well-being(ウェルビーイング) ~旅する博士と落語するアナウンサー
これはAmazonのAudibleでポッドキャストとして聞くことが出来る。
内容は、落語するアナウンサーこと、吉田尚記と、予防医学研究者の石川善樹との対談を毎回20分程度の時間内で語っている物だ。
現在19回まであるのだけど、この対談をまとめた著書が角川書店から今年発売されるとのこと。
そもそも、well-being(ウェルビーイング) とは何か? を根本から考えている点も面白いし、各視点を通して、ウェルビーングの定義と言うか、日本人的な視点から考察している点も面白い。
以下はネットで検索した定義なんですが。
「well-being(ウェルビーイング)」とは、直訳すると「幸福」「健康」という意味があります。ウェルビーイングの定義においてよく引用されるのが、世界保健機関(WHO)憲章の前文の一節です。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会仮訳)
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会仮訳)
簡単に言うと、生き生きとして生きている状態と言うことでしょう。
私は今、凡そウェルビーング状態と言う事かも知れないと思って居るのだけど、もちろん、その状態が常に、常時維持されていると言うわけではない。
時には不満、不平もあるし、怒ったり、嘆いたり、悲しんだり、望んだり、求めたりも当然だが、頻繁に登場するのである。 登場と言うのは、これは自身の心の中の所謂、煩悩、妄想と言っても良いだろうけど、最低でも日に何度も現れても来る。
しかし、それはある瞬間、ある一定の時間で終始して、そうした移ろいやすい心と言う物である事も理解しているので、少なくとも、総合的に評価すると、やはり健全な状態を保っているだろうと思って居る。
さて、そうした私のようなある程度、人生に満足して、健康的な生活をしている人間にとっては、ウェルビーングとは何だろうか?とか、人生を楽しく過ごす為には何か必要なんだろうか? とか、健康的な生活の過ごし方とか、そうした所謂啓発本と言うか、そうした自分を良い方向へ導くだろうと思われるような本は必要ないと言えばそうだろう。
ただ、それでも、今の自分の思考や想念、概念、想念などがある程度間違って居ないのだ。 と思えるような確信めいた拠り所も欲しいとも思って居る。
ウェルビーングにも種類があるようで、各方面からアプローチする物。
○○○○ウェルビーングなどと言うように、Career well-being、Social well-being、Financial well-beingなどなど・・・。
しかし、いずれにしても、結論から言ってしまえば、ウェルビーングとは、各個人的な精神的安定感である。 この精神的な安定感はそもそもどこから来るのだろうか? と言う物を探求したり、研究したりする事も楽しいだろう。
これは研究者の仕事であるだろうし、その研究結果を知ることで、さらに生き方に対して自信が持てるのだろうとも思える。
この精神的な安定感は個人的な生活環境や育った環境、各対人関係、生きてきた経験値、知識、家族構成や貯蓄額、給料や社会的な地位や名声、立ち位置などなど、人によって全く異なった感性によって作られると思って居る。
なので、これがウェルビーングである。 と言うような指針は無いだろうと思われるのだけど、近年はこのウェルビーングが注目されている。
これこそが、現代社会に生きる人間に取って、いかに生きている状態が生き辛いと感じている人が多く居る証拠だろう。
さらに言えば、例えば、趣味を持たない人や、夢を持てない人や、生活を維持するお金が無い人など、将来と言う物に対する不安や心配が絶えない人。
そうした人達は何か心の拠り処を求めていて、こうしたウェルビーングなどなどの著書も売れているのだろう。
過去、未来を想像しない状態になる。 過去はすでに過ぎ去った物語であるし、現在の位置からすると、絶対に取り返すことが出来ない世界だ。
そのどうすることも出来ない物に対して思いを巡らすのは全くの無駄である。
そして、未来に対する不安や期待や夢なども、ありもしない世界を想像しているだけの物。 所謂、妄想の世界である。
そのありもしない世界に心を奪われている現在の自分は、すでに現在の自分ではなくなっていて、今を生きているとは言えない状態だ。
こうなると、ウェルビーングと言う物とは離れて行ってしまった状態になる。
なので、私は出来る限り、過去も振り返る事もないし、未来を見る事もしないようにしたいと思って居る。
もちろん、未来に対する計画的な思いは0ではない。
ギターの上達をある程度計画して居たり、筋トレで半年後にどの程度のウエイトを扱うことができるだろうか? とか。
しかし、それに対する執着は持っていないし、固執するような思いも全くない。 あくまでも、だったらいいけどな・・。 出来なくてもいいけどね・・。 この程度の思いに留めている。
これは今を良い状態で生きるために必須の精神だろうと思う。 今が自分に取って、納得できる状態であるか? 納得できないなら、何をどのようにして、納得するのか? さらに言えば、それは妄想では無く、現実的な行動によって納得できる物に出来る必要が有る。 これは、心と言うよりも、身体的な納得だ。 今、手、足、胸、頭など、自分の身体の状態に心を集中して、この世に生きていると言う実感を感じることは、精神的な安定感を作り出す。
これは私が筋トレをする意味もある程度ある。
筋トレをしている時は、自分の身体の動きや、身体に感じる力、重量などに全ての意識が向いていて、過去や未来や今現在のことすら思考から無くなる。
今持っているダンベルの重さだけに完全に集中しているし、集中しないと怪我する。 10レップの最後の2レップが上げる事が出来る限界になると、完全に集中力は高まり、挙げる事以外にはまったく心が動かない。
これは、その瞬間は完全にウェルビーング状態と言っても良いだろう。
単純に解釈して、「幸福」「健康」の状態だと言っても良いだろう。
幸福感と言う定義は個人的な物であるだろうし、健康と言う定義も個人的に解釈する必要が有る。 しかし、少なくとも、幸福で健康な状態とは、悩みや、不満や、将来の不安、過去に対する後悔、誰かとの対人関係や、収入の問題や、などなど・・。 そうした物から完全に離れて、心が解放され、何物にも囚われて居ない状態で、身体が健全な状態。 その瞬間でも良いのである。
そうした状態を維持する時間はとても必要な物なのである。
特に現代社会や都市生活では、自分を動物的な生き物として認識することが足りていないのだ。 この動物的な視点で、生きる事を意識することは、特に何も無くても生きていることを認識出来る。
さて、今日は連休2日目。 昨日は家から一度も出ないで、ギターを弾き、筋トレをして過ごした。
天気は午後3時までは洗濯物も外干し出来た程度に雨は降らなかった。
今日は午前中から日差しも期待できる程度に晴れる予報だ。 気温も25度を超えるほどに上がるけど。
今日も特に外出する用事は無く、家で過ごすことになりそうだし、そうするだろう。 筋トレは今日はどうするか? 2日連続でやるのはちょっとと思うが、今日は下半身のみで夕方にレッグプレスと腹筋、背筋程度にしておこう。