私の体験
◇私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(5)◇

今回の記事では、私が解脱の悟りに至ったときの経緯等について書きたいと思います。

2014年1月23日の「一切皆苦」の悟りは、私にはとても大きな衝撃でした。
ひょっとするとこれで自分は解脱するのかとか、今度こそ解脱したのかと思ったりもしました(笑)。
また、私の中に常にある苦しみから解放されたのかと思ったりもしました。

しかし、それらはどれも私の誤解でした。
「一切皆苦」を理解して暫くの間は、これはちょっと凄いことが分かったぞと思い意識も高揚し、何だか晴れやかな気分になり、苦しみも忘れていました。
でも、それから一週間から二週間が経つ頃には、何だかもやもやした晴れない感覚や、苦しみが私の中に生じるようになり、それらに再び目を向けるようになっていました。
そして、解脱の悟りを得る2月11日の3日ほど前には、私の中のもどかしさや苦しみが大きくなっていて、それらに目を向けずにはいられなくなっていました。

そうしているうち、とても微妙な感触うまく表現できないのですが、私の中に、苦に対する不思議な感覚というか感触があることに気づいたのです。
最初は、ふっと感じる一瞬の感触でした。
私という存在そのものが「苦」であるというか、そんな感触がふっと瞬間的に起こったのです。
そして、その感触に意識を向けていくうち、2日くらいかけて段々と、その感触をより深く捉えられるようになっていきました。

そして、解脱の悟りを得る前日の2月10日には、その感触は、私という存在の根底に、不足感のような漠然とした否定的な感覚(考え)があるのだという確信になっていました。
そのような確信を得た私は、これはとても興味深いことが分かったと思い、明日職場に行ったらそのことをブログに書こうと思い、その日は寝ました。

そして、2月11日の朝、職場に到着し、パソコンを立ち上げ、昨日自分が得た確信をブログに書こうとした瞬間、解脱の悟りが起こりました。

そのとき、私という存在の根本的な性というか姿に対する理解が起きたのです。

私という存在の根底には、もどかしさや不足感のような漠然とした否定的な感覚(考え)があり、私という存在は、その根底にある否定的な考えを起点として連鎖的に起こっている考えであるということがハッキリと分かったのです。

それと同時に、私は、その根底にある否定的な考えである「苦」を握りしめ、その「苦」をどうにかしようとして、あるいはその「苦」から逃れようとして延々と彷徨っていたんだということがハッキリと分かったのです。

そしてその瞬間、私が握りしめていた最後の考えである「苦」に対する手放しが起きました。

これが、解脱の悟りでした。


この2月11日の朝起きたことは、ほんの一種の出来事でした。
ハッとするような感触ではなく、意識が小さく「あっ!」と静止するような意外なほど小さな感触でした。

でもそこには、モヤモヤとしていた自分の意識がパッと晴れたようなスッキリした感覚とともに、うまく表現できない微妙な感触ではありますが、「終わった」、あるいは「終わったのかな? どうやらそういうことだな」という感触がありました。


それから1週間ほど経ったころ、ネットを散策していたら、お釈迦さまが仰った「無明」について書かれたサイトに偶然行き当たりました(どのサイトかは忘れました)。
そして、そのサイトに書かれた「無明」に関する文章を読んだとき、お釈迦さまが得られた悟りと自分が得たものが同じであると直ぐに確信しました。
なぜそんな確信が起きたのか自分でもよく分からないのですが、そのような確信が起きました。


以上が解脱の悟りに至るまでの私の体験です。

この後、解脱の悟り後の私の意識の変化や、どんな感じかについて少し書いてみたいと思っています。


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私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(4)

2014年12月01日 23時59分01秒 | 私の体験
◇私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(4)◇

前回の記事の続きです。

今回の記事では、前回の記事で書きました、私という自我が握りしめている考え(執着)が種となり、自我を誘起させているのだという理解等の導きにより、私(慧空)が解脱の悟りに近づいていく過程について書きたいと思います。

「私という自我が握りしめている考え(執着)が種となり、自我を誘起させているのだ」という理解に基づき、直ぐに私は、自我が握りしめている考えすべて手放せば解脱に至るに違いないという確信に至りました。
そして私は、これで解脱への道が得られたと思いとても高揚しました。

しかし、その高揚感は直ぐに覚めていき、閉塞感や焦りに変わっていきました。
自我が握りしめている考えを手放そうと思っても、当時の私の状況が大悟以降、考えの手放しが殆ど起きなくなっていたこともあり、自分が考えを掴んでいるという実感もなく、これ以上どうやったら考えを手放せるのかが全く分からなかったのです。
そして、私は、閉塞感と焦りを抱えながら、自分が掴んでいるはずの考えや、私という自我を何とかしないといけないと思い、ああでもない、こうでもないと、あがくようになっていきました。
2013年の12月中旬ころから翌2014年の1月中旬ころにかけて、私は毎日、激しくあがいていました。
あがいてあがいて、あがきまくっていました。

例えば、完全な無我から自我が誘起されていく過程で起きる分別が重要なファクターとなっていることが自覚を通じて分かると、分別を完全に放棄して滅することができれば、自我が掴んでいる考えも手放すことになるのではないか等と考え、自分の分別を放棄することに必死に取り組んだこともありました。
いまの私なら、分別を完全に放棄することなど不可能だし、無意味な努力だと分かるのですが、当時の私はがむしゃらにそれをやっていました(笑)。

またあるときは、無我(当時はそれを真我だと誤解していましたが)にダイブすれば何か分かるのではないか等と思い、あるいは無我に固執する余り、何度も何度も執ように無我にダイブしていました。
でも、いくら無我にダイブしても、そこから新たに得られるものは殆どありませんでした。

そうしてあがくうち、私は段々と疲弊し、どうしていいか分からず途方に暮れていきました。
途方に暮れる中、私は、自分の意識に対する理解、つまり私という存在が延々と続く意識の連鎖だという理解が誤りであり、肉体が滅んだときに私の意識も消失するのではないかと思い、あるいはそういう期待を込めながら、自分の意識を何度も何度も観察しました。
しかし、何度観察しても、私という存在の本質は肉体ではなく、延々と起こってくる意識の連鎖であるという認識に引き戻されるのでした。
そして、どうしようもないもどかしさや、苦しみが募っていきました。

そんな中、私は自分の中に常に苦しみがあることに気づいたのです。
私はそのとき、自分の中にある苦しみに初めて目を向けたのでした。
私はそれまで、あれやこれやと判断し、行動し、様々な感覚や感情を体験してきたのですが、そこには常に苦しみがあったのでした。

そして、その次の瞬間、なぜか「一切皆苦」という言葉が私の中に浮かんでくるとともに、そのことに対する理解が起こりました。
それとともに、何を選択しても、またどこにいこうと苦からは逃れられないのだから、苦を受けて立つしかないないんだという覚悟と決意が起こりました。
いま思うと、私はそのときやっと、自分の中にある「苦」に真っ正面から向き合えるようになったのだと思います。
それは、2014年1月23日のことでした。

そして、この「苦」に対する直面が私を解脱の悟りに導いていくことになりました。


上記のようにして私が「苦」と直面していくようになる中、いくつかの考えの手放しも起きていました。
その一つは、真我に対する手放しがありました。
私には、真我についてそれが自我の上位にあるものであるかのような考えや、自我を滅して真我になり切ることが究極の悟りであるかのような囚われが一部にあったのです。
それが、2014年の1月中旬に、真我も、私という自我の考え(認識)であるという理解が起こり、真我に対する手放しが起こりました。
そして、その理解は、真我は自我の考えなのだから、真我は自我と対等なものでもなく、考えの連鎖である自我の移り変わりの中に含まれる下位的な要素であるという理解に繋がっていきました。

