私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自分を信じる(1)

2013年10月31日 09時18分11秒 | エッセイ
◇自分を信じる(1)◇

私はつい最近まで迷いや不足感の中にいました。
私は明け渡しも経験したし、見性も得たのに、どうしてこのように迷いや不足感を持っているのだろうと思い、さらに不足感を募らせていました(ちょっと大げさですが、笑)。
この経験もきっと意味があるのだろうと思いながら、毎日を過ごしていました。

そうこうしているときに、ふっと気づいたのです。
私は自分を信じてないんだと。
それまでの私は、マスターゲートさんが仰ることや、ゲートさんが下さった私の見性印可を信じるのに自分を信じていなかったのです。
外から得た情報(考え)や、私自身がつくった考えを信じるのに、その大もとである私自身を信じていなかったのです。
だからいつまで経っても自己不信の迷いの中にあり、自分と他人の比較もやめられなかったのです。

そして、それに気づいた私は、私自身を信じることを決心したのでした。


余談です。
こうして私は自分を信じることを決めたのですが、疑問が残りました(笑)。
自分を信じ、もう迷わないと決めたものの、「自分を信じる」というのはどういうことなのかが今ひとつ分からなかったのです。
それが分かったのは、その約一週間後のことでした。
みなさんも、「自分を信じる」とはどういうことか考えてみてください。


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自覚のヒント

2013年10月28日 08時55分39秒 | 悟り
◇自覚のヒント◇

私たちはどうも、プラス方向の考えよりもマイナス方向の考えに囚われやすい傾向があります。
これは私たちに共通する性のようなものなのかもしれません。

このため、自覚により私を知っていくときの取っかかりやヒントも、マイナス方向の固定観念や考えのクセの中から見つかることが多いです。
クセのようにやっている自分と他人との比較や批判にも、ヒントが含まれています。
その他、これはダメとか、こうするべきとか、こうあるべきなどの、否定系又は拘束(制限)系の考えにもヒントがいっぱいです。


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選択と意志

2013年10月25日 11時03分01秒 | エッセイ
◇選択と意志◇

私たちを取り巻く現実は常に刻々と変化しています。
このように否応なく起こる変化ですが、実は紛れもなく私たち自身が起こしています。

この変化の根底には、私たちの選択と意志があります。
私たち自身がそう選択したからそれに応じた変化が起こるのであって、そこに意志があります。
私たちは、意識的な選択と無意識の選択を含め、そうやって選択を繰り返しているのです。

実は、すべての人がまさに自由自在に選択をやっています。
私たちはみな、毎瞬ごとに無限の選択肢の中から自分の希望する選択肢を選択し、この現実の変化を起こしているのです。
私がこう言っても、みなさんはなかなか実感が湧かないかも知れませんが(笑)。
(だって、身体はみなさんの思う通り自由に動くでしょ? それはあなたが起こしている変化であって、そこに意志があり、自由があります(^o^))

私たちが行っているこの毎瞬ごとの選択には、実は秘密があります。
どの選択肢もすべて完璧なもので、完璧さにおいてどの選択肢もすべて同等なのです。


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自分の内面を見つめているとき

2013年10月24日 09時27分57秒 | 悟り
◇自分の内面を見つめているとき◇

自覚により自分の内面を見つめているとき、そこにあるのは私と、私がつくった考えだけです。
そのとき、私以外の人称格は存在しません。

そこでの自覚は、私がつくった考えを、これは私がつくった考えなんだなあと自覚しながら見つめます。
また、その考えをつくっている自分、そうして自覚している自分を見つめ、私がいまこれをしているんだなあと自覚します。

しかし、そうやって内面を見つめるとき、他者への依存心から、自分以外の人称格(神や師匠)を思い浮かべる方がおられるかもしれません。
でも、そこで思い浮かぶ神等の存在は、あなたの依存心がつくった考えです。
どうかそれを認めてください。
そして、神に頼りたい自分がいて、神という考えをいま自分が起こしているだなあと自覚してください。


