summer diary

日記らしきページ

引越し

2008年03月22日 | Weblog
 今日は引越し。
本社へ帰って、いきなりの机の移動。
部長席の隣の席。 月曜日からが憂鬱な感じ。
電話のやり取りなど、聞かれたくないことも
耳に入る位置にいるのはどうか?
明日は日曜日だけど、会社に行って、仕事。
完全なサービス残業。
これをどう思っているのか?
不思議な上司だし、不思議な会社だし、不思議な社会だ。
当然、不思議な仕事ということになる。
こんなことが当然のようにまかり通っているようでは、
この先、ろくな社会にならないし、ろくでもない人間がどんどん
増えて行って、ろくでもない国になる。
できもしないことを当たり前のごとくに話をすること自体が
理解できないし、どういった根拠でできるのか?
どういった根拠がそんな不思議な思考をさせるのか?
利益追従だけの世の中から本当に幸せなんて生まれないような
そんな予感を誰も気づいていないことが、恐ろしい。
何をそんなに益を求める必要があるのか。
生き残りという概念は、こうした力の無い会社が見落とす
人まねでは生き残れないってことを痛感する。

オリジナリティー。
何が? それは、資本を持っている企業ではできない、
細やかな人材育成や、確実性の問題だ。

いずれにしても、どうなることやら。
できても、できなくても、僕は僕だし、
僕以上でも、僕以下でもない。

春の兆し

2008年03月16日 | Weblog
 今朝9時頃にラッキーの散歩に出かけ、農道を歩きながら感じたことは
いよいよ春が来たな~って感じた。
気温も寒いと言うほどではなく、日当りを歩いているとぽかぽか
する陽気であった。
道の端には紫色、黄色、薄青色の小さな花が咲いていて、これから暖かく
なる季節に向かっているんだと思う。

昨日は本社へ引越し作業をし、少し引き継ぎなどもあり、忙しい一日だった。
とは言え、定時で帰宅して、これで最後ののんびりムードの締めくくりだと
感じた。
月曜日からはどんな風になるのか、ある意味憂鬱な感じだ。
それでも、生きていくしかないし、仕事を続けるしかない。

まっ、気楽に行きましょう。
思い込んだってしょうがないし。
死ぬ訳ではないし。

入院

2008年03月12日 | Weblog
 明日はお袋が入院する。
僕が病院に連れて行き、やっと入院だ。
いままでいやだいやだのわがままばかりで、
ここが痛い、ここが悪いの繰り返しがけど、
やっと本人もとうとう病院でちゃんと直さないと
いよいよヤバイことになると感じているよで、
明日、やっと入院する意識ができたと言う訳。

明日は有給で会社を休んで、連れて行く。
本人もその気になってくれて、ちょっとは安心でもある。
やれやれ・・。


一週間

2008年03月10日 | Weblog
 本社へ戻るのも後一週間。
のんびりとした時間は残り少ない。
憂鬱な気分。
それでも生きていかないと。
後何年たったら、のんびりと過ごせるんだろう??
そんな時間が訪れるんだろうか?

日のあたりがいい縁側でのんびりとお茶を飲みながら、
青い空をぼんやりと眺めて・・・。
時間に追われることも無く、なにかに追われることもなく。
なにをするか、今日はどんな風にのんびりと過ごすのか。
時間を贅沢に使い、時間に束縛されることも無く。
自分で全てを決めて、自分の動きに時間を合わせることのできる、
そんな時を持つことができるんだろうか?

寝るか。

静かな日曜日

2008年03月09日 | Weblog
 今日は朝から穏やかな日和が一日中続いていた。
静かで、のんびりとした休日。
お袋も体調が良くない中でも今日は外出して、墓参りにも行けた。
久しぶりにお墓に花を生けて、線香をあげて、静かな休日だった。
家でものんびりと過ごした。

こんなのんびりとした、気持ちが安らぐことのできる時間は
この先当分の間もてそうも無い気がしている。

それでもこうして生きていくしかなんだな~って。
きっといいこともあるさ。
きっと苦労した分だけ、喜びが帰ってくるんだと信じて、
こうして生きていくんだと思うことにしよう。