もう一つは、解脱に対する考えの手放しがあったように記憶しています(ただこれについては、いまとなっては記憶が薄れてしまい、そういうことがあったかどうか定かでないところもあります)。
2014年の1月中旬ころに、「なんとしても解脱したい、解脱しなければ」等の考えを握りしめ、その考えに翻弄されている自分自身に対する気づきがあったような記憶があります。
そして、それに気づいたとき、解脱を求める余り、「解脱しなければ」等の考えを握りしめていた自分が可笑しくて、暫く笑っていた記憶があります。
(確かそのときのことを、いつもの内面ノートが見当たらなかったのでA4の裏紙に書いたと思うのですが、その裏紙が見当たらないのです。)


次回は、私が解脱の悟りに至るときの経緯等について書きたいと思います。


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私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(3)

2014年11月29日 23時14分05秒 | 私の体験
◇私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(3)◇

前回の記事の続きです。

前々回の記事に書きましたように、2013年10月19日に大悟があってから少し経ったころ(おそらく、2、3週間ほど経ったころ)から、私は自然と瞑想状態に落ちるようになっていきました。
最初はうつらうつらするうたた寝のような感じだったのですが、それが次第にうたた寝のような状態に混じって、自分の意識が完全に落ちてしまうようになったのです。
なお、この自分の意識が完全に落ちてしまう状態とは、一切の感覚も意識も無い気絶状態のことです。

最初のころは、自分の意識が落ちていることに気がつかず、自分が眠りに落ちているのだろうと思っていました。
暫くして、それが眠りではない何かだと気づきました。
でも私は、それが無我に落ちていることだとは気がつかず、それを真我であると誤解してしまいました。

そして私は、真我になることへの拘りもつくってしまい、真我になること(無我に落ちること)を好むようになり、さらには真我になるように自分の意識を仕向けるようになっていきました。
そうしているうちに、自分の意識をコントロールして自我から真我に切り替えるコツというか方法が分かってきました。
どういう方法かと言いますと、何でもいいので起こってきた考えを自覚によって捉え、その捉えた考えをポイと放り投げるのです。
すると、自分の意識がすーっと真我に切り替わるようになっていました。
あるいは、自覚によって「私」を捉え、「私」をポイと放り投げても、同じようにすーっと真我に切り替わるようになっていました。
そうやって、私は何度も何度も真我(完全な無我)になりました。
最終的には、何百回も真我になったんだと思います。

そうやって、繰り返し真我(完全な無我)になっているうちに、真我から自我に戻ってきた瞬間やその直後に、少しずつ気づきというか理解が起こるようになっていきました。
それは、2013年の12月から翌2014年の1月にかけてのことだと思います。

その最初の理解は、真我(完全な無我)から自我に戻ってきた瞬間を捉えたときに生じました。
どういう理解かと言いますと、無我から自我に戻ってきた瞬間を捉えられたことにより、私という存在が考え(意識)そのものだというより深く明確な理解が生じたのです。
私には、大悟に伴って得た、私という存在は連鎖的に起こってくる考えそのものであるという理解が既にあったのですが、無我から自我に戻る瞬間を捉えられたことにより、その理解がより深くかつ明確なものになりました。

その理解に続き、私は無我から自我に戻った直後の自分の意識を観察するようになりました。
無我から自我に戻った直後は、パッ、パッ、パッと断続的に起こり移り変わる自分の意識の連鎖がよく見えるのです。
そうして、自分の意識の起こりや連鎖を繰り返し観察していくうち、それが新たな理解に繋がっていきました。

そうした観察の中で、まず私が着目したのは、完全な無我に入っているのにもかかわらず、その無我から繰り返し何度でも私の意識(自我)が起こってきてしまうことについてでした。
私はいつ死んでもいいし、いつ存在が消滅してもいい(むしろこのまま消滅したい)というつもりで無我に入っているのに、どうしてまた私の意識が生じてしまうのかその原因が知りたいと思い、徹底的にそこを観察しました。

そうやっているうち、あるとき一つの理解というか確信が起きたのです。
どういう確信かと言いますと、それは、完全な無我から自分の意識が起きてきてしまうのは、完全な無我に私の意識を引き起こす何かがあるに違いないという確信でした。
本当にそこに何も無かったら私の意識が再び起きてくることはないはずであり、私の意識はこうして再び起きてくるのは、完全な無我でありながら、そこにはまだ何かが残っているのだと確信したのです。
そして、その何かが私(慧空)の解脱を妨げているんだということを確信したのです。
私は、その何かを私の意識を生じさせる「種(たね)」と呼ぶことにしました。

それに続き、私はその「種」についてそれが何なのかを追求していきました。
すると間もなく、私はその答えに到達しました。
「種」とは、私という自我が掴んでいる考えであり、執着(カルマ)であるということが分かりました(解脱の悟りを得た現在の私からするとまだ不完全ではありますが、これがこの時点での私の理解でした)。
この理解に伴い、縁起に関する理解が自ずと生じました。

そして私は、連鎖的に起こってくる私の意識は、縁起そのものであり、自我が掴んでいる考え(執着)である種によって誘起される考えの連鎖であるという理解を得ました(これについても不完全ですが、これがこの時点での私の理解でした)。

そして、この理解は、私を解脱の悟りに導いた主な手掛かりの一つとなりました。


続きます。


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私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(2)

2014年11月27日 10時27分23秒 | 私の体験
◇私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(2)◇

今回の記事では、私の大悟後の無我へのダイブの実践や、その実践から分かったことなどについて書きたいと思います。

私の無我に落ちる体験を書く上で、三十代のころの体験についても書いておいた方がいいように思いますので、まずはその体験について書きたいと思います。

以前の記事にも書いたのですが、私は31、2歳のころに1年くらいの間、毎晩寝る前に瞑想をすることを日課としていました。
当時私は、気功に興味があってカルチャーセンターの気功教室に通っていて、瞑想はそこで教わりました。やっていた瞑想は、呼吸に意識を向ける呼吸瞑想の一種で、数を数えながら吸う、止める、吐くを繰り返すものでした。
具体的には、1から順番に自分の決めた数(例えば、10)まで数えながらゆっくりと息を鼻から吸い、次にその同じ数だけ数えながら息を止め(このときは丹田を意識します)、さらにその同じ数だけ数えながらゆっくりと息を口から吐くという三つの行程をただ繰り返すものでした。
私は、この瞑想を毎日30分から1時間くらいやっていました。

そうやって瞑想を始めて何ヶ月かが経ったころ、瞑想中に不思議な現象が起きるようになったのです。
どういう現象かと言いますと、瞑想中に自分の呼吸が止まっていることに気がついたのです。
呼吸が止まらないようにいくら気を付けていても、いつの間にか止まっているのです。
そして、その現象について観察しているうち、呼吸が止まっているとき、自分の意識が完全に無くなっていることに気がついたのです。

それに気づいたとき、最初は自分が一時的に眠ってしまっているんだと思いました。
最初はそう思って納得しかけたのですが、その意識が無くなるときの様子を繰り返し観察するうち、眠っているのとはどうも違うということが分かりました。
なぜ眠りとは違うと分かったかと言いますと、呼吸瞑想ではなく普通の瞑想をやっているときに瞑想中に眠くなって本当に眠ってしまったことがあり、そのときに違いが分かったのです。

その瞑想中に起きる気絶状態が眠りではないと分かってから、私はそれが何なのかさらに観察しようとしました。
その当時、その気絶状態は毎日のように、日によっては2度、3度と起こってましたから、観察のチャンスは沢山ありました。
あるときは、気絶状態の時間的長さがどれくらいなのかと思い、何とかそれを測定できなかと試行錯誤したりもしていました。

しかし、当時の私にはそれが何なのかは分からずじまいでした。
気功教室の先生に質問したりもしたのですが、先生から有効な答えはもらえませんでした。
そうしているうち、自分でも不思議なほど、気功も瞑想も興味が無くなってしまい、全くやらなくなり、忘れ去ってしまいました。
その当時のことを思い出したのは、それから約15年が経った解脱の悟りを得た後のことでした。