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「考え」とは私の呼び名の一つです

2013年10月23日 09時43分25秒 | 私の成り立ち
◇考えとは私の呼び名の一つです◇

この世は、考えできています。
現実化したものから、現実化してないものまで含めて、この世は無限の考えの集合と言えます。
あなたも、私も考えです。

私たちは、この考えの海の中から自分が望む部分にフォーカスしてその部分だけを観ています。
そして、そのフォーカスした部分に私という考えを置き、それを自分だと思い込んで生きています。
社会の中で生きる自分、家族と生きる自分、友達と触れ合う自分、孤独が好きな自分などなど、フォーカスされる部分は人それぞれであり、しかも刻々と変化します。
みんなそれぞれ、自分の好きな部分にフォーカスして考えの世界を経験しています。
この考えの海のどの部分にフォーカスして経験を楽しんでもいいのです。

しかし、この考えの海には盲点のように一ヶ所だけ特別な場所があります。
それは、ちょっと意外なところにあるので気づきにくいのです。

その特別な場所は、私自身の内面にあります。

私の内面にあるのですから、何処かに出かけて誰かに会う必要もないし、お金を使って何かを買う必要もないし、誰かに教えてもらう必要もありません。

ただ静かに私の内面を見つめればいいのです。

内面を見つめるときには、ちょっとしたコツがあります。
それが自覚なのです。


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情報という考えから距離を置いてみる

2013年10月21日 09時43分08秒 | エッセイ
◇情報という考えから距離を置いてみる◇

私たちは、好奇心という名の欲望により、ついいろいろな情報をかき集め、理解しようとします。
そういったことにいつも忙しくしています。
いま持っている情報や現実だけであっぷあっぷしているのに、過去世のことや、未来のことや、神界のことなど、忙しく情報を集め周り、様々な考えを巡らします。

しかし、そう言った情報には私たちが本当に知りたいものは含まれていません。
そのヒントさえどの程度含まれているのか非常に怪しいです(ここは人にもよるでしょうが、笑)。

私たちが本当に求めているもののヒントは日常という名の現実の中、つまりとても身近なところ、もっと言えば、身近な現実の中で起こる私の心の動きの中にあることが多いのだと思います。
そのために、私たちはわざわざこの現実世界をつくって、ここにいます。

新たな情報を求めるのではなく、目の前の現実、そして私自身に目を向けていただきたいと思います。


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私への感謝

2013年10月18日 09時00分00秒 | エッセイ
昨日夕方にあった私の心の動きについて書かせていただきます。


◇私への感謝◇

最初は私に自覚を教えてくださったマスターゲートさんへの感謝からでした(ちょっとごますり、笑)。
自覚のお陰で、揺るぎない私、どんどん大きくなり、自由になる私があるんだなあと思うと、それを教えてくださったゲートさんへの感謝の気持ちが起こってきたのです。

そうして感謝の気持ちを味わっているうち、こうしていまの私があるのは家族のお陰だなあと思い、家族一人一人への感謝の気落ちが起こってきました。

すると次は、私や家族があるのは、私のご先祖さまと家内のご先祖さまのお陰だなあと思うようになり、ご先祖さまへの感謝の気持ちが起こってきました。

すると今度は、この私という存在があるのは、家族やご先祖さまだけじゃなく、私という存在に関係するすべての存在のお陰だなあと思い、すべての存在への感謝の気持ちが起こってきました。

そして改めて気づいたのです。
私をあるようにさせ、このような経験をさせているのが私自身なのだと。
本当に感謝すべきは私自身だったのです。
それに気づいた私は、素直に私に感謝しました。


余談です。
このように私自身に感謝したのは、初めてなのかもしれません(笑)。
帰りの通勤電車の中だというのに、涙ダラダラでどうしようもない状況でした。
電車の中ではずっと下を向いていました(笑)。


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自分や現実を変えたいと思っているのは誰ですか

2013年10月17日 09時00分19秒 | エッセイ
◇自分や現実を変えたいと思っているのは誰ですか◇

すべては完璧ですべて満たされてます。
どの瞬間も常にそうなのです。
私が望む現実がどの瞬間にも目の前に繰り広げられているのです。
これはこの世のすべての存在に当てはまることです。

