SASHIY エイガニッキ

メモ書きです、遊び心です、それでも、力です、どこにも、どちらにも、収まりつかない、思いです、可能性です、

エイガニッキ

2013-07-27 07:11:00 | 日記
Ⅵ「アフリカ・パラダイス」を見る聞く、アフリカ映画祭、
  白人の、ハリウッドを中心とする欧米の映画の正義の常識のいやらしさを見事に捕らえました、これは、戦前、戦中に、アジアの中で日本人が作り出したイメージとも重なります、全ての実権を握る側と、捕らえられた人々の関係の在処と、彼ら欧米人の優しさ、そう、日本人のヤサシサ、身勝手な誠実、そう、日本人のセイジツ、それによって蝕まれる黒人たちの現実、蝕まれるアジアの人々の現実、成り変わりで、お芝居で、この映画で、見えてくる真実、此処は、アフリカが経済発展して、全てにおいて、世界の中心となった未来世界、ラストには、結局、白人カップルは引き裂かれて仕舞います、彼らの純愛は認められません、拒まれて、美しい白人娘は、黒人の優しい首相に捕らわれて、しかも、この民主主義の首相の主張であった、アフリカへの移民者に対する参政権の法案は取りあえず時期尚早と取り下げられてもいる、ご都合主義で、権力者に利用される言葉、映像、黒人の社会に対する運動の最中に、闘争娘は死して、美貌娘と別れて他の人物に成り代わり働き始めた青年への彼女-闘争娘-の誘い、これも、どこか、いやらしく見られてある、可愛くない闘争娘の嫉妬としか、彼には誰か他の恋人が有るのではと、かくて、どこまでも、彼ら白人の闘争という、反対派の在処は、いかがわしく、美貌の娘の肉体ばかりが美しく、強調されて、彼らが現実を認識する、批評する、意志は危うい、物語の始まりはパリ、貧しさ、アフリカに自由を求めてのカップル、青年と美貌娘、だが、既に一杯でアフリカには仕事がない、法に則った出国はできない、密入国しかない、飛行機、船、アフリカに、辿り着く彼ら、が、直ぐに捕らえられて、強制送還されることに、一人カップルの青年ばかりが逃げ出して、助けられて、白人居住区に、轢き殺された男の証明書を利用して成り変わり、仕事に、どうにか生活に有り付ける、別れた美貌の娘は黒人の首相の屋敷にメイドとして、働いて、皆から好かれて、首相には恋されて、抱かれて、確かに、恋人の死を知らされて、轢き殺された男として、青年は成り変わったのだから、何時だってドラマは、こんな風に、豊かなモノに引き回される、どこまでも、利用される側でしかない此処での白人、己たちの意志は、ストライキとしてしか、だが、この主導者の娘のどこか傲慢なロマン、そして、唆されて銃を手にしてストライキの人々を撃ってしまう白人、命じられて、ならば、ストライキも、どこまでも、彼らの自由な意志とは言い切れない、誰かの采配の中に在るのだとも、黒人の、手の中に、全ては筒抜けなのだ、このあからさまな敗北を生きるしかない白人たち、愚かしさ、これらはまさに今まで黒人に、アジア人に、アフリカ人に、難民に、宛われてきた物語、何も出来ずに来た、欧米人たちの正義の欺瞞がありありと判る、殺された娘、引き裂かれたカップル、完全にしてやられた姿を見せつけられる、これこそが、今日まで作られてきた映画の正義に対する批評たり得ている、成り変わること、演技すること、カメラの視線に対すること、見ること、聞くこと、これはつまりは、あることの現実を問う事なのだ、「アフリカ・パラダイス」は、百年続いてきた、権力の側の映像を、成り変わって見せつけて仕舞う力を手にした映画なのだ、美貌の娘を手にした満足感、この傲慢を撃て、撃て、撃て、ラストにアフリカに残ると言う娘の言葉も、在処も、撃て、撃て、撃て、撃つとは、現実を、私を問うこと、観客として有る、知らず、己に納得する私を問うこと、撃たれるとは、この映画を背負い込むこと、見ている私が背負うこと、しっかりと、成り変わりの関係を、全てを、撃つことと撃たれることは、共にある、が、個に回収はされない、させない、何が、エイガが、


Ⅶ「悔やむ人々」を見る、聞く、
  女性に成り、今、その生活の痛みから、元の男性に戻ろうとするふたり、一人はあまりに美しい、結婚して、11年、結局、夫に張れて、罵られて、騙されたと別れることに、今一人は、女にはなったが、さげすまれて、冷たい視線の最中にあることに耐えられずに、だが、彼らの悔やみとは、未だに、彼らを認めない、受け入れない、私たち故の悔やみなのだ、男とか、女とか、捕らわれて、自由でない、性はあまりに多様なのに、一人で有っても時に男でもあり女でもあり、成り変わり、移り変わりもするものなのだから、「アルバート氏」(Ⅴ「アルバート氏の人生」)の死の後の現実を、生きた今日のふたり、彼らは、ルビッチェの元気に至る過程にあり続けている、いや、元気に存在している、闘っている、何度でも、何にでも、成り代われ、力強く、肯定を、ラストの二人の抱擁、この居抱き合いの中に私は、入ることが出来るかしら、見ているばかり、聞いているばかり、その場で、抱き合えるか、止まってしまわないか、知らず、体が動かないのではないか、悔やみ続けるのか、自由に肉体が動く鍛錬とは、その始まりが、映画、この映画とは、見ること、聞くこと、そして、動き出すこと、躊躇う己を叱咤すること、