この31、2歳ころの完全な無我の体験が私の悟りの道のりにどういう影響や意味があったのか、はたまた影響も意味もまったく無かったのか、私にはよく分かりません。
でももしかすると、何か関係があるのかも知れないと思い書いてみました。


次回は、大悟後の無我の実践等について書きます。

<補足です>
完全な無我の体験と悟りとの間には直接的な関係はありません。
そのような体験が無くても、解脱の悟りまで到達できます。
この点については断言できます。
なぜなら、解脱の悟りは一切の考えを掴まなくなることであり、ただそれだけのことですから、そこに完全な無我の体験の有無が関係し得るはずがないのです。


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私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(1)

2014年11月26日 22時01分42秒 | 私の体験
◇私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(1)◇

今回から何回かに分けて、大悟の後から解脱の悟りを得るまでの私の道のりについて書いてみたいと思います。

2013年4月の初めに天界の悟り(小悟)を得てから、同年10月19日に大悟を得るまでは、時間はそれなりにかかったのですが、悟りの道を進んでいるという実感もあり、比較的順調だったのではないかと思っています。
そう思うのは、天界の悟り階層では比較的自覚がやりやすく、スムーズに進んだからだろうと思っています。
例えば、天界の悟り階層では、多くの方がそうであるように、私自身もそれなりの数の考え(執着)を握りしめていましたので、自覚を通じて捨てるものがそれなりにあり、手放しを実感できたのです。
また、「私」に意識を向けることで、しっかりと「私」を捉え、実感することができたので、自分は自覚をやれているいうしっかりとした手応を得やすかったのです。

それに対して、大悟を得てからの行程については、自覚がやりにくくなったというか、難しくなり、あちこちで迷ってしまい、大変な行程だったという印象が残っています。
実際に、大悟後は、「私」に意識を向けようとしても、天界のときのような「私」を捉えているというしっかりとした手応えは余り無く、自覚がやりにくくなっていました。
そのため、天界のときにやっていた、「私」にぐいぐいと食い込んでいくような自覚や、「私」を焼き払うような自覚も出来なくなっていました。
また、握りしめている考え(執着)も既に大分少なくなっていたので、それまでのような考えの手放しも殆ど起きなくなっていました。
そのため、自分がやっていることが合っているのかどうかを判断できる手掛かりが少なく、暗がりの中を手探りで進んでいったような感じでした。
それでも、悟りに対する発心は続いてましたので、当時の私の様子を表現すると、暗がりの中をがむしゃらに突き進んだという感じでした。

このため、大悟の後から解脱の悟りを得るまでの私の道のりは、きれいなものではなく、ぐちゃぐちゃとした感じになっています。
例えば、このブログの記事や自分の悟りノートを見ると、解脱の悟りを得る直前まで、「無我」への拘りの様子が見えますし、自分でもよくそれで解脱の悟りに至れたものだと思っています。

それでは、前置きはここまでにして、解脱の悟りに至る私の道のりについて書いていきたいと思います。
少し分かりにくくなるかも知れませんが、私の道のりをぐちゃぐちゃしたままの状態で書いてみたいと思います。


大悟に伴って、私には主に二つの理解というか感覚が生じました。
一つは、私という自我は、連鎖的に起こってくる考えそのものというか、スポットライトのように移り変わる考えそのものであるという理解や感覚です。
この理解は、大悟とほぼ同時に起こってきたもので、この理解には、自我である主体と、その対象である考え(客体)との統合感、つまり「見るもは見られるもの」という感覚や理解が伴っていました。
もう一つは、私という存在は自我(個の意識)と真我(全体意識)の二面性があるという感覚や理解です。

一つ目の「連鎖的に起こってくる考えそのものが私という自我である」という理解については、大体のところは前回の体験記事に書いた通りです。
この理解や感覚は、解脱の悟りに向かう道中において、悟りの進展に伴って形を少しずつ変えながら、あるときは私を惑わし、またあるときは私のヒントになりながら、解脱の悟りまで一緒に歩みました。

二つ目の「私という存在は自我と真我の二面性がある」という理解については、その当時のブログ記事に理解の内容を何度か書いていますが、改めてここで簡単に説明したいと思います。
私の執着や誤解も絡んでいて説明しにくいのですが、無理ヤリやってみたいと思います。(^o^)

この二つ目の理解(「理解」ではなく、むしろ「誤解」と言った方がいいくらいなのですが、笑)は、大悟から2、3週間くらい経ってから私の中で明確になってきたように思います。
このような理解(誤解)が私の中に生じてきたのは、大悟後に私の意識の状態が少しずつ変化していったことと関係があるのだろうと思っています。

その変化がどういうものかと言いますと、大悟の直ぐ後くらいから、私の意識が特に何も意識することなく、自然と一種の瞑想状態に入ってしまうようになったのです。
瞑想をしようなどの意図はまったくないのに、何もせずぼーっとしていると、いつのまにかすーっと吸い込まれるように、深い瞑想状態のような状態に入ってしまうようになったのです。
朝、職場に出勤するのですが、仕事はもう全くやっていませんでしたので、このブログの記事を書いたり、ネットを閲覧している他は特にやることがなく、帰宅する夕方までぼーっとしていることが多かったのもあり、日によっては、職場にいる時間の大半の時間を瞑想状態で過ごしているようなこともありました。

それで、大悟した月の翌月の11月に入ったあたりからだったと思うのですが(定かではありません)、自然と起こる瞑想状態の中で、私という自我の意識が限りなく薄くなったり、完全に落ちて気絶状態になったりするようになったのです。
私は、その意識が完全に落ちている状態を自分が「真我」になっている状態と誤解してしまったのです。
そして、私という存在は自我と真我の二面性があるんだと思ってしまったのです。
そしてさらには、「自分はとうとう自我と真我の統合に成功したんだ(あるいは、成功しつつあるんだ)」などと思ってしまったのです。

どうしてそのような考えに嵌まってしまったのかはハッキリは分かりませんが、大悟前に読んでいたウパニシャッド系の書籍の影響等により、私には「真我」や「統合」という考えに囚われているところがありましたので、そのような考えに嵌まりやすかったのだろうと思います。

この「自我と真我の統合」という考えは当時の私にとってとても魅力的であり、翌2014年2月に解脱の悟りを得る少し前の1月ころまで、この考えに囚われていました。
具体的には、自我と真我の統合がより完全に得られれば解脱の悟りが得られるのではないかとか、そのためにはより完全に自我を滅して無我を実現する必要があるのではないかと思ったりしていました。

このため、解脱を目指す実践も、真我や無我に囚われる余り、どうすれば完全に自我を滅することができるのか等、自我を滅することばかり考えていました。
そして、いまから考えると馬鹿らしく思えるような無茶な実践方法を考え出し、それをやってみたりしていました。
例えば、自我が顕在化してくる切っ掛けの一つとして分別があることが自覚を通じて分かったので、分別を滅すれば完全な無我に至れるのではないかと思い、分別を完全に放棄しようとしてそれに取り組んだりしていました(もちろん、そんな実践がうまくいくはずはありませんでしたが、笑)。

そんな「無我」をめぐる思考錯誤の日々の中、私はもう一つ、拘りを持ってやっていたことがありました。
それは、真我(正確には無我)の中にダイブすることでした。
この実践は私に意外な理解と、解脱の悟りへの導きをもたらしてくれました。

次回は、その無我へのダイブの実践とその周辺のことについて書いてみたいと思います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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私の体験談(見性後から大悟まで)(4)

