ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ 「Blanche」1972を観る聴く、
緑の山間の中の城、白い城、中世の音楽、裸のお姫様、お后、風呂から上がって、着飾って、宝石を顔に、頭に、美しい、これは、城に、宝石に囲われた、お姫様、檻の中の白い鳥、宴、集まってくる人々、城の主、妃である始まりの娘、主である夫と妃のキス、息子、高音の青年の歌声、演奏、リズム、ダンス、素晴らしい、色彩、空間、広間、壁が四角に開かれて、絵画の中の人物の如くに、覗く、覗かれる、映画と云う装置でも在るのでは、語らう若者たち、視線、切り返しの無いショット、そして、突き放したような、外の風景、城の外、牛が城の前を過ぎっていく、いつもの、田園風景、城の中から遠く離れて、農夫、昼の中、この城のショットが、闇の中、陽射しの中、城の内側のドラマに挿入されて、城に遣ってくる、王、使用人、主の妃に、惹かれる王、皆がこの美貌の娘を恋するのだ、なんといっても、主の若い息子こそが、母である、妃に恋して、妃もまた、林の中、小さな橋を渡って、娘の長いスカート故に、小刻みな歩みが可愛いのだ、そして、スタイルを強調した衣装、美しい、妃である娘と息子、深夜、王と使用人の若者、猿、何処にでも、神出鬼没、白い鳥と猿、王もまた、恋して夜のお忍が、王らの思惑を知ってか、待ち構える息子、息子の剣に手を斬られて、周章てて逃げ去る、王の後を追った使用人の若者も、知って走る走る、逃げる逃げる、寝床に、王が怪我して戻り、若者は、己の仕業に仕立てて、手を斬る、身代わりなのだ、これには王も感心、感動、抱き留めるのだ、笑みの若者、信頼された、信用された、若者は、何処にでも、現れ、妃を求める、困惑する妃、あの小さな橋でも、現れて、強引に、息子が出来ない、キスをする、妃を抱き留める、林の中を逃げ去る妃、城の中、お忍びの若者、飛び降り、走り去り、王は遣いの若者に命ずる、若者は馬を走らせて、林の中を疾駆、鎧を着て、待ち構える息子、決闘だ、だが、呆気ない、若者には全く叶わないのだ、倒されて、剣を突きつけられて、降参、城の中、あらためて、息子は、若者に挑む、が、あっさり楯を顔から下げ、一発で、若者に顔を剣で打たれて仕舞う、死、さて、この若者の仕業を知った城の主、妃の夫は、若者を部屋の中に閉じ込めてしまう、扉にレンガを積んで、生き埋めにするのだ、逃がさない、王らが去り、暫くして、壁を打ち割り中に、倒れている若者、連れだして、水をかけると、息を吹き返す、息子は自殺だと、わざとだと、果たして、妃である娘も項垂れて、風呂場だろうか、腕をだらりと、これもまた自死、若者は、獄門に、足を縛られて、綱に繋がれて、馬は林の中を疾走する、引きづられるままに、何処までも、生き延びられるはずも無かろう、一人、瀕死の城の主、そこに黄金の被り物の王が現れる、既に死している主、こうして、囲われた白い鳥の恋たちは、何も成就しない、主と妃の恋、妃と息子の恋、若者と妃の恋、王の恋、美しい、白い城、緑の山間、この自然の中の白い城の中の、悲劇、喜劇、白い城もまた白い鳩同様に檻の中に囲われてあるのか、その外では、いつもの民が、いつもの生活を、いや、こんな民の中でもまた、こんな愚かしい、城の中と同様な血まみれの恋が、行われているのだろうか、しかし、そんなドラマよりも、アップの素晴らしさ、娘のアップの表情、目の蠢き、何処か、囚われの白い鳥なのだが、求めて居る、求められて笑みで笑っている、欲望、誰に対する、夫に対する、息子に対する、王に対する、若者対する、単なる、受け身の女では無いのだ、この僅かの間に、女の喜びが、叫びが、情熱が、現れて、あの小走りの歩みだって、困っているのか、楽しんでいるのか、手をふりふり、腰をふりふり、息子のアップは苦悩に歪み、お猿の自由さの王の使用人の若者の笑み、そして、主の表情、全てを知っての老いた、既に、若くない、そんな老人の切なさがにじみ出て、素晴らしい、しわくちゃな顔、そこに、この主の全てが、まさに肖像画、ラストの王のアップ、これもまた、見事に、何も出来なかった王、全ては見せ付けられたばかり、恋と闘いとから遠く突き放されてしまって在るばかり、これら肖像画としてのショットは、切り返して誰かが見詰めるというのでも無いのだ、ドラマの内に、ドラマの外に、私たちに、突きつけられ、放り投げられてあるのだ、王同様に、私たちに、これらを受け止めて、さて、抱え込んで、さあ、何処に、如何に、在ってしまう、権力の関わりを、誰もが越えられはしないままに、わたしは歩き出す、あの林の中だろうか、城の下の、脇道だろうか、東京の雑踏の中でしか無い、中世とは違った権力の最中に、
