北のパラダイス

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緩衝帯

2014年01月10日 | 農業問題
今日は今年一番の寒さだそうで、一日中気温が零度以下のいわゆる真冬日です。

道路もツルツルの氷状態で、クルマもノロノロ運転ですね。

こういう時はできるだけクルマでの移動は避け、地下鉄やJRを利用したほうが無難です。

私も先ほど、地下鉄で仕事の打合せに行って来ました。

さて、本日のテーマ「緩衝帯」ですが、耳慣れない言葉だと思います。

分かり易く言えば「クッションとなるゾーン」のことで、もう15年以上も前になりますが、北海道開発局のサロベツ地域再編整備計画策定業務を請け負い、道北の豊富町において2年間にわたり調査・計画を行なった時に、報告書の中で使った言葉です。

当時、「緩衝帯」という言葉は、学術用語にも、技術用語にも明確に謳われていなかったので、私が勝手に作って用いた造語でした。

具体的に説明しますと、牧草地と湿原との間に幅を数十メートルとって、牧草地でもない、湿原でもない、その中間とも言うべき「緩衝帯」を設けることを提案しました。

サロベツ地域はもともと湿地帯の多い地域ですが、戦後の開拓時代に湿原を牧草地に転換する土地改良事業によって広大な牧草地を造成しました。

その際に、排水改良や土層改良によって牧草生産に適した土地を造成したことにより、湿原が急速に乾燥してどんどん湿地帯が減って行きました。

サロベツ湿原は国定公園に指定されていますから、周辺地帯の乾燥化による湿原の減少は由々しき問題であり、サロベツ湿原の保存とサロベツ地域の酪農振興を両立させることが、開発局や豊富町の課題でした。

当時、豊富町でも離農などによる農家減少が進み、耕作放棄地という離農跡地の処理に悩まされていました。

離農跡地は放っておくと荒れ放題になってしまうので、誰かが買い取って牧草地として使い続けることが望ましいのですが、なかなか買い取り手もいない状態でした。

そこで、私が提案したのは離農跡地を湿地帯に戻してしまおうという考え方で、最初は賛否両論ありましたが、牧草地と湿原を共存させるという考え方で話が進められました。

これはミチゲーションという考え方で、アメリカやドイツなどで実際に湿原を復元した事例がありました。
ただこれらは環境保護の観点から実施された例で、牧草地と湿原との共存というテーマではありませんでした。

サロベツ地域で問題となったのは、既存の牧草地のすぐ隣の離農跡地を新たに湿地帯とした場合に、既存の牧草地にあまり良くない影響を及ぼす恐れがあることで、これが解決しない限りは進められないということで話は途中でストップしてしまいました。

では、どのように解決したのか?

なんせ前例のない話だったのでなかなか良い考えが浮かびませんでしたが、ある日ふとヒラメイタのが、既存の牧草地と新たに造成する湿地帯との間に設ける「クッションとなるゾーン」でした。

日本では勿論のこと、世界的に見ても公共事業で取り組んだ例はないようだったので、関係者に受け入れられるかどうか分かりませんでしたが、開発局との打合せ時に「クッションとなるゾーン」を「緩衝帯」という名前で表現して考え方を説明したところ、面白い!!と言ってくれた人達が居て、そのまま報告書に載せることが認められました。

報告書を提出したのが1998年3月ですから、もうかれこれ16年前の話になります。

その後、この「緩衝帯」は試験施工が行われ、たびたび学会誌の論文などにも掲載され、現在は、開発局と豊富町と地元の酪農家との間で具体的な造成作業の話し合いに進んでいるようです。

この間に発案者の私の名前が出ることはなく、いったい誰が「緩衝帯」を提案したのか今では誰も知りません(笑い)。

もっとも、それが私の役目ですから、ひたすら社会の黒子に徹しています。

さて、この「緩衝帯」ですが、実はいろいろなケースに当てはまります。

私が住んでいる北広島市も、私に言わせれば「緩衝帯」です。

何故か?

それはまたこの次に書きますね。







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