2014年11月24日 21時02分58秒 | 私の体験
◇私の体験談(見性後から大悟まで)(4)◇

今回の記事では、大悟があった10月19日のことや、大悟に伴って生じた私の意識の変化等について書きます。

前回の記事に書いたように、大悟が起きる直前の2、3週間の間は、ハートの自覚ワークを毎日やっていました。
大悟が起きた2013年10月19日の前日の夜もハートの自覚ワークをやってから床に入りました。

翌19日の朝は、いつものように普通に目が覚めました。
そして、職場に出勤する準備をして家を出ました。
それで、最寄り駅のホームを歩いているとき、自分のハートに私という感覚のコアが無くなっていることに気がつきました。
なお、19日の朝は、目が覚めてから駅のホームでハートのコアの消失に気がつくまで特に変わったことは無かったので、私の場合、夜寝ている間に大悟が起きてしまったようです。

ハートのコアの消失に気づいたとき、自分の意識に何か大きな変化が起きたことは直ぐに分かりました。
しかし、その変化がどういう意味を持っているのか等は何も分かりませんでした。
何か大きな変化が起きたことがただ嬉しくて面白くて、自分の意識を無邪気に観察しながら職場に向かいました。

職場に着き、パソコンの電源を入れ、椅子に座り、パソコンの画面と向き合ったとき、パソコン画面を見る自分の意識の感覚が昨日まのでの感覚と違うことに気がつきました。
パソコン画面と向き合い、それに意識を向けると、私という自我の感覚が欠落し、私の意識がパソコン画面そのものになっているかのような感覚になることに気づいたのです。
それに気づいた私は、これはきっと凄いことが起きたんだと思い、有頂天になりながら、夢中で自分の意識を観察しました。

自分の意識をパソコン画面から他の対象に向けると、私の意識がパソコン画面からその対象に移り変わり、その対象そのものが私の意識になりました。
窓の外の景色を見ると、私の意識がその景色そのものになりました。
また、自分の意識を内面に向け、内面に起こってきた考えに意識を向けると、その考えそのものが私の意識になりました。

そして、私は直ぐに、連鎖的に起こってくる考えそのものが私という自我なんだということを理解しました。

4月9日になぜか自分に起こってきた「私自身が考えである」という確信的理解は、まさにそれで合っていたのです。

それが分かった私は、嬉しくて嬉しくて、何かお祝いをしようと思いました。
それでお祝いに、自宅近くの寿司屋でお寿司を買って帰り、それを家族と一緒に食べました。
家族(特に家内)には、そのことを話しても分かってもらえないと思ったので、今日は仕事でとってもいいことがあったから、みんなでお祝いしたくなったんだと言いました。

なお、当時の私は、大悟がどういう悟りかということを全く知らず、自分の意識の変化が何なのかは全く分かりませんでした。
そのとき分かっていたのは、相当大きな変化が起きたということと、悟りの道のりとしては大分いいところまで来たこと、でもまだもやもやっとして晴れない何かがあり、これが最後の悟りではなさそうだということだけでした。
自分のその意識の変化がいわゆる大悟なんだということを知ったのは、翌2014年の1月に入ってから、犬山さんと仰る方に、私が言っていること、つまり「私という自我は、連鎖的に起こってくる考えそのものである」と同じことを言っている人がいると言って、クリシュナムルティさんのことを教えてもらってからのことでした。


次回からは、大悟後から解脱の悟りまでのことを書きたいと思います。

続きます。


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私の体験談(見性後から大悟まで)(3)

2014年11月22日 23時22分10秒 | 私の体験
◇私の体験談(見性後から大悟まで)(3)◇

今回の記事では、私がどのように大悟に近づき、到達したかについて書きたいと思います。

大悟に近づき、それに至るときのポイントは、握りしめた考えの手放しと、私という自我への集中だったのだと思っています。
手放しは、主に「すべては考えに過ぎない」という智慧が導いてくれました。
自我への集中は、「私自身が考えである」という確信的理解が導いてくれました。

2013年4月9日に、「すべては考えに過ぎない」という理解と、「私自身も考えである」という確信が起きたとき、前者については直ぐにそれが附に落ちたのですが、後者については間違いないという確信があるだけで、それがどういう意味なのか等については理解が得られませんでした。
そのため、「すべては考えに過ぎない」という理解については、その理解が直ぐに自分が握りしめた考えの手放しに有効に作用し、手放しが進んでいきました。
しかし、「私自身も考えである」という確信については、それが理解できず、またどう受け止めたらいいのかも分からず、その後数ヶ月の間、お手上げ状態でした。

それでも、「私自身も考えである」という考えに何か大きなヒントがあるような気がして、そのことが頭から離れず、それはどういうことなのかとか、どういう意味があるのかなど、絶えず考えていました。
今から思うと、そうやって考えることに、私自身に意識を向けるという効果があったのだと思います。
「私自身も考えである」という考えはその対象が自分なので、そのことについて考えることは、自ずと自分に意識を向けることになったようです。

そうやって、ああでもない、こうでもないと考えているうち、「私自身のことをもっと深く知りたい」、あるいは「私という存在を覆う霧のようなベールを取り払いたい」という強い衝動が生じるようになっていました。
2013年の9月に入るころには、自分自身に意識を集中し、より深く自分を見ようとするようになっていました。

そして、9月の後半から10月に入るころには、自分自身に意識を集中することへの非常に強い衝動が湧き起こるようになっていました。
いま考えても、どうして自分にそのような強い衝動が起こったのかよく分かりませんが、その衝動が起こってくると、これ以上ないほどの高い集中度で自分自身に意識を集中するようになっていました。
当時の私は、どうしてそれをやるのか、また、どうしてそこまで激しくそれをやろうとするのか、自分でも分からないまま、それをやっていました。

なお、その当時の私がやっていた自分に意識を集中する方法は、このブログの記事(ハートの自覚ワーク(1)(2))として既に紹介済みです。
ちなみに、このワークは誰かから教えてもらったものではないのです。
自分でも不思議なのですが、自分自身に意識を集中するうちに、記事に書いた方法が自然に出来上がっていったのです。

大悟を得た10月19日の直前の2、3週間の間、私は自分に意識を集中するワークを一日5、6時間かそれ以上、毎日のようになっていました。
1回ごとのワークの時間は、短いときは20分か30分程度で、長いときは2、3時間連続してやっていました。
また、ワークをやるときは、燃えさかる炎のような激しさでそれをやっていました。
そして、その激しさは大悟の日に向けて増して行きました。
最終的には、私という存在を焼き尽くしてやる、あるいは跡形もなく破壊してやるという強い念がわき起こり、それと一体になってワークをやるようになっていました。

また、そのように私自身に意識を集中するようになっていく一方で、依然として「私自身も考えである」という考えについての考察も続けていました。
そうしているうち段々と、私という自我と、自我がつくる、あるいは自我に起こってくる考えとの関係等について観察し、考察するようになっていました。
そして、私の意識の変化、より詳細には、私に何か考えが起こってきた瞬間の意識の挙動や変化に着目するようになっていきました。
例えば、私自身に意識を向けている状態で、電車の音が聞こえてきて電車に関する考えが起きたときの私の意識の挙動や変化について観察し、考察するようになっていました。

そして私は、その観察により、私に何か考えが起きたときの私の意識の挙動について、不思議な現象がそこに起こっていることに気づき始めたのです。
どういう気づきかと言いますと、私に意識を向けているときは、私の意識には「私」だけがあるような感覚なのです。
それが、「電車だ」等の何か別の考えが起きた瞬間に、私の意識のほぼ全体が「私」から「電車」に移ってしまうという現象に気がつき始めたのです。
そのことに気づき始めたとき、私はそのことがとても不思議で、それがどういうことなのか必死に考えながら、私の意識の挙動について何度も何度も観察しました。
このような自分の意識についての観察や考察も、私にとって重要な大悟への導きとなったのだろうと思っています。

