私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りを外に求めない

2018年03月31日 09時58分51秒 | 悟り
◇悟りを外に求めない◇

悟りを外に求めない。
これは、悟りを求めている方々、特に悟りに関する情報を求め、接しておられる方々に申し上げたい。

どうか、悟りを外に求めないでください。
手っ取り早く見つけた答えに、自分をはめ込もうとしないでください。

外に求めても、そこに悟りはありません。
迷い彷徨うばかりです。

意識を外ではなく内に向け、あなただけの悟りを見つけてください。
結局のところ、そうやっていくしかないことに気づいてください。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


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行為の自覚

2018年03月21日 14時16分35秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇行為の自覚◇

考えの自覚をやれる方はそれをやられれば結構でして、ここで紹介する行為の自覚は特に必要ありません。
この行為の自覚は考えの自覚が難しいという方に試して頂きたい方法です。
なお、考えの自覚と行為の自覚を同時並行でやられても問題ありません。

行為の自覚は、その言葉の通り、自分の行為について自覚していきます。
具体的には、普段何気なくやっている一つ一つの行為について、「私がこの行為をやっているんだ」と自覚していきます。
大変でしょうが、一つ一つの行為についてできるだけ徹底的かつ丁寧に自覚してください。

歩いているときは、「私が歩いているんだ」と自覚してください。
さらには、一歩一歩の足の運びについても、「右、左、右、左」と言う具合に自分が左右の足を交互に送り出していることを自覚してください。
道を曲がるときや立ち止まるときは、私がそれらの行為をやっていることを自覚してください。
そして、自らの意志で自らの身体を目的地まで運んでいることを自覚してください。

食事を摂るときも、何にしようかメニューを考えるところから自覚してください。
材料を揃えに買い物に行くときも、料理をするときも、また何かを食べにレストランに行くときも、その途中で必要となる各行為について自覚してください。
食事中も、目の前に並んだ器の中からどれかを選び、選んだ器を手に取り、食べ物を箸で口に運び、咀嚼し、味わい、呑み込むところまで、一つ一つ丁寧に「私がやっているんだ」と自覚してください。

そうやって自覚を続けていると、一つ一つの行為を本当に自分がやっていることを実感するようになります。


行為の自覚と考えの自覚の関係について、少し補足します。
行為は行為単体で起こることは少なく、感情や思考等の考えと相まって起こることが多いです。
このため、最初は行為を主眼として自覚を行っていても、続けているうちに自ずと考えについても自覚するようになります。


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考えの自覚

2018年03月19日 10時36分48秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇考えの自覚◇

私に意識を向けられることに慣れてきたら、それと並行して考えの自覚をやってみてください。
考えの自覚とは、感情や思考等の考えが起こってきたときに、その考えを私の考えとして自覚することです。
起こってきた考えを私の考えとして自覚できたら結構ですから、方法は特に限定はなく自由です。

ただし、一つだけ大切なポイントがあります。
それは、できるだけ私に意識を向けた状態を保ちながら考えの自覚をやって頂きたいのです。
意識の重心を私に保ちながら、起こってきた考えに、その考えは私の考えなんだと自覚してください。

具体的には、例えば次のような要領で行います。
何か感情(例えば怒り)が起こってきたときに、その感情の高まりに巻き込まれる前に、「この感情(例えば怒り)は私の考えなんだな」と心の中で唱えるようにして自覚します。
また、思考(例えば善悪の判断)が起こってきたときは、その判断の連鎖に巻き込まれる前に、「この思考(例えば判断)は私の考えなんだな」と心の中で唱えるようにして自覚します。

「この考えは私の考えなんだな」と心の中で唱えるとき、フレーズの中の「私」の部分を特に意識して唱えます。
これによって、意識が私に引き戻され、起こってきた考えに巻き込まれるのが防げます。
心の中で唱えるフレーズは、そのフレーズの中に「私」という言葉が入っていれば何でも構いません。
例えば、「この考えは私がつくったんだな」、「この考えは私に起こったんだな」など、そのときの感覚に応じて自由に選んでください。

考えの自覚を始めたころは、取りあえず見よう見まねでやってみるという感じなんだろうと思います。
やり方が合っているいるのかどうかも分からず、とても心許ない状態だと思います。
最初のうちはそんなものですから、取りあえず続けて頂きたいと思います。
続けていれば、段々と自覚の手応えや実感が得られるようになっていきます。


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初めての自覚

2018年03月17日 13時07分44秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇初めての自覚◇

