summer diary

日記らしきページ

平和な時期

2008年08月27日 | Weblog
 今は仕事も順調で毎日平均的な時間に帰宅できている。
以前のように、普通ではない生活を脱している。

今は・・・いたって平和な時が流れている。
・・・このままの状態が続くとも思えない・・。
そんな脅迫観念が常にあるのは、実際にこれまでの人生がそうであったから。
いつも、順調な時間が訪れると決まって、苦労の連続が始まる。
そうした人生がずっと続いていたから、今、この時間が続いていること自体に
疑問符が付いているのは、そんな経験から感じるものであるだろう。

この状態は長くは続かない・・・そんな予感がいつもあり、苦労している
状態の時は逆にこんな苦しい時期は長くは続かない・・・と思い、
平穏な時期が続くと、やがて苦しい時期が訪れるとおもう。
そんな風にこれまで僕の人生が巡ってきたし、実際にそうでもあり。

僕はいつでも覚悟している。
どんな状態でも、どんなつらい思いも、その中で生き、その時を過ごし、
その状態を感じて生きていく。 
そんな時期がいずれ通り過ぎて、過去を振り返るとき、あんなに
苦しいと思ったことも意外とたいしたことでもなくて、こうしたことも
あったなんていう思い出として人生の一つのページでしかないことだと感じる。


おふくろ2

2008年08月01日 | Weblog
 おかあちゃんは今何を考え、何をしているんだろう?
特別養老施設からとうとう、精神病院に入院した。
精神病院に入るような様態とはとても思えないけど、
病院と併設している特養の受け入れ態勢や、所詮、手のかかる
厄介者は他の場所へ追いやり、結局は手が掛からない美味しい所でもないと
面倒だけの老人として、ほっかり出される。

とうとう精神病院なんていう、最終の行き場所へ行ってしまった。
決して異常な意識ではない。
家に帰りたいという、ある意味ではとても素直な普通の感情である。
ただ、帰れない事情を理解することができないだけで、
それは僕の不甲斐なさでもあり、おふくろ一人が悪い訳は無い。

僕はいつも思ってる。
できれば一緒に暮らし、面倒を見ていたい。
できれば、最後まで好きなことをして、自由でいさせたい。
今、どれほど、おふくろは悲しいと思っているだろう?
なんで、こんな場所にいないきゃいけないんだろうと
思っていると思う。

このまま最後を迎えることは、とても辛いことだし、
これまで苦労してきた人間が何でこんな悲しい思いをして
生きているんだろう?

僕も、決して褒められた人間ではない。
自分の最後を想像することさえできないけど、少なくとも、
精神病院で自分の最後を迎えることは想像を超えている。

どうしてこんなに寂しいんだろう
どうしてこんなに空しいんだろう
これが人生ってやつなんだろうか?
これが現実ってやつなんだろうか?
現実は想像を遥かに超越していて、
悲しいことも、嬉しい事も、かつて経験がないほどに
悲しく、嬉しく、空しく、悔しく、苛立たしく、幸福で、
尊くて、愛らしく、辛く、惨めで、情けなく、臆病で、
傲慢で、優越と劣等の狭間にあり、
まるで、映画の場面を見ているように自分のことでありながら、
他人事のような、想像を遥かに超えて、訪れる現実は
期待と恐怖が背中合わせになっている仮面に似ていて、
いつでも自分が思っていない人間になっていることすら
気が付かないままに、時を過ごし、時が過ぎて・・・。
最後の日を迎える時、生きてきた全ての行為が凝縮した
かつて見たことも無く、触れたこともないある種の次元に到達して、
最後の時を迎えるんだろうか?