summer diary

日記らしきページ

毎日定時

2010年10月19日 | Weblog
 10月に入ってから仕事は毎日定時で帰宅。 会社から家までマイカーで片道一時間。 確かに体の疲れなどは以前のように残業が日々3~4時間あった時期とくれべたらはるかに快適な体調です。 ただし、残業が無いことで給料が減少していることは、ある意味で家計に負担をかけていることでもあり、精神的にはあまり喜んでいることも出来ない。 
世の中の経済的なことは一サラリーマンにはどうすることも出来ない事柄で・・・。 この先も収入が増加する傾向にはなく、厳しい除隊が続くと思った方がいいでしょう。

ただ、こうして、一日の時間に余裕ができるといろんな事柄に意識を向けることが出来るようになり、いろんな思考が出来ることは決して無駄な時間を過ごすことにならないし、こんな風に人間的な思考が出来ることはむしろこの自分が自由に持つことが出来る時間があるからこそだと思うと、決して無駄な人生でもないと考えることが出来るのです。
毎日を仕事のためだけにささげるような日々はある種の自己満足かもしれない。 一生懸命生きているような錯覚に陥るのです。
仕事さえやっていれば自分の人生は間違いなのだという錯覚です。 でも、それはちょっと疑問を持つことが必要でしょう。
常に何歳になったとしても、生きていることの意味と自分の意思や存在を明確に意識することができる人は、妻や子供や友達との関係や存在の必要性や大切さを単なる感情的なものではなくて、必然的な営み(それは宇宙的なとも言ってもいいかもしれない)の中での自分の存在と他との存在との総合的で流動的な一つのもの・・・切り離せない必然的な生命であることを不断のものであることを理解し、生きていることの意義や使命や生きることそのものへの意思となっていくのではないでしょうか。

「人は何のために生きているのか?」 若い頃にはこの問いを抱き続けきた人も少なく無くないでしょう。
それぞれにいろんな答えを導いて、或いはその問いに答える暇も無く日々の事柄に精一杯の生活を続けてきた人もいるでしょう。
或いは、その疑問や意味に対して以上に意識を奪われる出来事や、恋人や仕事に夢中になることで、この問いがいつの間にかどこかに忘れ去られて・・・。 時折は顔を出すこともあるけど、その問いに深く時間を割いてその答えを見つけることが出来るような余裕なんてない人がほとんどではないでしょうか?

明日がるから今を生きること・・・その明日を待ち遠しいと感じることが出来る今日があることを今は感謝しています。
どんなに小さな明日であっても、少なくとも、今日よりは明日、今度の休日には・・・こして、ああして・・・。 何のために生きるのか??
それは明日があるからだと僕は思っていますし、これが僕の答えでもあるのです。