私はこのことについて強い確信はあるのですが、正直なところまだ実感が伴っていません。
ですが、ここ数日でやっとそれが実感できつつあるというか、垣間見えつつあります。

方法は実は簡単だったのです。

本当に自分が望む現実がここにあるのに、不足感や不自由さという考えをつくり、他の現実を探し求めている自分、そういう自分を観て自覚すればいいのです。
不足感や不自由さをつくり、他の現実を探し求めているときの自分は、不足感や他の現実という考えに意識が囚われてしまっているのです。

不足感や不自由さを感じている(つくっている)のは、誰ですか?
自分や現実を変えたいと思っているのは、誰ですか?

それらは、すべて私がつくっている考えであり、幻なのです。
そうやって私たちは考えに惑わされ続けてきたのです。

それに気づけば、そこに自由があります。
私たちはもとから自由だったのです。

そして、その自由を手にしたなら、その自由を駆使して、私の現実を繰り広げていけばいいのです。


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個人的なこと(感覚をコントロールする?)

2013年10月15日 16時00分56秒 | 個人的なこと
◇個人的なこと(感覚をコントロールする?)◇

先週後半ころから、また気づきや、内面の理解がありまして、現在もその変化が続いている途中です。
その変化について少し書かせていただきます(他に書くこともないので、笑)。

先週後半に、苦楽、幸、不幸、自由、不自由等が自分がつくっている考えであるということを実感するような気づきがありました。
すべては考えであり、幻であるという断固たる確信はあるのですが、身体的又は感覚的な理解がまだ追いついていないような状況なのです。
それがやっと、苦楽等の感覚的なことも含めて感覚的に実感できるようになってきたようです。

具体的にどうなったかといいますと。
苦しいとか、辛いとか、もうイヤだなとか、うっとうしいとか、そういう感覚をつくりそうになったときや、つくった瞬間に、それをつくっている自分に気づき、つくるのを止めたり、つくった感覚を手放したりできるようになりました(まだ完全ではないですが、笑)。
これに伴い、「楽」、「幸せ」、「自由」、「いい感じ」等のプラス方向の感覚に固執し、それを求めるようなところもほぼなくなりました。

どうやら、痛みについてもその感覚をつくる自分をコントロールできるようになりつつあるようです。
ついさっき、自分の身体を思いっきりつねったり、シャーペンの先で突いたりして、実験しておりました(笑)。

それとともに、自分の意志について改めて注目するようになり、いろいろ探っています。
うまく説明できませんが、以前と比べて自分の意志の自由度が広がってきているいるようなのです。
しかも、その意志を自分でコントロールしているような感覚が芽生えるというか、出てきているようなのです。
この辺りはまただま霧が深く不透明な感じですが(笑)。


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苦楽も幸、不幸も考えです

2013年10月12日 10時57分31秒 | エッセイ
◇苦楽も幸、不幸も考えです◇

苦楽、幸、不幸、自由、不自由など、これらはすべて考えであり、幻です。
しかし、私たちはそれらの考えの間で揺れ動きながら延々と流転しています。
苦しいという思いから、楽になりたいという思いをつくり、いざ楽になると慢心により転落し、また苦しみをつくるという繰り返しです。
何度繰り返してきたことでしょう。

それに気づけば、それらの考えに翻弄されることはなくなります。
また、相対概念の間で延々と繰り広げられる流転も止めることもできます。

方法は簡単です。
苦しいという考えをつくらなければ、楽を追い求めることもないのです。
また、それらの考えから自由になることを決断すれば、その瞬間から自由になれます。
あるいは、それらの考えを自分自身で積極的に使いこなすようにしてもいいのです。

私たち、少なくとも私たちの内面は、このように自由なのです。


余談です。
上の記事は、昨日から今日にかけて私の中で具体化してきたことを前倒し的に書いたものでして、まだ途中段階です。


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私は法則を超えた存在です

2013年10月11日 10時17分20秒 | エッセイ
◇私は法則を超えた存在です◇

精神世界に関わっておられる方々が、引き寄せ、鏡、バランスなど、よく何々の法則という言葉を使っておられます。
そのようなとき、法則がこの世を支配していて、あたかも絶対であるかのようです。

