SASHIY エイガニッキ

メモ書きです、遊び心です、それでも、力です、どこにも、どちらにも、収まりつかない、思いです、可能性です、

SASHIYエイガニッキ

2022-06-07 17:52:52 | 日記

CⅩⅠ「クライ・マッチョ」を見る聴く、
  老いたカーボーイ、昔はロデオのスターでも有り、皆から喝采された男、だが、今は何も出来ない老人、今日もまた時間に遅れて、現れて、ボスから、何をしているのだと、冴えない老人、そんな老人に、ボスは仕事を依頼、元カーボーイのスターだから、きっと息子は聞き入れると算段、主人公に、メキシコの元妻の許に出かけて、息子を誘ってこいと、ボスは元妻とは別れて、許妻は傲慢な女、派手に暮らし、きっと満足な生活はしていないだろうと、おまえならば連れ戻せると、主人公はボスに借金が、断れないままに、メキシコに車を走らせる、国境では、派手なアメリカ人の娘たちが、遊びに出かけるところ、メキシコのポリスも笑みで歓迎の顔、その後に主人公の車、何しに行くのだと、娘たちの連れだと、あきれて、さっさと行けとばかりのポリス、かくて、元妻の暮らす大きなお屋敷、こんな派手な暮らしのところから、果たして、息子は連れ出せるのか、直ぐに部下の男たちに捕まって、現れた元妻、派手な化粧の女、これまでにも、息子を取り戻しに何人かやってきたらしい、皆、簡単にあしらわれて、追い返された、あるいは殺された、息子はここに居ないと、闘鶏でもしているのだろうと、出来るのならば遣ってみろとばかり、小馬鹿にして、追い立てる、だが、この身勝手な傲慢な女の視線、この視線こそ、いつもの、イーストウッドの女の視線、狂気の視線、女は今何を生業としている、ギャングの愛人か、高級娼婦か、それでも、母親ではあるのでは、だが、実の父でない男と寝ている母に少年は溜まらない思いを、それでも母親、子供への思いは、言葉にはしないが、主人公を利用して、彼女もまた、連れ戻したい思いはないか、全て含めて、母の女の視線なのだ、愛人でしかない己の立場の中、含み混んだ視線、さて、主人公は早速闘鶏場、少年は闘鶏のまっただ中、そこにポリスの取り締まり、闇賭博、少年は隠れて、主人公は知って様子を伺う、ポリスは男たちを連れて、消える、誰もがいなくなって、主人公は少年を呼ぶ、闘鶏と共に現れた少年、父親の言葉を継げて、拒む少年だが、主人公はカーボーイ、牛も沢山居る、馬にも乗れる、少年はもともとカーボーイに成りたかったのだ、主人公の言葉に惹かれて、一緒に出向くことに、こうして二人の旅の始まり、車を走らせる、ポリスが追ってきた、隠れて、見つかって、取り調べ、だが、彼らは麻薬の運び屋と勘違い、何もないのだから、少年はポリスに賄賂を差し出して、その場を納める、いやはじめから金を狙っていたのでは、至る所でポリスの取り締まりが行われているの、少年を追ってのことか、母の思惑、麻薬か、母親の部下も、やはり追っている、そんなところに先ほどのパトカーが疾走して、主人公らの車は横転、二人は車を探さなくては、街の中、さすが少年は空っぽの車を見いだして、主人公は仕方なしに乗り込んで、静かに走り出す、アメリカに戻るのか、逃げているのか、取り締まりを逃れ、やってきた教会、その晩は泊まり、翌日、村に、カフェ、美しい婦人、食事、未亡人の婦人、どこか、理解して、保安官助手をも追い立てて、車の額見か、少年の誘拐か、ポリスとの取り締まりが、この婦人こそは、母の狂気の視線と共に、ある、狂気の視線には、こんな婦人の視線も包み込んで居なかったか、夜は教会に、朝食は婦人が教会の前に用意してくれて、婦人は店の裏を使っても良いと二人に告げる、受け入れて、実は乗ってきた車がガス漏れ、当分ここに止まらなくては、ボスには電話、遅れると、そこで聞かされる、ボスの言葉、実は結婚したときに、二人で投資した土地があるのだと、今その配当の時が来たのだと、当然に、離婚はしたが、ボスにも、大金の配当の分け前が有るはずなのだと、それには、息子が手元に居れば、母親も、踏み倒せまいとの狙い、怒りの主人公、連れ戻すのは、親の優しさとは違うのだ、怒り、かくて、この地で様子を伺うしかない、そんな中、老人が野生馬をならしている、でも、何もできない老人、主人公が手懐けて、少年にも乗馬を教えて、巧みな技に、老人も笑み、ならした馬は早速村人に売れるのだ、こうして暮らしが成り立つ二人、しかも、主人公は動物は何でも知っている、馬ばかりか、犬も、羊も、村人が連れ立って、直してしまう主人公、保安官助手が妻と共に、追い立てるのではない、妻の犬を見てくれと、だが、年には如何とも、ゆっくり眠らせよと、聞き入れる妻、かくて、村人からも信頼され、カフェの婦人の教える少女たちとも、友達に、少年も、一人の少女に惹かれて、婦人は、聾唖の少女に教育をも、孤独な婦人は、こんな家族を作り世話して生きている、いや、待っていた、男を、主人公はジュークボックスも直し、音楽と歌と踊りと、婦人とのダンス、恋、少年もまた、初めて家族を見いだす、まっとうな生活を、狂気の母の視線には、こんな幻想が包まれ居るはずなのだ、己には不可能と思いながらも、主人公は少年に父親の真実を告げ、やはり怒りの息子、それでも、行かなくては、主人公は少年に語りかける、もはや大人だ、己で決めろと、別れ、哀しみの婦人、少女たち、二人の車、そこに母の子分の車、やはり、母親は、少年を己の手の中に、主人公を彼女は利用したとも、子分の車が主人公らの車を煽り立て、車は路上を逸脱、転倒、子分は銃を構えて、二人を並ばせる、そこに闘鶏が子分の銃を持つ手を噛む、この瞬間の見事さ、素早さ、巧みさ、かくて、銃は主人公の手に、子分を置いて、彼の車に乗り込む二人、苛立ちの子分、怒りの子分、こうして二人は国境に、連絡していたボスがアメリカ側で待つ、歩き出す少年、抱き合う二人、主人公は別れ際に、俺の居るところは解っているなと、ボスはいいやつだと、だが、だめだったら、戻ってこいと、主人公と共に、父を母を家族を教えられて、今、父の元に、始まりだ、あの狂気の母親の視線に対する答えが、今、果たして、今、こんな両親たちの、視線を、哀しみを、受け止めて、ある、少年、こんな少年を、子供たちを見てくれる、世話する者たちが、居ない、両親たちは、何も出来ずに、苛立ちのまま、暴力に、子供たちは、怯え逃げるばかり、映画には主人公が、一人の老人が、母と父の視線を背負って、これは幻、主人公自身の、決まりの時間に遅れてやってきた老人の、そして、私たちの、幻、夢、いや、現実、私もまた、母と父の視線を背負って始まりだ、老人の最後の人踊り、