SASHIY エイガニッキ

メモ書きです、遊び心です、それでも、力です、どこにも、どちらにも、収まりつかない、思いです、可能性です、

SASHIY エイガニッキ

2020-01-03 08:50:15 | 日記
ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅣジョイス・ウィーランド  Joyce Wieland (1931-1998)を見る聴く、
 
 1933 (1967)   窓から見える、通りの風景、雑踏、車、歩く人々、同じ映像の反復、似て非なるものでは無い、全く同じ映像、繰り返されて、此処に、何か意味ありげなものが映っているのだろうか、スパイ、革命、闘争、権力、労働者、市民、黒人、外国の人物、何も無いのでは、だが、世界は混沌とした時代、恐慌の後、ファシズム、ニューデール、ナチス、党大会、満州事変も既に、日華事変、この空気に何を見る、何を聴く、撮ること、見る事、覚悟、そんな時空を反復するとは、
 Sailboat (1967)  海の沖合を船が行く、同じ船では無い、ボート、ヨット、次々に、時制は、何時の、同じ日、いや、全く違う時間、編集にて、重ねたばかり、そんな最中に、一人の男がカメラの前を歩き去る、背中を大きく露わにして、何故にこんな姿を挿入した、カメラの位置、客観、主観の自覚、覚悟、監督の立ち位置を露わにして、この男の背中に依って己の位地を曝け出してしまった、曝け出されてしまった、カメラ、私、見事、ワンショットの衝撃、
 
 Handtinting (1967-68)  黒人の娘たち、踊り、音楽、リズム、手拍子、愉快に踊る、いや、座ってみている、楽しんでいるのか、退屈しているのか、誰と誰が、しかし、黒人しか居ない、狭いサークル、そして、こんな彼女たちが、プールに、水着に着替えて、水泳の練習、水に顔を埋める、初めての出来事、恥じらい、笑み、どうして良いやら、自由なダンスと、水泳の教室、仕組まれて、学業、教育、まさに、共にアメリカの現実、自由不自由、動いているようで、動かされて、自由の様で不自由で、捉えられて、危うい間、音楽、若い黒人娘たち、だが、白人青年たちだって、同じ不自由の中に在るのでは無いか、アメリカという権力の中に、
 
Rat Life and Diet in North America (1968)   キッチンのネズミ、カップの中、どこから現れた、連れられてきた、捕らえられた、飛び出した、檻の前に猫の居る箱の中のネズミ、大きな猫、ネズミから観たら、身動きも只ならず、不気味なガラス張りの外の猫、恐怖、これは仕組まれた世界、ゲバラの死、泳がされて、殺されて、自由を求めて、カナダ、草原の中、音楽、自由の様で、何も無い、いや、権力の手の中に、踊らされて、危ない、危ない、カナダという権力、不自由の中に、逆に捕らわれて、その背景にはアメリカが絶対的に在るのだ、その外は無い、一途に敗北の最中に、そこから、さてさて、この暴力の中から、如何に、
 
 Dripping Water (with Michael Snow) (1969)   水の滴、繰り返し、まさにスノウの世界、キッチンの桶の水の揺らぎ、水面の展開、何かあるのか、何もないのか、反復、何処までも、何も無いままに、在る、
 Cat Food (1969)   猫のアップ、眼、顔、毛、不気味、獣、この姿に、何を見る、可愛い猫、いや、権力の爪のある恐ろしい猫、果たして、
 
 Reason Over Passion (1969)  車のフロント、雨だろうか、もやって、車の走り、山間、風景、光、影、乱反射、光の乱射、何が映し出されているか、ハッキリしない、そして、海、波、反復される波、重なり遇って、反復される波、カナダの国旗、繰り返し、かくて、車は走り行く、疾走、風景、美しい風景、水面、山、緑、高揚、心地よい走り、視線、視点、これがカナダ、国旗、家、車、豊かな世界、この風景の中に溶け込んで、実際の暮らしは見えない、経済は、政治は、そして、一人の男のアップ、政治家だろうか、芸術家だろうか、何を見る、語る、ビジネスマンか、彼がこの国に何をしでかしたのだろうか、だが、車の走りは続く、この度は雪景色の中、秋から冬に、雪の中、光、影、山間、通り、何処までも続く、雪景色、反復、こうして、続く中に、カメラが縦に、傾き、如何した、視線が、視点が傾いた、何が起こった、車の反転、そして、乗り物の中の人物のショット、こうして、これまでのカメラの視点、視線が、明らかに、全くの客観など無いのだと、乗り物の中の主観が捕らえた世界、しかも、乗り物の中は瞬間、傾いたのも瞬間、見る事、撮ることへの問い掛け、何を撮っているのだ、何を見ているのだ、そして、遂には、カメラの前に夫人の後ろ姿、頭と背が、夫人は窓の外を見ているらしい、カメラはその背の後ろから、外を見詰める、ならば、カメラとは、この夫人の夫、息子、家族、友人、それとも、単なる編集、繋ぎ、赤の他人、かくて、カメラが問いかけられて、これまでの客観のごとき外の風景から、撮影主体が問われて、在る、視点、視線、誰の、何の、そして、繋ぎとは、編集とは、上映とは、映画のパッションとは、そして、パッションの先には、何が、観てしまった、撮ってしまった、繋いでしまった、そして、今、上映が、そして、今、私が観る、観る私、カナダ、主体とは、客観とは、こんな解体の中に、在り続ける私たち、映画、
 