大分以前から自覚ワークについてまとめ直そうと思っていたのですが、そのままになっていました。
やっとその作業に取りかかりたいと思います。
では始めます。


自覚とは、「私」に意識を向けることです。
私に意識を向けさえすれば、自覚です。
まずは、私に意識を向けてみてください。

私に意識を向けることに段々と慣れてきたら、可能な限り常に私に意識を向けた状態を維持できるよう努力してください。
また、私に向ける意識の集中度を段々と高めていくよう努力してください。

私に意識を向けることで、無用な感情や雑念が抑制されるとともに、それらに翻弄されることが減っていきます。
また、心と身体がしっかりとし、落ち着いて行動できるようになります。
そして、私に意識を向け続けることで、私が握りしめている考え(囚われ)に気づくようになっていきます。

身体のどこに「私」を感じて意識を向けるかについてですが、胸(ハート)でそれを感じる方、頭の中でそれを感じる方など様々だと思います。
場所はどこでも構いませんので、ご自分のやりやすい身体の部分で「私」を感じながら意識を向けてください。

「私」を感じないという方や、「私」がよく分からないという方は、自分の身体を頭頂から胸(あるいは丹田)あたりまで貫く中心軸をイメージしてみてください。
中心軸をイメージするだけでも自覚になります。
中心軸をイメージできるようになったら、その中心軸に「私」をいう名前を付けて、その「私」に意識を向けるようにしてみてください。


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自我と真我

2018年03月16日 10時10分34秒 | 悟り
◇自我と真我◇

ここでいう自我とは、通常の肉体感覚等で認識する私自身です。
真我とは、観照意識です。
(真我の捉え方は様々で、私自身も過去様々な捉え方をしていました。しかし、現在の私の認識としては、それを観照意識であるとするのが、真我という概念を最も多用するアドバイタの覚者たちの認識にも近く、無難なのだろうと思っています。)

この記事で言いたいことは、ただ一つ。
一切は考えなのですが、自我と真我、どちらがより本質的な考えなのかということです。

さあ、どっちでしょう。

その言葉からして、真我がより本質だろうと思われるでしょうが、実は違います。
より本質的なのは、真我の私ではなく、自我の私なのです。

それを理解するポイントは、誰がそれを認識しているのか、というところにあります。
つまり、究極的な認識者は誰なのかということです。
それは自我なのです。

多くの覚者たちは、真我を知るとそれを握ってしまいます。
そして、自らの主体性を見失い、真我に依存してしまいます。

どうか賢明な方は、真我も私という自我の認識であり、考えであることに気づいて頂きたいと思います。


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悟りの階梯

2018年03月14日 09時24分13秒 | 悟りの階梯
◇悟りの階梯◇

2年以上前から、悟りの階梯について改めてまとめ直そうと思っていたのですが、気が向かずそのままになっていました。
今回の内容は、これまでごちゃごちゃと複雑になっていた部分を切り捨てて、スッキリとさせました。
おそらく、これが最終的な形となります。

悟りの階梯は、小悟、大悟、解脱の3階層です。

小悟の要件は、観照意識の確立です。
小悟によって、私と考え、あるいは私と世界が分離され、起こってくる考えや事柄に翻弄されることがほぼ無くなります。
この悟りへの手段は、例えば、外側(世界)に対するこうあるべき、これが正しい等の囚われの大半を手放すことです。

大悟の要件は、私とは意識であり、世界そのものであることの理解です。
この悟りへの手段は、例えば、私自身に対するこうあるべき等の囚われの大半を手放すことです。

解脱の要件は、根本的な苦に対する理解と、その苦に対する自らの衝動の停止です。
これによって、私という存在そのものが苦であり、どうにもならないことを理解します。
この悟りへの手段は、例えば、考え(囚われ)を何も握っていない状態に至り、依然として苦しんでいる自らの姿に気づくことです。


(補足説明)
これまでの内容では明け渡し等によって得られる状態を小悟に含めていましたが、今回の内容で未悟としました。
また、これまでの内容では「見るものは見られるもの」を体験した状態を大悟に含めていましたが、今回の内容で大悟から除外しました。
いずれの悟りも、私に意識を向け、私が握りしめている考え(囚われ)に気づき、手放していくことで至れます。


(記事の修正、2018年10月2日)
上記の記載の大悟のところで、大悟の要件を無常、無我としていたのですが、いろいろ考えた結果、自分の理解に一番合致した自分の言葉で大悟の要件を表現することにしました。


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