でもそれは誤解です。
どんな法則も、私たちがつくった考えであり、幻です。
決して絶対的なものではありません。

私が法則を支配しているのであって、法則が私を支配しているのではありません。

どうか法則という考えを私の上に置かないでください。
法則が便利な道具だと思われるのなら、法則を私の上に置くのではなく、上から見下ろすようにして、法則を使いこなしてください。


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生きてることを余り有り難いと思ってない私

2013年10月10日 09時45分22秒 | 個人的なこと
◇生きてることを余り有り難いと思ってない私◇

ここ数日、毎日のように何らかの小さな気づきがあるのですが、今朝もありました。
それを書かせていただきます。

私、少なくとも表層意識の私は、生きてること(あるいは、存在していること)を余り有り難いと思っていないんだと気づきました。
それに気づいたときは、これってどうなんだろ、とちょっと微妙でした。
これは余りよくないよな〜とか、でもやっぱりな〜とか、もともとそやろ(大阪弁、笑)と言っている私、
やっと気づいたかと言ってる私、
なんでも有りや、ぜんぜんオッケーやろと言ってる私などいろんな私がいてちょっと複雑でした。
いまでも複雑です。

その後、生きてることに感謝しないといけないんだという軽い脅迫観念のようなものもあることも分かりました。

取りあえずは、そう思っている私をそのまま受け止めようと思っています。

まとまりありませんが、以上です。


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自分に意識を向けるワーク

2013年10月08日 10時38分47秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自分に意識を向けるワーク◇

私自身が少し前から毎日のようにやっているワークを紹介します。
一応自分で考え出したつもりになっていて、名前もつけてしまいました(笑)。
名付けて「自分に意識を向けるワーク」です(笑)。

やり方は簡単です。まずは入門編から。

例えば、両方の手の平を重ねるようにして、胸の真ん中に当てて、「わたし」を感じるようにして、「わたし」に意識を向けます(手を当てると感覚的に「私」を感じやすいですが、特に手は当てなくても大丈夫です)。
このとき、こころの中で、あるいは声を出して、「わたし、わたし、わたし、・・・」と唱えてみてください。結構お勧めです。

効果は意外なほど大きかったりします。
辛いとき、不安なとき、しんどいときにはぜひお試しください。
自分にエネルギーが流れ込み、楽になったらり、元気になったり、落ち着いたりと、意外はほど大きな効果があったりします。
元気なときもぜひどうぞ。さらにいい感じになります(笑)。

次に、発展バージョン。
これは考えを観るワーク等と組み合わせたもので、外側にブレた意識を内側に振り向けさせて、継続的に自分に意識を向け続けるのにいいです。
どうやるかというと、こうやります。
何か考えが浮かんできたら直ぐに、「この考えは誰が創っていますか?」と自分に問いかけます。
そして、その問いに対して「私です」と答えます。このとき、単に答えるのではなく、そうしっかり自覚しながら答えます。
あるいは、単に「私がそう考えているんだ」と自覚するようにしてもいいです。
この作業を何か考えが浮かぶ度に徹底的にやっていきます。
このとき、意識は常に自分に向けたままとしてます。
意識の集中が高まってくると、考えがあまり浮かばなくなってくると思います。
そうすると、今度は、上の考えに対する問い「この考えは誰が創っていますか?」をしながら、定期的に「私がいまこれをやっているんだ」と自覚します。これは、浮遊しそうになった意識を「私」に振り向かせるのに有効です。

このワークをする時間は、5分でも10分でも30分でも各自の好きな長さでいいんだと思います。

ここまで読まれた方で、そこまで自分に意識を向けて何がいいのと思われる方がおられると思います。
当然の疑問と言えばそうなのですが、このワークは自分に意識を向けるためだけのワークなのです(笑)。
ただ身体が熱くなるほど私にエネルギーが入ってきます(これはいい点か、笑)。
少なくとも私は、自分に意識を向けるためだけにこれを毎日やっています(笑)。
私はきっと自分フェチなんだと思います(笑)。
私と同様な自分フェチの方、よろしければやってみてくださいね^^


