summer diary

日記らしきページ

わがまま

2008年06月17日 | Weblog
 先週土曜日、お袋が緊急で入院した。
特別養老施設と病院が一体となっている施設に入所(ショートステー状態)
してしばらくしてからだ。

病室に行き、モニター、胃まで管が通っている姿はさすがに痛々しい。
されど・・・。
点滴、輸血を繰り返して少し元気を取り戻すと、勝手に点滴は外すし、
看護士の言うことを聞かない、いつものわがままな人間になっている。

月曜、火曜と姉が一日中付きっ切り、明日はいよいよ僕が有給を使い、
一日中付き合うことになった。
本来ならそんな患者はいない。
本来なら、付き添いが必要な病状でもないし、する必要も無い状態であるのに、
本人(お袋)のわがままにより、とうとう会社を休んでまでわがままを
許すことになった。

この先こんな状態が続いたら、みんなが対応することはできそうに無い。
そうなったら、病院での治療をやめて、むしろ家で好きなことを好きなだけ
してもらって、逝ってくれることを望んでも、罰はたらないでしょ。

自分の親ながら、さすがに呆れて、どうすることもできない。

この先もどうなるんだか。

一日

2008年06月15日 | Weblog
 今日の夜中2時頃、病院から電話があり、お袋が吐血して病院に運ばれたので
すぐに来てくださいとの連絡があり、姉と二人で病院に行った。
意外と落ち着いていて、先生の話からは今すぐに問うということも無いけど、
急変する危険もなる。との説明だった。
朝方6時30分頃に帰宅して、そのままベッドに入って寝たのだが、
実際に眠れたのはほんの2時間程度。
身体の疲れもあり、熟睡という分けないは行かなかったし、嫌な夢などを見て、
一日中けだるい、すっきりとしない日だった。
昼から再び姉と病院に向かい、様子を見てみると、鼻からチューブを入れられて、
苦しそうにしているお袋の姿は痛々しい。
でも、血圧、呼吸も安定していて、安心した。

いつでも死を意識しているつもりでも、やはり本当に死んだときのことを
思うと、平常心では到底いられないことも否めないだろうと思いながら
お袋がベッドに横たわり、モニターのピッピと言う音がなんだか
死に近づいていることを知らせるような暗号にも思えてならなかった。


人間って単純には死ねないんだな~ってことを知らされた気がする。
死んでいく人間も、それを看取る人間にも人生とは何なのかを
考える機会を与えるためのある種の儀式とも取れるような
痛ましいけど、大切な人間のしきたりなのかも知れないなんて思った。

僕の人生が今こうしてあるのも、お袋があっての人生だし、
姉や妻や子供や、周りの人間のかかわりや助けが無ければ成り立たない
一人の存在だと感じるし、その中でもお袋の関わりは人生を左右する
大きな存在でもある。
できればもっとやさしくできればいいのに、意外と意識とは逆に
淡々としている自分はどうなんだろうなんて思う時がある。
それは、僕に欠けている物なのか、それとも僕の人格の本音の部分なのか。

人は何時か死んでいく。
どんな富豪や貧乏な人間も必ず平等なのは、永遠に生きることができないという
事実だ。 どんな死に方にせよ、死そのものと直面する時は一人でしかない。

僕もいずれは年をとり、思うように動けない日が必ず訪れる。
そして、一人ではどうすることもできない日が必ず来る。
そんな時、誰かがいるだろうか? 
ともあれ、生きることはそれ自体がある意味で修行なのかもしれない。
最後に死する時、人生でいかに修行をしてきたのかを問われる
最後の試練なのかもしれない。
死はそんな修行から開放され、自由で安らかな神様の卒業証書でもあるのかも
しれない。


おかあちゃん

2008年06月14日 | Weblog
 先週、おふくろの施設に行ってきた。
4人部屋なので、お袋は病院と思っているらしく、
家に帰るなんてことを言っていたが・・・。
もう、どこにも帰ることなんてできないのに・・・。
そんなお袋の姿を見ていると切ない。
できれば、僕の家で過ごせることが本当はいいんだろうけど。

姉さん達はともかくとして、僕は少なくとも、あんな風に
お袋を閉じ込めていることはとても辛い。
できれば、この場所につれてきてあげたい。
できれば、最後ぐらい、この場所で過ごせるようにしてあげたい。

これまで、どんなに僕のためにしてくれたか。
それを思うと、やはりこのままではどうか。
明日、お袋のところの行って、今できることをしてあげたい。
写真、花、それと喫茶店に行って、アイスクリームを食べて、
すきなことを少しでもしてあげたい。

今、僕ができる些細だけど、最大のことをすべきだ。
それはたぶん、僕しかできない僕の思いだけど、それはすべきことなんだ。
そんな気がする。

明日は明日の風が吹く。
明日の朝、目覚めたらおばあさんのことを思い、できることをしてあげよう。

残された時間の中で、できることをしてあげよう。
そうでなければ、僕はきっと後悔しても納得できないことで、
気持ちが晴れないまま、生涯をすごすことになる。
明日は行こう。
そうしよう。


さてさて

2008年06月14日 | Weblog
 さてさて。
部署が変わって、引継ぎ期間が3週間という規約なんてどこへ行ったしまったのか?
たったの1週間で終わり。
まったく信用できない会社。 僕もこんなことしかできない会社なんて
正直信用してない。
いい加減な会社だから、いい加減な人間しか生まれてこない。
一生懸命なんてことは、所詮ありふれたフレーズ、ありふれたうたい文句。
結局会社の都合が全てを優先し、個人の感情、意見、意思、思いなんて
なんの意味もない、味気の無い上の空の出来事でしかないのか。

それはそれとして・・・。
ともかくも、部署が替わって思うこと。
同じ給料をもらっていて、ストレスの度合いが違うのか??
給料はストレス=でないとおかしい。
そんな気がした一週間でした。

人生の流れってどうなっているんだろう?って時々思う。
僕は都合よく流れが来て、その流れに逆らうことなく
これまで生きてきた。
それは本当に良かったのか??
それとも選択は他にもできたのに、選択が間違っていたのか??

最終日

2008年06月06日 | Weblog
 明日で今の部署とも終わらばだ。
なんとかしのいできた1年間。
「やれやれ」
明日で現部署とはお別れで、新しい部署で仕事となる。
当然、新規に覚えることも大変だ覚悟してはいる。
ともあれ、現状の泥沼から抜け出すことができることは
ラッキーだ。
少なくとも、今考えることは、この空虚で、味気の無い、
くだらない仕事から離れることができるだけでも
喜ばしいことでもある。
やっと明日だ。

やれやれ・・・。