気の向くままに

山、花、人生を讃える

神様に手紙を書く

2019年03月22日 | 人生

50歳ぐらいの時、労働組合への出向を命じられた。

 

私はどちらかと言えば「武士は食わねど高楊枝」が好きなので、賃上げ要求を主な仕事とする労働組合への出向は気が重かったが、ある組合支部に3年在籍し、そこで10社を担当することになった。

 

仕事に慣れてきた2年目の秋のある日、ある小さな会社の組合員から電話がかかってきた。


「今年の初めにはボーナスは出すと言っていたのに、ここにきて社長が一銭も出せないと言い始めた。手当も削られ、ボーナスまで出せないでは、みんな困るんだから、何とかしてくれ」というのであった。

 

それでさっそく会社に出向き交渉に臨んだ。当時はバブルがはじけて以後、日本経済の低迷が続いていて、内航のタンカー業界は石油会社から運賃を下げられ苦しい経営が続いていた。

 

そういう事情を社長は一所懸命説明するが、こちらはこちらで、組合員を代弁し、手当も削られ、ボーナスも出せないではやっていけない、苦しいのは分かるが、それでは労働意欲もなくなる、などといってお互いに譲らず、そのうちにだんだんと頭に血が上り、声も大きくなり、まるで喧嘩口論のようになった。

 

間仕切りされた部屋の外では、6,7人の事務職員たちが仕事をしていて、私たちの大声はつつ抜けだったようだ。そして、事務職員の中に40歳ぐらいになる社長の娘さんがいて、その娘さんがたまりかねたのか、私たちがいる部屋に入って来てこう言った。

「お互いにだいぶ頭に血が上っているようですが、それではよい交渉は出来ないと思いますので、今日のところはここまでにして、後日、改めてということにしたらどうでしょうか?」

 

予期せぬ突然の仲裁に、私は頭から冷水を浴びせられた気がし、「しまった」と思いながら、迷惑をかけたと謝ることにも気づかず、あいさつも忘れ、無言でその会社を出た。

 

娘さんに仲裁に入られたことにより、わたしは弱い者いじめをするヤクザの借金取りか、あるいは時代劇ドラマの悪代官、悪徳商人になった気がして、どうにも情けなく、家に帰ってからも悶々としていた。そして「こんな無様なことになったのも仕方がないじゃないか」と無性に神様に言い訳したい気持ちになっていた。同時に、「こんな問題を、素人の自分がどうやって解決できるんだ!」と文句を言いたい気持ちでもあった。そして、ふと神様に手紙を書こうと思いつき、「そうだ!」と、すぐにパソコンに向かい、神様に手紙を書き始めた。それは「気持ちを伝えたい」とラブレターを書いた時のことを思い出させた。

 

そして、事の成り行きを書き、自分の気持ちを書き、社長の言い分、組合員の言い分、その間に立ってどうしていいかわからないこと、そして最後に、どうぞ神様、双方にとって最も良いようにお導き下さい、というようなことを夢中になって書いた。2時間ぐらいして書きあがり、それをプリント・アウトし、便せんに清書し、封筒に入れた。

 

書き始めた時は悶々としていたが、書きながら、頭の中がだんだんクリアーにっていくのを感じ、書き終わったときにはすっきりしていた。そして布団に入って寝た。

 

翌日、その手紙を神棚に供えた。
そして、気がつけば、ウソではなく、大げさでもなく、本当に晴れ渡った青空のような清々しい気分になっていた。そして、神様に手紙を書くことはこんなにも効果があるのかと驚いた。しかも、その雲一つない晴れ渡った青空のような気分は、その日だけでなく、1ヶ月以上も続いてくれた。他にも仕事がある中で、本来なら再交渉を思い憂鬱なはずのところを、まったくそのことが苦にならないばかりか、ずーとそのような気分でいられたことは本当に有難かった。そして嬉しいことに、再交渉もしなかったのに、こちらの希望通りボーナスは満額支給された。

 

満額支給は会社が奮発してくれたからだが、私が晴れ渡った青空のような気分になれたのは、間違いなく神様のお蔭である。こうして、私は心に重荷を背負ったときには、神様に手紙を書くことを覚えた。神様に聞いてもらったと思うだけで、下駄を預けたように、随分気持ちが楽になるのである。

 

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