もう一つ、私が大悟を得る直前にやっていたことを紹介したいと思います。
私が大悟を得るのにどれほど効果があったのかは分からないのですが、私は大悟を得る直前の4、5日間、面白いワークを考え出して実践していました(これについても既にこのブログで紹介済みです)。
そのワークとは、自分に意識を集中し、その集中度がピークに達した状態で、自分に意識を向けたまま、「私という考えをつくっているのは、私だ」という考えを心の中で繰り返し唱えるのです。
私の場合、このワークをやり始めると直ぐに、自分の頭の中や、この世界そのものが飴細工が溶けるようにして崩壊するような感覚になり、このワークを5分と続けることが出来ませんでした。
もしかすると、私の場合、大悟に至る最後のだめ押しのところで、このワークが自我を破壊するのに有効に作用した可能性もあるのかも知れないと思っています。


次回は、大悟があった10月19日のことや、大悟の意識の状態等について書きます。

続きます。


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私の体験談(見性後から大悟まで)(2)

2014年11月21日 23時43分14秒 | 私の体験
◇私の体験談(見性後から大悟まで)(2)◇

今回の記事では、私の意識が天界の悟り階層にあった2013年4月初めから10月19日の期間のうちの8月、9月ころまでの意識の様子や移り変わりについて書きます。
意識の移り変わりの流れを分かりやすくするために、2012年暮れの明け渡し以降の様子を振り返りながら書いてみたいと思います。

明け渡しにより得られる悟り階層(意識次元で言えば、5次元である天界の悟りの少し手前の4.5次元程度でしょうか)と、天界の悟り階層とは、基本的に幸福感、喜び、楽しさ(Joy)等が前面に出てきやすいため、これらの悟り階層に至った人多くの方は、自分が生きることや存在していることに対する幸福感や楽しさを実感される方が多いと思います。

事実私自身も、明け渡しから、見性を得て暫くの期間が経過するまでの間は、幸せや楽しさを実感することが多かったように思います。
特に、2012年暮れに明け渡しがあってから、翌2013年の3月中旬に自覚を始めるまでは、私は本当に幸せの中にいました。
いいことばかりが起こっていた訳ではなく、悪いこともしっかりと起きていたのですが、悪いこともそのまま受け入れてしまうというか、幸福感に酔っ払っていて感覚が麻痺しているというか、いま思い起こしても不思議なほど消極的な感情や感覚が余り起きてきませんでした。

しかし、そのような私を取り巻く幸福な雰囲気は、3月中旬にマスターゲートさんに会い、自覚を始めたことにより、急速に後退し、覚めた雰囲気に変わっていきました。
これに伴って、明け渡しにより広がった私の意識も、自覚を始めて「私」に意識を向け始めたことにより、コンパクトに引き締まっていきました。

そして、4月初めに見性を得てからは、私の意識は、明け渡しによる言わば広がった状態から、キュッとコンパクトに引き締まった覚めた状態へと大きく変化していました。
それでも、8月ころまでは、幸せや楽しさを実感することが多かったように思います。
例えば、見性により得た創造主としての実感を無邪気に楽しんでいました。
こうなったらいいなとか、こうしたいなと自然にイメージすると、そのイメージが自然と実現していくこともよくありました。

しかし、そうやって天界の悟り階層を楽しむ一方で、私の意識の中心は、見性の直ぐ後に生じた「私自身も考えである」という考えに対する追求心と、「すべては考えに過ぎない」という理解から生じる破壊の目の方に徐々に移っていきました。
創造主としての実感を楽しみながらも、それに没頭できない覚めた自分がいつもいて、私の意識を「私自身も考えである」と「すべては考えに過ぎない」に引き込むようになっていました。
楽しさや嬉しい感情が起きたり、こうしたいな等の考えが起きたとき、それが何なんだとか、それのどこが嬉しいんだとか、意味ないだろう等の覚めた考えが出てきて、少しずつ幸福感や楽しさから遠ざかってていきました。
そして、私に起こってくる考えを深く観察し、考察するようになっていきました。

私がまず集中的に考察したのは、「正しさ」や「理想」についてでした。
具体的には、当時、北朝鮮が韓国に対してミサイル攻撃をやるのではないかという懸念が一部で高まっておりました。
そんな北朝鮮の様子を観ていて、私の中に北朝鮮に対する批判心が起こってきたのです。
それが切っ掛けとなり、私は2、3日の間、理想的は社会とはどういう社会なのかについて真剣に考えたのです。

ちょっと冷静に考えれば、複数の立場が存在する以上、すべての人にとっての理想社会など存在するはずがないことは直ぐに分かるはずなのですが、そのときの私はなぜか、理想社会について、本気であれこれと考えたのです。
自分が理想的と思う社会モデルをいくら考えても、それを別の立場から考えると必ず短所や弊害があり、その理想像は直ぐに崩れ去ってしまいました。
散々考えたところで、理想社会なんて存在するはずがないという当たり前のことに気がついたというか、立ち戻りました。

そのとき私は、その当たり前のことへの気づきに対し、自分はなんてバカなことを真剣に考えていたんだ、自分はなんてバカなんだと思っていました。
しかし、そう思いながらも、附に落ちるものがあったのです。

賢明な方は、理想とは個々の視点に依存する二元的な価値観であり、普遍性はないということは知っているんだと思います。
私だってそんなことぐらい知っていました。
でも、過去の私もそうでしたが、それは頭でそう理解しているだけなのです。
薄っぺらな表面的な理解に過ぎないのです。
その証拠に、そのような賢明な方も、自分が日常的にやっている良い悪い等の二元的な判断に対して無自覚であり、相変わらず二元的な考えに囚われたままなのです。

しかし私は、その当たり前のことへの気づきにより、自分に良い悪い等の二元的は考えが起こったとき、あるいは起こりそうになったとき、それをしっかりと自覚できるようになったのです。
そして、自分自身が握りしめている二元的な考え(執着)を手放していき始めたのです。

二元的な考えに対する自覚が進み始めると、将棋倒しのようにして二元的な考えに対する自覚や手放しが進んでいきました。
2012年の6月ころには、良い悪い等で代表される多くの二元的な考えについて、手放しがほぼ完了していました。
そしてそれに伴い、二元的な考えに関連して自分を縛り付けているいくつかの固定観念がひとつずつ外れていきました。

解放が起こった固定観念の例を書きますと、まず最初の方に「仕事が出来ないやつはダメだ(あるいは、無能なやつはダメだ)」という固定観念の解放が起こりました(5月の後半ころだったと思います)。
私は、この固定観念により自分や自分の周りの人たちを長い間痛めつけていたのでした。
私は明け渡し以後、殆ど仕事が出来なくなっていたのですが、この解放により、自分が仕事が出来ないことの苦しさが幾分楽になりました(相変わらず、仕事は出来ませんでしたが、笑)。

続いて、確か8月に、「何かやらないといけない」という固定観念の解放が起こりました。
私は、何かをやっていないといけなくて、何もやらないのはダメだという固定観念を握りしめ、ずっと自分自身を駆り立て、苦しめていたのでした。
なお、私の場合、「仕事が出来ないやつはダメだ」や「何かやらないといけない」等の固定観念の解放がおこるときは、それらの固定観念がまさにそのような言葉として内面の奥底から浮かび上がってくるのです。
そして、浮かび上がってきた考えに気づいたときには、既に解放が起きているという感じなのです。

続いて9月に、「人間としてちゃんと生きなければいけない」という固定観念の解放が起こり、それに続いて、「人に迷惑をかけちゃいけない」という固定観念の解放が起こりました。
私は、自分が仕事を放置していることによりお客さんに迷惑がかかっていることがとても辛くて苦しかったので、そららの固定観念が外れたことでとても楽になりました。
そして、完全に仕事をやらなくなりました(笑)。

そして、9月後半から10月にかけて、幸、不幸という考えも手放していきました。


次回は、「私自身も考えである」という理解の導きにより、どのように大悟に近づき、到達したのかときのことについて書きます。

続きます。


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私の体験談(見性後から大悟まで)(1)

