ⅭⅩⅣ「フランケンシュタイン対地底怪獣」を見る聴く、
第二次大戦のドイツ、肉体の研究者、永遠の肉体、戦時に役立つ肉体、を求めて、その研究者により見出された心臓、液体に漬かって生きたままに、日本に送られて、ナチスドイツの崩壊間際、そのドイツから日本に送られて、日本の研究室で開かれた箱の中の心臓、果たしてその後の研究は、何があったろうか、ナチスの狂気を引きずって、戦後日本に、実験は、手術は、現在の研究者たち、アメリカの研究者と娘と青年、娘の前に現れた不気味な獣のような人物、一体どこから、これこそが研究の成果、送られた心臓の結果、恋する娘と研究者、彼らの前にまた現れて、二人は食物を放る、こうして、彼らの手の中に捕えられて、研究所に、日増しに大きくなる人物、ドイツと日本の戦争時代の成果でもあるのだろうか、腕や手が斬られても、生えてくる肉体、だが、可愛そうだと、試せない研究者たち、だが、偶然に事故で伐られた腕、その腕が生き延びて、やはり、成長し、死なない肉体、フランケンシュタイン、ドイツと日本は戦争に負けた、その研究は、活かせなかった、だが、今、平和の世の中で、この肉体は、いかなることに、マスコミは面白可笑しくとらえて、肉体は巨人となった人物は獣は檻を飛び出していく、山の中、森の中、獣を漁って食物に、研究者たちは、あくまで研究のためにこの肉体が必要、始末できないままに、だが、何も判っていない巨人となった獣は、森から森、山から山、散々に荒らされた山の中、怯える人々、巨人の獣の、フランケンシュタインの仕業と、山間の雑踏、ロングの山間の人々の群れ、しかし、この山の中、地底より現れ出た怪物が、実は、巨人のフランケンシュタインでは無くて、この地底の怪物こそが、村を破壊していたのだ、誰も、知らずに、全てはフランケンシュタインの仕業と、フランケンシュタインに攻撃する警察、軍隊、そんな最中に、現れ出る地底怪物、フランケンシュタインは、この怪物と格闘し倒すのだ、この地底の怪物もまた、原子力の仕業か、フランケンシュタイン自体、ドイツの軍事研究から育った、そして、日本の軍事研究、そこに、アメリカの原爆、放射能、世界の科学技術、軍事技術、研究の結果が、作りだした、ものたち、しかも、誰も、このフランケンシュタインを裁けない、始末できない、確かに、娘を慕って、面倒を見たから、可愛がったから、その結果か、今の姿、確かに、地底怪獣を始末してくれた、が、なんと、そこにまた、蛸の怪物が、山間の湖の中から、這い出てきた、そうなのだ、次々に、怪物が現れて、対処できない現代人、そんな中で、怪物の平和利用、これがフランケンシュタインだろうか、しかし、あまりに危ない綱渡り、原子力の開発が、原爆に繋がった、フランケンシュタインの開発が、科学が、いつどこで、破滅に繋がらないとも限らない、このたびは、フランケンシュタインは自ら、タコ怪物ともども、湖の中に沈んだ、だが、湖底では、フランケンシュタインが、目覚め、叫び続けている、どんどん大きくなるフランケンシュタイン、彷徨い歩くフランケンシュタイン、そこに現れた地底怪獣、そして、蛸怪物、全ては、大二次大戦の結果、成果なのだ、哀れな現実、フランケンシュタインと地底怪獣の格闘、なかなか楽しいです、主役は、研究者たち、始まりはドイツの、そして、日本の研究者たち、娘の恋するアメリカの研究者、こうして、見事に、三者の研究者の集まりの中、ドラマが、青年研究者は、一人、フランケンシュタインの肉体が欲しくて彼の許に、だが、簡単にあしらわれて、倒されて、どこまでも、研究のため、此の生真面目な、研究者たちこそが、全ての発端、狂気の、マスコミはどこか小ばかにして、面白おかしく、警察と軍人は淡々と仕事するが、所詮叶わない、娘の衣装、次々に、着替え、着飾って、可愛いです、だが、彼らには研究に際して、危機感が無い、科学は、研究は、どこまでも正義なのだ、果たして、近代化とは、悪魔のささやき、宗教と一緒なのだよ、ロマンに過ぎない、研究の愚かしさ、遊戯、戯れの中、私たちは、弄んでしまっている、いや、散々に弄ばれて、映画は、こんな愚かしい私たちの滑稽を晒してくれた、今日もまた、生真面目に、愚かしい空回りを演じている私たち、そんな私たちこそが、戦後のフランケンシュタイン、