どれほど生きるのかは知らないけど、自分を見捨てないで、
自分を信じてこうして生きている。

それほどでも

2008年03月07日 | Weblog
いよいよ、桜の開花時期などが話題になっている季節になって、
春を感じさせるこのごろかも。
裏腹に、仕事は日増しに圧縮されてきて、どうにもこうににも・・。
それでも、知らん振りするか。
どうでもいいや~~!って、しるか~~!って。
明日は明日の風が吹く。
明日の風に乗って、どこに向かって流されるのか。
その先には何か知らない面白いことでもあるかもしれないし。
人生なんて、生きてみないと解らないし。
解らないことを、自分の自意識だけで片付けてしまうのも
もったいないのかもしれない。

僕は僕だし、僕以上でも僕以下でもない。

僕がどうしてこの世に生まれてきたのか、
僕がやるべきことは何なのか。
何をするためにこの世に生まれてきたのか。
誰を求め、誰のために、何のために。

僕自身のため??
僕が選んできたの?
決して楽ではない今の人生を誰が望み、誰が与えているんだろう??

僕はどこまで生きて、どこであの世に召されるのだろう?
どうなんだろう?

どうであれ、この先に待っているものは、それほど楽しいとは言いがたい
そんな時間が待ち構えているような、そんな気がする。

時折考えること

2008年03月07日 | Weblog
 時折考えること。
例えば、億万長座だったら、仕事するかな?
それとも、むしろ仕事がしたいと思えるかもしれない。
毎日、温泉に行って、旅行をして、美味しいものを
贅沢に頂いて、ほしいものを欲しいだけ買って、
好きなときに寝て、好きなときに風呂に入って、
好きな時間に酒を飲んで、すきな時に絵を描いて、
好きなときにPCをして、好きなときに好きなことをする。

時間やお金や習慣や決まりを無視して生きることができたら
どんな自分がそこにあるだろう?

何をして、何を求め、何に感動して、何に憂うのか。

今は目の前の波が大きすぎて、ちょっとビビッているけど、
どうなんだろう?
それも、むしろ大げさではなく、どうでもいいって思えたら
全ての事柄をなんでもいいって思えたら、後は
野となれ山となれ・・・。

空には天がり、ここには地がある。
それだけだ。

人間の人生なんて所詮、80年前後だから、人の歴史のほんの
一瞬なんだな~って考えると、今ある事柄なんて
たいしたことではないのかもしれない。


思うのは、子供達に僕の勝手を苦労に変えて
背負わせることは避けたい。
子供をこの世に預かった責任を放棄することはできない。

自分を殺して、生きていくことも僕にはできないけど、
それ以上に、子供たちに僕のツケを廻すことは、もっとできない。

 結局、そうした中で、僕がどう生きて、どう行き着くのか

これからもこうして生きていくだろうと・・。
たぶん、これからもこうして、こうすることしかできないで
生きていくんだろうと・・・。

死んでいく、その最後に僕は何を思い、何を求めて、何を見ているんだろう?

アカウント

2008年03月05日 | Weblog
 下の息子がメール三昧で、時間になってもだらだらとメールしているので、
いい加減にしろ!と言ったら、為口を並び立てたので、
「お前のアカウントを削除する!」ってことになって、削除。
結局、PCは使えない。
当然のことと言えばそうだ。
毎日、このパソコンに向かってニヤニヤしながらメールしていたけど、
とうとう暇そうに、マンガ本や、ゲームで間際らしている。
バカダナ~って、僕は思った。
もう少し、要領よく生きることも大事だ。
真っ向から向かって行っても、所詮勝てない相手に歯向かうのは
決して頭がいい動物のすることじゃない。
人間はプライドとか何とか言って、結局は自分の世界を狭くしてる。

僕も今、仕事でいろいろあって、自分ではどうしようもないことが
この世界にはあって、プライドとか、意思とかどうでもいいってことが
なんとなく解ってきて、そうなると、僕は僕でしかないし、
僕以上の僕は無いってことも当然だし、それを求められても、NOとしか
言い様がないことなんだって、そう思えてきた。

元々、仕事はお金のためだけにしていると言う意識が消えないし、
事実、そうだから、よけいに仕事に対する意識なんて、所詮
サラリーマンでしかない。

できないものはできない。
この先、どうであれ、僕は僕だし、僕以上でもないし、それ以下でもない。