2014年11月20日 22時37分13秒 | 私の体験
◇私の体験談(見性後から大悟まで)(1)◇

悟りの階梯の方を先に書こうと思っていたのですが、気が変わりまして、見性後から解脱の悟りに至るまでの私の体験談を何回かに分けて書いてみたいと思います。
まずは、見性から大悟に至るまでの体験について書きたいと思います。

まずはじめに、私のこれまでの経過を簡単にまとめて起きたいと思います。
私の場合は、最初に、2012年12月20日に明け渡しを経験しました(いわゆる真我の外縁に触れる体験です)。
それに続いて、2013年4月2日前後に、自我を捉える悟りである見性を得、これに伴って天界の悟り階層に入りました。
(一般に見性は緩やかな悟りであり、私の場合もそうだったので、見性のタイミングをこの日だと断定するのは難しいのです。)
続いて、同年10月19日に、大悟を得ました。
そして、翌2014年2月11日に、解脱の悟りを得ました。

それでは、本題に入っていきます。

私は、2012年暮れに明け渡しを体験した直後から、智慧が働くようになっていました。
その智慧とはどんな感じかと言いますと、内面から湧き起こるようにして、あるいはハッとひらめくようにして、自分自身の内面のことや、この世界の仕組みに関することを理解するようになっていました。
2013年4月初めに見性を得た後は、その智慧の働きがさらに深くシャープになったようでした。

そして、見性を得た直ぐ後の4月9日のマスターゲートさんの講話を聞いているときに、智慧の働きにより、私にとって大きな契機となる理解を得ました。
その理解が生じた後の数分間は、大小複数の智慧の発動というか理解が生じ、自分の内面に没頭していました。

その理解とは、この世界のすべてのことは考えであり、私という自我を通してつくり出されているんだという理解でした。
この理解は、私に二つの派生的な理解を起こしました。
まず派生的な理解の一つ目として、どうして私たちに創造主としての自覚や主体性が必要なのかを理解しました。
どういうことかと言いますと、私が考えによりすべてのことをつくり出しているのだから、自分自身からつくり出されている考えに自分が翻弄されていてはどうしようもない訳であり、自分はそのことにしっかりと気づいているべきだということが分かったのです。
この派生的な理解により、私は創造主としての私なりの心持ちと言いますか、立ち位置をある程度確立したんだと思っています。

それに続いて生じた派生的な理解の二つ目は、すべては考えに過ぎないんだという理解そのものに対する着眼でした。
その着眼は、あらゆる対象を幻想として打ち壊していく破壊の目でした。
まさにそのときから、私は創造主としての立脚点を確立するのと同時に、その破壊の目により、創造主である自分自身や、創造主として自らが立っているその足場を破壊し始めたのです。

そして、その破壊の目は私自身に対する大きな直感的理解を直ぐに誘発させました。
その理解とは、この世界だけでなく、世界をつくりだしている私という自我そのものも考えに違いないという確信でした。

しかし、そのときの私は、その直感的な理解が絶対に正しいものであることを確信しただけで、それがどういう意味なのかが今ひとつ分からずにいました。
そして、その「私自身も考えである」ということの意味を解き明かそうとする追求心と、「すべては考えに過ぎない」という理解から生じる破壊の目が、それ以後、私が大悟を得るまでの案内役となりました。


次回は、私が天界の悟り階層にいたころの前半部分の様子等について書いてみたいと思っています。

続きます。


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私の道のりを再度まとめてみました

2014年04月05日 14時06分33秒 | 私の体験
◇私の道のりを再度まとめてみました◇

私の歩んだ道のりについて、クリアになった視点でもう一度簡単にまとめてみたいと思います。

私は2012年12月20日、46歳のときに明け渡しが起きたのですが、それまでの人生は多くの方の人生と比較して苦難の多い人生を歩んできたのだと思います。
私よりもっともっと大きな困難を経験されている方はいくらでもおられるのだとは思いますが、それでも私には困難だったのです。
それまでの人生は、起こってくる困難な状況に対して、それを受け入れることや、向き合うことを無意識のうちにただひたすらやっていたように思います(詳しくはこのブログカテゴリーの私の覚醒体験をご覧下さい)。

そして、そうやって行ってきた受け入れがある閾値を超えたとき、一気に明け渡しが起こったという感じです。
明け渡しが起こったとき、私の場合は経験したことのない至福が訪れ、何もかもがただただ有り難く感じ、その至福感の中で2時間くらいただただ泣いていました。
そして、その大きな至福感が収まっていくのに伴って智慧の発現が始まり、ポコッ、ポコッと内面から沸き上がるようにして、自分自身のことやこの世界のことに対する理解が進んでいきました。

明け渡しと言っても、浅いものから深いものまで様々のようですが、多くの方の場合、明け渡しが起こると、真我の覚醒が起こるようです。
なお、真我の覚醒には第一、第二の二つの段階があり、第一の段階が真我の外縁に触れる段階で、第二の段階が真我を完全に捉え、真我に完全に覚醒する段階です。

私に起こったものはかなり深いものだったようで、その先端は解脱にまで達していました。
どうしてそう思うかと言いますと、まずは明け渡しから解脱(正確には解脱の準備完了)までの行程があまりに短期間であるとともに、スムーズだったからです。
明け渡しから解脱まで、約1年1ヶ月くらいの期間でした。

それと、明け渡しに伴って微かな輪廻転生の記憶が蘇るとともに、その受け入れが起きたことです。
どういうことかと言いますと、明け渡しがあったのは夜11時だったのですが、その翌朝、自分の中に輪廻転生の微かな記憶があることが分かったのです。
そのとき、私は何度も何度もここに生まれてきていることが分かったのです。
そして、私はそれを受け入れたのです。
つまり、さらに何度も生まれてくるであろうことをそのまま受け入れたのです。
それでいい、どんな人生であっても何度でも何度でもそれに取り組んでやると思ったのです。
私は何度でもここに生まれてくるんだと思ったのです。
そうしたら次の瞬間、もう次がないことが分かったのです。
これが最後だということが分かったのです。
いまから思うと、もしかしたら、私が輪廻転生を受け入れたことが、それを終わらせたのかも知れないとも思っています。

真我の第一段階の覚醒については、私の場合、明け渡しのと同時に生じました。
ハートが開き、クラウンチャクラが活性化し、自我(正確には分別)が急激に薄くなりました。
おそらく、この段階で私という存在のコア(これを魂と言ってもいいです)もかなり溶けかかっていたのではないかと思います。
つまり私の場合、この段階で既に真我の第二段階の覚醒も始まっていたのだと思います。

その後は、明け渡しに伴って発現した智慧により解脱へと導かれていきました。

まずは、2013年3月から4月にかけて、導かれるようにしてマスターゲートさんとご縁が繋がり、ゲートさんに自覚を教わり、自覚を始めました。
私には、自覚という手段が必要だったのです。
明け渡しにより薄くなっているとは言えまだ残っている自我を滅するためには、自覚により自我を捉える必要があったのです。
なお、この自覚により自我に意識を向けるという行程により、一時的に自我が強くなってしまい、あたかも悟りの道に逆行しているかのような感覚になったこともありました。

見性により自我を捉えられた後は自ずと、意識を自分自身、つまりハートの中心である私という存在のコアに向けるようになっていきました。
特に2013年9月から10月にかけて、自分自身を見つめることに対する強い衝動が湧き起こるようにして生じ、その衝動に突き動かされるようにして、一日何時間も(おそらく、5、6時間以上)自分に意識を向け続けていました。

そして、2013年10月19日の朝に、昨日までハートの中心にあった私という存在のコアのようなものが無くなっていることに気づきました。
それとともに、私という存在が思考、あるいは思考の連鎖そのものであるということを理解しました。

