SASHIY エイガニッキ

メモ書きです、遊び心です、それでも、力です、どこにも、どちらにも、収まりつかない、思いです、可能性です、

SASHIY エイガニッキ

2023-05-21 18:53:33 | 日記

ⅭⅩⅩⅢ「no・home・movie」を見る聴く、
  始まりは突風の吹く、小枝のざわめく響きと、薄暗い、曇り空の世界、砂漠、イスラエル、ユダヤ人、果たして、ここはどこだ、どこの荒れ地なのだ、世界の、母の屋敷、帰って来た監督、母の家に、そこには、妹と母が、待ち望んでいた母、再会、これまで、離れて、暮らして、仕事で離れて、リモートでの、カメラでのやり取り、会話、映像、母の可愛さ、過去の語らいの映像が挿入されて、いまは、二人、屋敷の中、その映像、座る母、語る二人、これまでで、一番仲良しの二人、母の過去、ユダヤ人、アウシュビッツの生き残り、父は既に死して、逃げてきた、ナチスから、ポーランドから、為すすべもなく、戦えなかった、だが、戦うとはなに、結局、ナチスを生み出すのには、皆が、関係しているのだ、ドイツばかりの問題ではない、各国が、世界が、ナチスを生み出してしまった、だから、戦うとは、そのこと、生み出した私たちを撃つこと、そして、ベルギーに、その娘である監督、今、ベルギーで、パリで、ニューヨークで、監督として、戦えているのか、歩いて、部屋の中、座って、語らって、ぶらぶらと、のんびり、こんな生活が、いつまでも、続きそう、だが、戻って来たが、また、出ていかなくては、かくて、また砂漠のシーン、車を走らせて、横移動、どこまでも、荒れた土地を撮り続ける、ずっと、ずっと、続く、果てなく、ユダヤ人の彷徨いは、続く、監督の、彷徨いも、続く、何所かに、固定などしない、人々なのだ、世界に散った人々も、また、いつか、動きはじめかもしれない、いや、未だ、止まってなどはいない、ならば、イスラエルに住み着いた人々とは、そして、パレスチナを抑え込む、権力者のイスラエルとは、ナチスの反復ではないか、イスラエル自体が、今、権力外に、動きださなくては、こうして、部屋の中、移動する、映画後半の、カメラ、これまで、何所か固定して、部屋を、母を捕えれいたカメラ、今、移動して、窓辺に、窓の外、扉の外を捕える、外の雑踏、いよいよ、母との生活が終わり、また、仕事で、出ていくのでは、ここにずっととどまりきれない、監督、揺れて、動いて、窓ガラスの外、通り、庭、空、木々、外へ、外へと、カメラは動き、窓辺に寄せ、苛立ちのカメラ、そこでカットされて、次のシーンに、同じこと、、部屋の中、動き、外へと向かってカメラは移動し外を見つめる、カット、こうして最後の日、ワインを飲んで、疲れて、眠い母、そして、妹、皆が、寝ないでと、母を起こそうと、最後の日なのだから、でも、寝てしまう、監督は、後ろから、手を母にもたせ掛けて、語りかける、だが、眠い、母も、妹も、そして、己自身も、だが、この最後と思えるショットが怖いのだ、だって、母は老いていて、確かに、いつ死してもおかしくないのだから、今撮っている、母の姿が、最後になるかもしれないのだ、いや、それは、監督にも言えるのでは、己だって、決して若くない、だが、家族もない、孤独、母が居なくなったら、果たして、生きていけるか、戻る場所もなくなってしまう、そして、カメラはいよいよ、荷物の整理、そして、カメラの主体は、外に、光の中に、ユダヤのデザインだろうか、神棚のごとく、そして、また荒れた土地、だが、ここては、草々が、それでも、風に揺れて、彼方に村が見える、風の中を、荒れた土地を、移動して、ここまでやって来た、あの村とは、でも、廃墟にも見えなくはないが、風が、吹きかける、全て、動きだせと、留まるなと、あらゆる権力を捨て去って、始まりだ、あの母の部屋を出てきたごとくに、始まりだ、辿り着いたのではない、あの村を、焼き払うために、やって来たのではないか、まさにそうだ、街を村をぶっ飛ばせ、さあ、さあ、さあ、点火だ、目の前の草々に火を放て、導火線のごとくに、火は燃え、村を焼き尽くすのだ、母親の姿、言葉、カメラの視線、監督の姿、監督の視線、日常を撃て、私を撃て、あらゆるホームムービーを撃て、お母さん、さようなら、さようなら、またね、