緑の山間の中の城、白い城、中世の音楽、裸のお姫様、お后、風呂から上がって、着飾って、宝石を顔に、頭に、美しい、これは、城に、宝石に囲われた、お姫様、檻の中の白い鳥、宴、集まってくる人々、城の主、妃である始まりの娘、主である夫と妃のキス、息子、高音の青年の歌声、演奏、リズム、ダンス、素晴らしい、色彩、空間、広間、壁が四角に開かれて、絵画の中の人物の如くに、覗く、覗かれる、映画と云う装置でも在るのでは、語らう若者たち、視線、切り返しの無いショット、そして、突き放したような、外の風景、城の外、牛が城の前を過ぎっていく、いつもの、田園風景、城の中から遠く離れて、農夫、昼の中、この城のショットが、闇の中、陽射しの中、城の内側のドラマに挿入されて、城に遣ってくる、王、使用人、主の妃に、惹かれる王、皆がこの美貌の娘を恋するのだ、なんといっても、主の若い息子こそが、母である、妃に恋して、妃もまた、林の中、小さな橋を渡って、娘の長いスカート故に、小刻みな歩みが可愛いのだ、そして、スタイルを強調した衣装、美しい、妃である娘と息子、深夜、王と使用人の若者、猿、何処にでも、神出鬼没、白い鳥と猿、王もまた、恋して夜のお忍が、王らの思惑を知ってか、待ち構える息子、息子の剣に手を斬られて、周章てて逃げ去る、王の後を追った使用人の若者も、知って走る走る、逃げる逃げる、寝床に、王が怪我して戻り、若者は、己の仕業に仕立てて、手を斬る、身代わりなのだ、これには王も感心、感動、抱き留めるのだ、笑みの若者、信頼された、信用された、若者は、何処にでも、現れ、妃を求める、困惑する妃、あの小さな橋でも、現れて、強引に、息子が出来ない、キスをする、妃を抱き留める、林の中を逃げ去る妃、城の中、お忍びの若者、飛び降り、走り去り、王は遣いの若者に命ずる、若者は馬を走らせて、林の中を疾駆、鎧を着て、待ち構える息子、決闘だ、だが、呆気ない、若者には全く叶わないのだ、倒されて、剣を突きつけられて、降参、城の中、あらためて、息子は、若者に挑む、が、あっさり楯を顔から下げ、一発で、若者に顔を剣で打たれて仕舞う、死、さて、この若者の仕業を知った城の主、妃の夫は、若者を部屋の中に閉じ込めてしまう、扉にレンガを積んで、生き埋めにするのだ、逃がさない、王らが去り、暫くして、壁を打ち割り中に、倒れている若者、連れだして、水をかけると、息を吹き返す、息子は自殺だと、わざとだと、果たして、妃である娘も項垂れて、風呂場だろうか、腕をだらりと、これもまた自死、若者は、獄門に、足を縛られて、綱に繋がれて、馬は林の中を疾走する、引きづられるままに、何処までも、生き延びられるはずも無かろう、一人、瀕死の城の主、そこに黄金の被り物の王が現れる、既に死している主、こうして、囲われた白い鳥の恋たちは、何も成就しない、主と妃の恋、妃と息子の恋、若者と妃の恋、王の恋、美しい、白い城、緑の山間、この自然の中の白い城の中の、悲劇、喜劇、白い城もまた白い鳩同様に檻の中に囲われてあるのか、その外では、いつもの民が、いつもの生活を、いや、こんな民の中でもまた、こんな愚かしい、城の中と同様な血まみれの恋が、行われているのだろうか、しかし、そんなドラマよりも、アップの素晴らしさ、娘のアップの表情、目の蠢き、何処か、囚われの白い鳥なのだが、求めて居る、求められて笑みで笑っている、欲望、誰に対する、夫に対する、息子に対する、王に対する、若者対する、単なる、受け身の女では無いのだ、この僅かの間に、女の喜びが、叫びが、情熱が、現れて、あの小走りの歩みだって、困っているのか、楽しんでいるのか、手をふりふり、腰をふりふり、息子のアップは苦悩に歪み、お猿の自由さの王の使用人の若者の笑み、そして、主の表情、全てを知っての老いた、既に、若くない、そんな老人の切なさがにじみ出て、素晴らしい、しわくちゃな顔、そこに、この主の全てが、まさに肖像画、ラストの王のアップ、これもまた、見事に、何も出来なかった王、全ては見せ付けられたばかり、恋と闘いとから遠く突き放されてしまって在るばかり、これら肖像画としてのショットは、切り返して誰かが見詰めるというのでも無いのだ、ドラマの内に、ドラマの外に、私たちに、突きつけられ、放り投げられてあるのだ、王同様に、私たちに、これらを受け止めて、さて、抱え込んで、さあ、何処に、如何に、在ってしまう、権力の関わりを、誰もが越えられはしないままに、わたしは歩き出す、あの林の中だろうか、城の下の、脇道だろうか、東京の雑踏の中でしか無い、中世とは違った権力の最中に、