その後、2014年1月から2月にかけて、私という存在が自我と真我の二面性を有していることの理解や、自我と真我に対するより明確な理解が進んで行きました。
そして、その2月11日に、私という存在の根本的な性である無明の迷いについて理解が得られました。

無明の迷いについて理解が得られたときは、それが私という存在の根底にある性であることを理解しましたが、それがお釈迦さまが仰った無明の迷いに関する理解であることは気づきませんでした。
そのときは、お釈迦さまが仰った無明の迷いのことは知らなかったのです。
その数日後に、ネットを散策をしていたら、お釈迦様が仰った無明の迷いに関する文章を見つけ、私の理解がそれであることが分かりました。
そしてそのとき、私という存在に対する理解がこれで終わったのだということを改めて確信しました。


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「私という考え」との遭遇

2014年01月14日 14時05分40秒 | 私の体験
◇「私という考え」との遭遇◇

ここに来られる方に、私の体験談が参考になる方がおられるかも知れないので、私が「私という考え」を実感(自覚)できるまでの道のりについて書いてみます。

「私という考え」について私の体験談をお話しをするためには、2013年4月に私がマスターゲートさんから見性印可(あなたは悟りましたよという師匠の認定)を頂いたときに遡ってお話ししなければなりません。

私は、ゲートさんの講話を聴いているときに、この世のすべての事象は私がつくっている考えなんだということを理解し、その場で見性印可を頂いたのですが、そのときに、この私という存在も考えであることを確信したのです。
なぜそういう確信が芽生えたのか自分でもよく分からないのですが、すべての事象は考えであり幻であるということを理解した次の瞬間、この私という存在も考えであることを確信したのです。
ただこのときは、私が考えであるという確信があるだけで、実感(自覚)もなければ、それがどういうことなのかも分かりませんでした。

でも見性の翌日か翌々日ころに、私が考えであるということに対する糸口が少し分かり始めました。
それは、「私」は考えなのだから、「私という考え」をつくらなければ「私」はないのだろうということでした。
この私の切り口はそれなりの手応えを感じたので、これをまだ東京に滞在しておられたゲートさんに質問してみようと思いました。
しかし、ゲートさんを取り巻く周りの当時の雰囲気は、見性により「私」を捉えられた方々の喜びや、「私」という存在を揺るぎないものとしてそこを目指して自覚を続けておられる方々の切実さで染まっており、「私は幻だ」という私の質問をゲートさんにできるような状況ではありませんでした。

その直ぐ後、ゲートさんはフランスに帰国されました。
以後、私は独自に「私」を見つめ続けることで、自問自答しながら、「私という存在」と向き合っていくこととなりました。

見性後の最初のころは、私という存在については、考えであることは間違いないとは思っていたのですが、私を含むすべての事象が生まれ出る源のようなもの(言葉では表現できません)があるのではないかと考えていました。
そして、その根源については、考え(幻)なのか、幻ではなく何かがそこにはあるのか、よく分からないでいました。
私の内面を見つめ続けるうち、その根源も、私がつくっている考えであることが分かり、これによって、まさにすべての事象が考えであることが分かっていきました。
これは、2013年の8月から9月にかけてのことだと思います。

こうして私は、私を含む本当にすべての事象が考えであることを確信したのですが、依然として私が考えであるということを実感(自覚)できないでいました。
このため、まだ納得ができないというか、スッキリしないというか、もどかしさを抱えながら、私が考えであるということがどういうことなのかを見つめ続けていました。

そして、9月末から10月中旬にかけて、私に対するもどかしさはどんどん高まっていきました。
毎日毎日殆ど仕事もせずに、職場で自分に意識を向け続けるようになっていました。
顕在意識の思考が止まる程に集中し、毎日何時間も自分に意識を向け続けていました。
それでも、私が考えであることが実感(自覚)できずにいました。

その過程の中で、こんなワークを考えてやったりもしました。
それは、名付けて「私という存在が考えであることを自覚するワーク」というものでして、
「誰が私という考えをつくっていますか」、
あるいは「これをやっているのは私だと誰が考えてますか」
という問いを繰り返し自問自答しながら、私に意識を向け続けるワークなのです。

ご興味がおありの方は、どうぞやってみて下さい。
私の場合、上のワークを集中して数分やると、頭の中や、私という存在が飴細工のように崩壊しそうな感じになりました(笑)。

そうやってもんもんとしながら私に意識を向け続けているうち、10月19日の朝、ふっと、私という存在が考えであることを実感(自覚)できたのです。

「私」という意識が無くなっているような不思議な感覚とともに、「私という考え」がつくられなければ「私という存在」も存在しないことを実感(自覚)できたのです。
結果として、見性のときに得た「私という考えをつくらなければ私は存在しないんだ」という切り口でよかったのです。

こうして、「私という存在」が考えであることが実感(自覚)できると、様々な考えを照らし出すようにして生成しながら遷りゆくスポットライトのような思考の連鎖、あるいは思考そのものが私であるという理解に、直ぐに到達しました。

以上です。


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サイマーさんのイベント参加と転機

2013年07月31日 09時11分42秒 | 私の体験
私の覚醒体験談の最後に、今年2013年5月31日~6月2日のサイマーさんのイベントに参加したときのことを書かせていただきます。

サイマーさんのイベントへの参加は、私にとって大変意義深いものでした。
そのイベント参加が私の大きな転機になっていたのです。

サイマーさんのイベント参加前は、先に書いたように仕事が手に着かない状態が続いていました。
また、それまでの私は、自分の活力を精神的な活動に振り向け過ぎていました。
活力のバランス配分が崩れ、日常が疎かになっていました。

私は、3月に101キャンドルライトのメンバーになって4月に見性を得るまで、自分の活力の大半を、ゲートさんの講話セッションに参加したり、キャンドルライトのメンバー掲示板への書き込みをしたり、自覚のワークをするなどに振り向けていました。
また、4月に見性を得て、ゲートさんの講話セッションが終了した後も、メンバー掲示板への書き込みをしたり、他のメンバーたちと集まって交流したりと、引き続きキャンドルライトでの活動に自分の活力の多くを振り向けていたのです。

さらに、私には家内との関係についても修正する必要があったのです。
私は自分がキャンドルライトのメンバーになったいることも、そういった心の勉強をしていることも、家内に秘密にしていたのです。
キャンドルライトのことや、サイマーさんのイベントに参加することを家内に話したのは、サイマーさんのイベントが迫った5月下旬でした。

それまで家内に話せなかったのは、キャンドルライトやサイマーさんのことを家内に話しても、受け入れられずに激しく拒絶されるだろうと思ったからでした。
それと、ゲートさんの講話セッションとサイマーさんのイベントは何がなんでも参加すると固く決めていましたので、家内に相談することで家庭内の関係が悪化するのを避けたいという気持ちも強くありました。

5月下旬にそれらについて話したときの家内の反応は、思っていた通り大変厳しいものでした。
それでも、サイマーさんのイベントへの参加は、申し込みが完了していたこともあって、家内の納得が得られ、参加することができました。
イベント参加への私の強い意志に、家内が一旦妥協したというところもあったのだと思います。


イベント初日の5月31日にはサイマーさんのダルシャンがあり、これには二人の息子を連れていきました。
それと、家内の写真も持っていきました。
そして、サイマーさんに、私、家内(写真)、そして二人の息子の順にクジャクの羽で頭を撫でていただきました。

初めてサイマーさんを間近で拝見したときの感想は、思っていたよりも小柄な方で、なんてチャーミングな方なのだろうと思いました。
そして、その可愛らしさとともに、もちろん聖者としての力強さや威厳、暖かさや大らかさもあって、なんて多様な魅力を持たれた方なんだと思いました。