 

SASHIY エイガニッキ

2020-01-03 08:47:11 | 日記
ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ「ヴィタリナ」を見る聴く、
  闇の中、長回し、路地、闇の路地の奥から、人々が、行進、いや、ぶらぶらと、隊列、だらだらと、誰かが死した、何処の、何時の、誰、判らない、夫人、鏡の前、肖像画、ワンショットの凄さ、顔、表情、姿、光り、影、絵画だ、絵画はこのワンショットで全てを表現してきた、映画は、その絵画に、時間を導入して、僅かの動き、体、手、頭、顔、眼、口、更に、起き上がる、立ち上がる、動き出す、肖像画に動きを与えた、ショットが変わり、動きの無いとき、何が映されているのか暫く判らないときが、間が、場が、見る事が拒まれて、いや、見る事自体では無く、解釈してしまうことが拒まれて、そのショットの中の人物が、動き始めて、漸く画面の理解が、だが、何が理解された、位置関係が判ったばかりで、彼等の存在は、在処は、苦悩は、喜びは、関係は、何も判らない、かくて、判ることが、そのごとに壊されていく、ショットごとに、肖像画として安心して見ていたが、動きが導入されて、繋げられて、見ていた安心が何処に連れ行かれるのか、判らない、そもそもに、夫人は何処に、飛行場のショット、足、タラップ、連れ戻されて、主人公は辿りつかなかった、どこにも、この廃墟の中の夫人は、誰、何、幽霊、亡霊、見るものたちの錯覚、監督の錯覚、廃墟の中の人々の錯覚、観客としてみている私たちの錯覚、死した男の錯覚、夫人自体の錯覚、辿りついても居ないのに、やって来たかの如くに、振る舞って、ならば、この夫人とは、主体は何処に、リスボンの廃墟に、闇、夜、扉、開き、僅かの開きから光が、だが、この光は、昼の陽射しの光か、ライトの光か、判らない、基調は、何処までも、闇の中、夜の中、倒れて、起こされて、佇んで、語らって、誰と、誰が、個々の幻、だから、会話は成り立たない、それぞれの思い込みで見ている、聴いている、語らっている、共和から遠く離れて、個々に、孤独に、離ればなれ、夫人は、夫を求めてやって来た、だが、実際は辿りつかなかった、ならば、この夫人とは、誰の幻想、山間の小屋、アフリカ、教会、この地こそが夫人の故郷、ここから思いを馳せた、戻らない夫、消えた夫、女たちとの関係、嫉妬、噂、だが、何が真実かは判らない、だが、ヨーロッパに出向いてきて、帰らなかったことは確か、誘うと、共に暮らすと語りながら、教会、神父、説教、最前線、正義の闘いなど、遠く離れて、革命などない、在るのは、廃墟と、盗みと、その日暮らし、裏切り、連帯などほど遠く、労働者ともほど遠く、ならば、何が在るのだ、生活、死とは、誰の、己かも知れない、死んでいる、生きている、判りはしない、共に在る、いや、共々としてあるばかり、時に、陽射しの中の街の通りが、路地が映されて、こんな街中に、在る、闇世界、世界は、この闇世界を知らずに、日常を送っている、世界の至る所に、こんな闇世界が、怪しい光の漏れる世界が、葬儀の列がだらだらと行き過ぎる世界が、だから、日本でも、天皇の隊列の影に、裏に、横に、表に、天に、地下に、こんな闇が在る、この地に現れた,夫人、幽霊は,何処に消える,消えることは無いのだろうか、死した夫も在るのだし、幽霊たちは,消えない,何処までも,何時までも、見る気があれば,見える,大戦の死者も,ユダヤ人も、虐殺された民も、移民も、共に在るのだ,今もって,消えはしないのだ、私たちは,だから,大戦において,虐殺した,アジアの人々と共に,今もって在るのだ、彼等と語り,恋し、求め、裏切り、嫉妬し、これからもよろしくね、近いうちには,私もまた,彼等の仲間入り、怒りを持って,参上いたします、何処までも,何時までも、肖像画の彼女彼等の視線たち、この視線に撃たれて、ラストは,夫人の故郷の屋敷、屋根が崩れ落ち,いや,新しく屋根を繕うのだ、夫人は,夫に,屋根の修理を求めて居た,そのままに出掛けてしまって,戻らずに,今、このシーンは,だから,過去とも,未来とも、未来ならば,また同じ関係が反復されるのだとも、ワンシーンの作り、叫び、言葉、ドラマでは無い,ショットの力、そんな繋ぎ、まさに,力強く,壊れてあるのだ、此処を生きるしか無い、