SASHIY エイガニッキ

メモ書きです、遊び心です、それでも、力です、どこにも、どちらにも、収まりつかない、思いです、可能性です、

SASHIY エイガニッキ

2015-11-03 09:51:57 | 日記

ⅩⅩⅩⅡ「トム、トム、笛吹きの息子Tom、Tom、the Piper’s Son」を観る聞く、
    20世紀の始まりの無声映画、活劇、祭り、村人の喧噪、狂騒、村の広場での綱渡りの芸、集まった人々の賑わい、表情、姿、近世の田舎での暮らしぶり、短編なのか、長編の一部か、定かでは無い、しかし、このわずかの断片の中に、祭りとそこで持ち上がった何事か、事件、発端は、何も説明は無いから、判りはしないのだが、動きの楽しさ、追っかけ、盗みなのか、人々が走り去る広場、一人残った芸人が曲芸の宙返り、そこには既に彼以外誰も居ない、次には屋敷の壁シーン、入り口、入り込んでいく人々、先ほど広場に居た者たちなのだろう、次々に、このお騒がせが楽しい、今度は板壁を破って飛び出してくる人々、続けて煙突から現れ屋根を滑って降りる人々、主題は動き、横に縦に前後に、動く人々、回転する人物、一人が巡り、その男につられて今一人座っていた男も回転を初めて、小屋の奥の入り口から影の中に消える、しかし、どうも影の中を上に上がって消えたようだ、だから、この動きは逆回転、闇の中から落下して現れて巡っての姿の逆回し、編集の段階でこの動きの遊びを見せたかったのだろう、逃げる男は井戸の中、集まった人々が、知って隠れていた男を井戸のつり棒でつり上げて喝采、起きた事件、その解決、様々な解釈は可能だろうが、しっかりしたストーリーは判りはしない、こんな僅かのお遊びの映像、動きの映像を、捕らえ直す、捕らえ直すとは何、映写をし直す、写し直す、見直す、フィルム自体を問い返す、映画という機械を問い直す、様々な術を遣って、早回し、遅回し、画面の一部に近寄る、アップで迫る、あまりに早く回せば、単なる光と影の筋、リズム、抽象的な動きとしてしか、これもまた映画の見方、見ることの映すことの絶対の決まりなど無い、映画を知らない子供が、大昔の人がこの機械を使えば、未来の彼方の人が利用すれば、こんな見方で楽しく観るかもしれない、映された画面にずっと近寄れば、そこに何が見える、綱渡りの芸人、衣装、化粧、顔、表情、ここでも、既に芸人を超えて、芝居する役者を超えて、映画の中のドラマを超え出て、違った者、物、演じるその人の顔に辿りつかないか、この映画が撮られた時の役者のその人に、彼の歴史、過去、生活を背負って、その人の現実、暮らしまでも、現れないか、足下のアップ、動き、光、影、何とも判断出来ない映像ともなり、時間とともに映像は進みもし、時には戻りもする、映画の中心は、既に解らない、観るという行為の安易さ、知らず、ドラマに引き寄せられて、多様な映画へ映画自体への接近を見捨てて、都合良く観てしまう、感じてしまう、笑ってしまう、泣いてしまう、理解してしまう、解釈してしまう、だが、映画とは、光と影と回転の機械、そこにフィルムという物質、これらが合わさって、仕組まれて映画になるのだ、この仕組み、現実、機械でしか無いことの自覚の無いとき、見せられて、安堵する、観るという私が、映すという私が問われて、壊されて、この壊されたことの中にこそ私が在るのだ、人物の顔、背中、首筋、腰、衣装、背景のセット、時代、小屋、中庭、井戸、人々、スローからストップモーション、絵画のごとく、雑踏の人々が口を開け、手を振り、叫び、佇み、沈黙し、光と影、レンブラントの絵画のごとくにも、だから、ここには、絵画も、文学も、音楽も、入り込んでしまう、機械も技術も、つまりは、今日の私たちも、この民主主義、徹底した映画の民主主義、ビジネスという、編集という、制作、配給と云った世界からはみ出す映画の民主主義をここに、作り出す、見つめ出す、楽しむ、喜ぶ、悲しむ、徹底して機械でしか無いことの、またその個々の機械も、フィルムも近代化の中に作り出されて、つまりは、映画を観るとは、この近代化を現代化を観ることに過ぎない、私を、私たちを、あなたも私も、この光と影の幻の中に組み込まれて在るのだ、が、ここでまたこの映画が映画として作られて在るのだから、この映画自体もまた壊していかなくては、観ることは絶対の何物かでは無いのだから、根気よく、どこまでも、見続けることの民主主義、可能性、観ることに終わりは無い、しかもこの映画の恐ろしさは、半ばで、花の影が映される、その影の手前には黒髪の人物の姿が、揺らめく、怖い、震えるばかりだ、これは誰、観ている客の一人、作り出している制作者の一人、映画などに現を抜かす者たちを突き放す人物、だが、彼もまたこの映画の中に在るのだ、出入り、日常の影の中に見いだした錯覚、映画とは、そして、この映画ではまた無声映画の探索が始まり、ラストに花影で終わる、いや、終わりはしない、あの映画の中に見いだしてしまった亡霊を消すことは出来ない、かくて、前後に左右に過去と未来に多様に分裂された私として在るしか無い映画、壊れた私として在るしか無い映画、映画とは壊れてあること、取りあえずに回収しながらも直ぐに壊し始める回収と壊しの両者を抱えて私が在るのだ、映画は続く、