続く6月1日、2日のセッションは、私一人で参加しました。
実はサイマーさんのイベントへの参加には、内心少し複雑なところもあったのです。
サイマーさんのイベントへの参加は、どうしても参加するんだという強い思いがあるだけで、どういう理由で自分が参加しようとしているのかが今ひとつ分からなかったのです。
しかしその疑問は、2日目に解けることとなりました。

3日間のイベントの中で、サイマーさんから直接のお声かけを頂いたのは初日のダルシャンのときだけだったのですが、2日目のセッションの中で、私はサイマーさんからあるメッセージを受け取ったのです。

2日目のセッションの中で、サイマーさんが次のようなお話をされたのです。

   家族を大切にして、務めを果たさないといけません。
   仕事も大切です。
   どんな仕事でも、それはあなたが自分で選んだものです。
   あなたが選んだ役目を果たさなければなりません。
   そして、それはあなたにとって大きな学びになります。

   でも、仕事にばかり集中しすぎて家庭を疎かにしてはいけません。
   夕食には自宅に帰って、家族と一緒に夕食を取りなさい。
   そして、夕食後は子供たちと一緒に過ごしなさい。

   これは少しも難しいことではありません。
   やろうと思えば、誰にだって可能なことです。
   私も仕事をしながら二人の息子を育てました。
   あたなにだってきっとできるはずです。

   いまのあたなには、もっとああしたい、こうしたいという思いがあるでしょうが、
   どうか焦らないで人生をもっと長い目で見てください。
   時間はまだたっぷりあります。
   あなたがいまの役目を果たした後に、それをやればいいのです。
   私も息子たちを育て上げ、一通りの仕事をした後で、いまのこの仕事をしています。
   大丈夫です。
   あなたにもきっとやれます。

私はそのお話を聴きながら、「ああ、これはサイマーさんが私の心の声を代弁してくれているのかもしれない」と思ったのです。
そして、私はこのメッセージをサイマーさんから受け取るために、ここに来たんだということが分かったのです。

そのとき、表層意識の私は、これでいいんだ、私はこうして日常に戻っていくんだと思ったのです。
サイマーさんの3日間のイベントも無難に過ぎていくんだと思ったのです。

しかし、私を取り巻く状況は、イベント最終日の夜に思いもよらない方法によって変化することとなったのです。

イベントの1日目、2日目は、イベント終了後は直ぐに帰宅していたのですが、3日目は、イベント終了後にイベント関係者や参加者の方々との食事会に参加しため、帰宅が遅くなってしまったのです。
そして、その帰宅が遅くなったことが切っ掛けで家内と私との間の歪エネルギーが一気に解放されることとになったのです。
なお、早く帰宅しないと家内の機嫌が悪くなることは薄々分かってはいたのですが、私はどうしても皆さんと一緒にお話がしたかったのでした。

その日の帰宅後、キャンドルライトでのことや、サイマーさんのことなどについて、家内から激しく責められました。
そして、家内から、キャンドルライトから直ぐに退会して、今後一切そういった活動から縁を切ることを強く迫られたのでした。

その家内の要求に対して、私はそれを受け入れることにしました。
それで私は、このブログの自己紹介にも書いたようにキャンドルライトを退会することにしたのです。

キャンドルライトからの退会等を要求する家内に対して、対応の方法はいろいろあるんだということは分かったていました。
それでも、私はそれでいいんだと思ったのです。

なぜなら、その状況を自分がずっと前から設定していたんだということを思い出すようにして分かったのです。
それと同時に、家内の要求を通して示されている自分の役割を受け入れてみようと思ったのです。

そうやって私は家内の要求を受けれる決断をしながら、これで自分は日常に戻っていくんだと思ったのでした。


これで私の覚醒体験談を終わらせていただきます。
最後まで私の体験談を読んでくださり、ありがとうございます。

私はまだまだ過渡期にあり、変化の途中にあるのだろうと思っています。
今後の記事の中で、そういった私の変化についても書いていきたいと思っています。

次回から暫くの間、見性を得るための自覚のワークについて紹介させていただきます。
次は今週金曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。

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見性体験(6)-見性後の意識変化など

2013年07月29日 09時27分12秒 | 私の体験
見性体験談の最後に、見性後の私の意識状態の変化などについて書かせていただきます。

見性による意識変化は比較的緩やかに生じる例が多いようでして、特に見性直後の場合、その前後の意識の変化について実感が薄い方も少なくないようです。
私の場合もまさにそうで、見性の前後で何か変わったかと見性直後に訊かれれば答えに困っていたと思います。

でも、変化を実感しにくいだけで、大きな変化はあったのです。

それは、大いなる存在の視点を得られたことです。

大いなる存在の視点とは、肉体の私の視点とは別の視点であり、私自身を客観的に観ている視点のことです。

大いなる存在の視点を得られたことの実感が薄く感じられるのには、理由があったのです。
それは、見性直前は大いなる存在の視点が肉体の私の視点と分離されて感じられていたのが、見性に伴って、大いなる存在の視点と肉体の私の視点とが融合し、一つになってしまうため、大いなる存在の視点に対する実感が一時的に薄れたからでした。

いまは、大いなる存在の視点を得られたことの意義の大きさについてしっかりと実感しています。
そして、その実感がじわじわと深まっています。

明け渡し後も、見性後も、相変わらず私にはいろんな考え、感情が起こってきます。
また、様々な出来事も起こってきます。
それによって、私が右往左往することもあります。

でもいまの私には、そんな私をいつも観ている大いなる存在の視点があるのです。
そして、例え何があっても、私はただそれらを観ていればいいんだということが分かっているのです。
起こってくることに対し、私がどういう対応を選択ようが構わないのです。
ただ観ていればそれでいいのです。
なぜなら、本質の私は例えどんなことがあっても傷つくこともないし、影響されることもないのですから。


余談として、明け渡しを経験した私がなぜゲートさんのもとで見性について学ぶことになったのかについて、現時点の私なりの考えを書きます。

先に書いたように、私にとって明け渡し体験による意識変化はあまりにも激しいものであり、日常生活に支障を来すほどでした。
明け渡し後、私は自閉症の長男の世話等の家庭でのことは何とか対応できるものの、仕事が殆ど手に着かなくなっていました。
今思うと、当時の私は、家族や仕事に対して自分がどうしたいのかが分からなくなっていたのかも知れません。
あるいは、日常生活から逃れたいという思いもあったのかも知れません。

また、私の心の中で、明け渡しの体験や、そのもとになったすべてを受け入れることに囚われてしまっている部分もありました。

当時の私にとって、そのままではその状態から抜け出すのは簡単ではなく、状態が落ちつくまでにはそれなりの期間が必要だったのだろうと思います。
しかし、私には自分の意識状態の自然な変化を待っている時間はなかったのです。

私は自営業を営んでいますので、もし今後私の仕事が変わっていくとしても、取りあえずはその仕事を維持し、お客さんにも極力迷惑をかけないようにする必要がありました。
また、家庭では家内と協力して息子たちを育てていく必要がありました。
このため、私は、明け渡し後、出来るだけ早く自分の意識を落ち着かせて、それらのことに対応する必要があったのです。

そのための手段として、私の場合、明け渡しから早期に見性を得るという道を選択したのだろうと思っています。

もっと踏み込んで言えば、私は明け渡しによって悟りを得たのですが、その悟りからも自由になり解放される必要があったのだろうと思っています。
それには、見性によるすべては考えであるという理解が有効だったのだろうと思います。

ただ、今年2013年4月に見性を得た後も、仕事に対する意欲が湧かない等の私の意識状態は直ぐには改善しませんでした。
状態が少しずつ改善し始めたのは、5月末にサイマーさんのイベントに参加し、さらにそれから2週間ほど経ってからのことでした。

私の体験談は次回で最後となります。
最終回は、今年5月末のサイマーさんのイベントに参加したときのことや、それに関連することを書かせていただきます。

次は今週水曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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