ⅩⅩⅣ 「収容病棟」を観る聞く、
病院なのか、施設なのか、監獄か、その根拠は何も判らない、取り締まるのは医師なのか、看護士か、役人か、監視人か、満足な医療設備は何もない、他のフロアーにあるのだろうか、映画に見られるのは男性用のフロアー、三階か、四階か、下には女性のフロアーがあるらしい、何の説明もないままに、映画に撮られて、部屋と、廊下と、トイレと、テレビのある部屋と、廊下の水汲み場、四角い、中庭を巡る回廊と部屋部屋、部屋にも、ベッドしかない、シーツは取り替えているらしく、汚れ切っては居ないが、誰のベッドかはどうもはっきりしない、しかも、彼らは、トイレではなく、至る所で小便をするのだ、とりあえず洗面器はあるのだが、なぜにトイレまで行かないのか、廊下でも、部屋でも、勝手にしてしまう、わざとなのだろうか、精神を病んだ人らしい者も、どう見ても、正常にしか見えない者も、同居、犯罪者なのか、病気か判らない、つまりは、邪魔者が入っている、誰にとって、家族にとって、地域に取って、国にとって、組織にとって、押し込んだ者たちに取っての施設、入居している人々の為の施設ではない、地上階での食事、これも、立ったまま、食堂は無いのか、在るのにそこで食べないのか、判らない、どんぶり飯、どんぶりと箸、立ったまま、身勝手に食べて、どんぶりと箸を大きなたらいに戻して、一日何食なのだろうか、食べ残しに手を出す青年、叱る男、彼らなりの衛生は在るのか、時制が判らない、生活のリズムは、何時寝るのか、起きているのか、治療なのか、そして、注射と薬、これまた一様に、彼らに人権はない、そもそもに、カメラが自由に撮っている、この許可は、誰が、施設、家族、本人、全て遣らせのお芝居か、独裁国家の作り上げた、大芝居には違いない、文革の時にも、強制収容所は在ったろうが、未だに、今もって、何も変わっていない、此処に中国があるのだ、共産党、労働者の国、平等、人権、遠く離れて、しかし、彼らに労働をさせようとの様子もない、単に邪魔者なのだ、面会、ひとつの家族がクローズアップ、収容された夫、面会の妻と息子、早く出たいと夫、互いにカメラを意識しながら、まだよと妻、良くなったら、何を基準に、良くなるとは何、妻は携帯を持ち、音楽をインストール、妻はどうやって暮らしているのだ、誰かが、後ろ盾の者が居るとしか、夫が邪魔としか、不気味な世界、後半には、娘が見送りに来た収容される男が居た、涙の別れ、これまた、何故に入ってきたのか判らない、大男、廊下を走る、沈黙の青年、なぜかベッドで互い違いに二人寝ているコンビ、一人は裸で水浴び、そして、戻ってくる、横のベッドの青年も入り込もうと、何をしているのだ、絡まっているのだ、もじもじと、これが愛だろうか、セックスだろうか、まさぐり合う二人の関係は、そして、上の階の一人の男は、私の女房と下の階の廊下の女に語りかける、下から、答える女の収容人、彼女は上の階の廊下まで上がってきて、柵の前で二人語らう、この柵は鍵があるのだろう、開くことは出来ない、笑み、手を差し伸べあって、何をしているのだ、これもまた愛か、また違ったカップルの二人、同じベッドの二人、前半にも二人でベッドにいた、この二人が、ラストには、廊下のベンチに、二人仲睦まじく座っている、これもまた愛か、肉欲の絡まりとしか、此処に、民主主義は、権利は、闘争は、怒りは、何も見いだせない、敗北でしかない、何年も入っている者たちが居るのだから、誰かが反撥すれば、だが、何も起こらない、起こせない、関係は、脱出は、せいぜい、壁を、ベッドを、壊すくらい、一人の男が自由の身に、去っていく、村に、家に、戻ってきた、納屋、母親、父親、二階の男のベッド、それでも、テレビが、バイクが、家族はどうやって暮らしているのだろうか、何も語らない父親、男は何故に収容されたか、暴力か、病か、犯罪か、彼が村を彷徨い歩く、道、近代化、バイクが通り過ぎ、アパートが建設されている、ならば、この近代化に取り残された、者たち、西鉄区の廃墟、建築の為の廃墟、近代化の建設に乗れた者は良い、乗り遅れた者たちは、今、また、男は、一人、歩く歩く、道、アパート、車、現代中国から外された男の歩き、宛もない、永回し、また病棟を目指して歩いているのだろうか、あの廊下での患者の歩きの空回りのごとくに、何処に着くわけでもない、納屋の一家の貧しさ、家の中にゴミか、汚れたままに、あれが生活か、近代とは、現代とは、ゴミのままの生活、夫を施設に入れている嫌らしい妻が蜜柑を持ってまた遣ってきた、皆が群がる、食べて、皮をそのままに床に、食べ散らかして、こんなゴミを横に集めるばかり、何で捨てない、退化したのだろうか、いや、原始人だってあんなことしない、生活の邪魔なのだから、片づけるに違いない、これは退化ではなくて、進化、中国という、二十一世紀の進化の最前線、ならば、既に、あの貧しい一家の汚れは、既に、以前から、独裁政権の最中、ずっとあの調子か、何も出来ないままに、これが最前線、だが、カメラが入った、彼らもまた、カメラを意識した、そして、そこから、何か、外は、見えないか、医師も、看護士も、カメラを意識した、撮られてあることを、だが、未だ、その実体を、理解していないが、世界に、見られてしまったことの現実を、しかし、日本の施設、ビジネスもまた、違うと言えるのだろうか、組織され、管理され、だらだら、蠢くばかり、一見システマチックに小綺麗に動いているように見えながら、お題目の世界、反復の世界、不況だから、文句も云わず働くしかない、サービス残業、仕事を辞めない限り、ビジネスの外はない、人が足りないと、直ぐに電話が掛かってくる、ビジネスの危機管理と称して、全ては、見張られて、文句も云わずに出社、朝も夜もない、映画の彼らも、夜に眠れない、灯りがついて、昼に寝ている、時間の感性が、めちゃくちゃ、自由なのか、確かに、寝ても起きても自由、こんな自由、本もない、絵もない、音楽もない、色彩がない、確かに雪は降った、その白、後は、僅かの着ているものの色合い、これも又、汚れて、色彩を失っていく、医師らの白、汚れた壁のくすんだ白、シーツの白と青、この青が、少しばかり、心地よい、蜜柑の黄色、これも食い散らされて、ゴミとして掃かれてしまう、窓もない、中庭ばかり、何もない中庭ばかり、外が見えないのだ、閉じられて、政治犯もあるのだろうか、都合悪くなると、病と称して押し込められるのだろうか、この権力の自由、に、今、カメラの自由が対抗しうるか、権力が問われ、見えてしまっている、だが,見ている私たちが、見えて仕舞った権力を認識するとは何、闘争、どんな、いかなる、逃走、どこに、いつ、何も見いだせない、それでも、見ること、聞くこと、収容病棟の中の私を、誰か小便を垂れ流す音が響く、