 ⅩⅩⅩⅢ「フォスターチャイルド」を見る聞く、
  ハンディーカメラで追いかける、路地から路地、人々の雑踏の中、この路地世界がテーマ、始まりはロングでビル群が捕らえられて、パンダウンするとこのビル群の手前に広がる路地世界、迷宮世界、その彼らの生活、朝、朝食、子供も大人も時を惜しんで動き出す、朝食の用意、父親、母親、赤ん坊のおむつが無い、母親は少年におむつを買ってきてと、少年は食事をやめておむつを買いに、おむつが無くて下半身裸の子供はおしっこしてしまう、そんなに小さくは無いがおむつ離れ出来ない子供、今日はなにやら大事なことがある日らしい、カレンダー、父親は無言で今日だったかと、あきらめ顔で食事して出かけていく、仕事なのだろう、おむつを買って戻った少年、赤ん坊に履かせて、母親は子供に食事、こんな路地に現れた役人のおばさん、どんな役回りかは解らないが、路地から路地を渡り歩く、母親とその子供たちの名を呼んで元気かと、みんな知っているのらしい、遊ぶ子供たち、掃除の人、酔っ払って寝ている男、全てがここに、あらゆる者たちが、貧しさ、小屋の中の狭さ、汚れ、雑然として、片付かないままに、おばさんは主人公の小屋の前にも、今日の段取りを語って直ぐに去って行く、流れる水の映画、おしっこの反復、水浴び、料理のスープ、シャワールーム、そして、ラストの母親の涙、今日の大切な日のためか子供を念入りに洗い清める母親、髪を、体を、歯も洗い、タオルが見当たらずに小屋の中に、そのすきにまたおしっこの子供、そして、サッカーをしている少年たちの中に走り込んでしまうのだ、裸足で、裸で、戻った母親が抱き留めて、また汚れたと水を改めて流す、かくて着飾った子供、少年は朝食の後仕事に、力シャーの仕事なのだ、学校などには行けないのだ、時間となって母親と赤ん坊は少年の力シャーで出かける、少年は借金取りだと、母に告げ、慌ててUターン、雑踏の中に走り込む、かくて遣ってきた施設、何の施設か、尼さん、赤ん坊たち、主人公の母親の次の里子だと語られる、病の赤ん坊、病院か、養護施設か、多様な集まり、空間もまた、ドアからドアを伝って様々に、迷路のごとくに、動き回るカメラの素晴らしさ、そして舞台、主人公一家の子供も舞台に、子供たちの発表会なのだろうか、しかし、また子供はおしっこ、慌てて連れ出す母親、それでも賞に選ばれて、笑みの母親、おばさんは新しい両親は忙しくてやって来られないらしいと、どこに、予定では、ここで新しい両親、いや、本来の両親に渡す段取りだったのかもしれない、かくてまたあの路地の中に、賞を取って笑みの母親、さて、今度はバスに、少年もつれだって、外の景色、遣ってきた高級マンション、厳しい警護、警備員、中に、広い廊下、どこまでも続く廊下、路地の迷路と違う、これもまた迷宮、エレベーター、部屋、ホテルの部屋のごとくに、若くない年老いた白人の両親、他にも沢山子供がある、いい子だと、良く育ててくれたと、役人のおばさんも現れて、皆の食事、トイレに出向く主人公、扱いの解らないままに、子供を抱きかかえる父親、祖父のごとくだが、ここでもまたしてもおしっこをしてしまう子供、母親は慌ててバスルームに、間違って、扱いが解らずにシャワーを浴びてしまう、役人のおばさんを呼んで助けて貰う、濡れた母親、流れると云えば、酔っ払いの男の酒も流れていないか、子供たちの遊ぶシャボン玉の石けん水は飛んだ、跳ねた、マンションから見える夜景、美しさ、闇の中のライト、綺麗とは、あの路地も含めて高見から見つめると美しく、だが、その日常は、さて、真実の両親、沢山の子供たち、この子たちはこれからいかようになるのだろうか、金持ちの両親に育てられて、留学して、この白人の国籍は、結局、アメリカに仕立てられるのでは無いか、町中で少年と子供と連れだって歩いているときに、母親は以前に育てた子供を見つけて、名を呼んで、近づいて、だが、子供の側に居た女が隠した、里子の過去を隠そうとしているのか、不気味だ、母親は目元、口元そっくりだと、彼女の間違いかもしれないが、育てて、おいしいところは持って行かれる、役人のおばさんから金を渡され、給金だと、父親からも札を渡され、それでも、たいした金額では無いのだ、おばさんはいつまでも子供を抱えて寝付かせようとしている母親を置いて先に帰る、大泣きするなと語りかけて、いつものことらしい、やっと落ち着いて、少年とともに外に、だが、子供と別れてどこかおかしい母親、少年は解っている、母親はなにやら布きれを出して、この生地が無いとあの子は眠れないと、わざと持ってきたのだろう、だめだと少年、戻れないと少年、泣きながらの母親は諭されて、長い階段を上がっていく、バスの停留所が在るのだろうか、少年が素晴らしい、甲斐甲斐しく働いて、力シャー、買い物、食事の用意、泣きたいのは少年かもしれない、だが、泣いていられない少年、少年はマンションでそこの子供たちとテレビゲーム、こんな彼らの連帯は、いかに、どこに、親たちを越えて、飛び出せ、同時代に生まれながら、この格差の中、子供たちは、彼らの戦いは、世界へ広がれ、だが、力は何も無い、おしっこをどこでも垂らすばかり、ここでは流れた水は回収されてしまった、もっともっと、世界の子供たちよ、同時におしっこを垂れ流せ、アフリカでアラブで最前線の兵士に仕立てられた子供たちもまた怯えて良いのだ、戦闘能力を削ぐべく垂れ流せ、カメラはその垂れ流しについて行け、どこまでも、そして、愚かしい大人たちに見せつけよ、