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読んで頂いてありがとうございました。


<補足(2014年6月19日)>
この私に意識を向けるワークは、私という自我を捉えられた方(見性した人)に特にやって頂きたいと思っています。
このワークを継続的にやられることで、自我が溶かされていきます。
そして、あなたを真我(空)の覚醒に導いていきます。

私の場合、真我の完全覚醒(真我の第二段階の覚醒)に至る前の2、3週間の間、この私に意識を向けるワークを毎日5、6時間以上やっていました。


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何かやらないといけないんじゃないか

2013年10月07日 10時51分17秒 | 個人的なこと
◇何かやらないといけないんじゃないか◇

個人的なことで恐縮ですが、ついさっき、自分の中に
「何かやらないといけないんじゃないか」
という脅迫観念のようなものがあることが分かりました。
それに気づいて、思わずクスッと笑ってしまいました。

でも自我の私としては、ちょと微妙なことろもあるのです。
気づいた瞬間にその枠がある程度の割合で外れてしまうのです。
ここは、自我の私がどう思うとイヤでもそうなってしまいます。

よって、このブログに対しても枠が外れてしまったかも知れません(笑)。
ひょっとすると、今後は不定期更新になるのかも知れません。
何か具体的な変更があればお知らせいたします。


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努力ができない

2013年10月04日 09時18分11秒 | 個人的なこと
◇努力ができない◇

昨年2012年暮れに明け渡しを経験して以来、普通にいう意味の「努力」ができなくなっています。
自分が努力ができなくなっていることに気づいたのは、つい最近で、この8月ころのことです。
努力ができなくなっているのとともに、我慢もできにくくなっています。

明け渡しを経験してから直ぐに、まず仕事ができなくなりました(ちなみに、私は私一人でやっている自営業です)。
仕事をしようとすると、訳の分からない辛さが襲ってきて、仕事が進まないのです。
無理して仕事をしようとすると、それまでの数倍のエネルギーと時間が必要なのです。
でもまったくできないという訳ではなく、絶対的な期限の直前になると、いつもなぜか身体が少し軽くなり、これだけはやらないという最低限の仕事だけはやれるのです。
そうやって、ここ9ヶ月の間なんとかやり過ごしてきました。

どうして仕事ができないのか、理由がまったく分からず、最初のころはとても苦しみました。
経済的なことについては、必要なお金はなんとかなるという漠然とした、でも絶対的な安心感があり、お金の心配はないのですが、それでも私の仕事への拘りからか、仕事ができないことがとても苦しかったのです。

この8月ころになってやっと、仕事ができないことに慣れたといいますか、諦めたという感じになり、仕事ができないことがほとんど苦しくなくなりました。
そのとき私は、「おお!、これで仕事ができるのか!」と思ったのですが、やっぱり仕事はできないままでした(笑)。

それで思ったというか、分かったのです。
自分が普通の意味の「努力」ができなくなっていることが。
それと同時に、「我慢」もできにくくなっていることも分かりました。
もう努力する必要がないんだと、開き直ってしまったところがあり、尚更仕事ができなくなってしまいました(笑)。
いまもこうして仕事をせず、ブログを書している始末です(笑)。

ただ、これも過渡期なのかもしれないとも思っています(いや!、おそらく過渡期なのでしょう。)。
このまま仕事をやめてしまうのかも知れないし、また以前のように仕事をやり始めるのかもしれないとも思っています。
また、仕事を変えて別のことをやり始めるのかも知れないし、いまの仕事を続けながらそれをやり始めるのかも知れないとも思っています。
いまはまだ、何を始めるのかもまだ見えていませんが(笑)。

どうして私が今日このことをここに書くのか、実は自分でもよく分からないまま書いています。

ひょっとすると、これを読まれる方に仕事ができないで苦しんでる方がおられるのかも知れません。

もしそんな方がおられたら、こう言いたいです。
「あなただけではありません」と。
「わたしも一緒ですよ」と。
「大丈夫ですよ」と。


次は来週月曜日にでも書かせていただきます。
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