ⅭⅧ「少年、機関車に乗る」を見る聴く、
祖母と孫たちの暮らし、今だ幼い弟、面倒を見る兄、だが、何か仕事が有るでもない、皆が、若者たちが、ぶらぶらしている、娘たちは家の中に、籠っているのか、映画館で、喝采し、騒ぎ立てるのも男たちばかり、年老いた祖母は、昔ながらの、生活しか判らない、主人公もまた、町に出たい、それには、弟が、父のもとに預けようと、列車に、かくて、列車ともども、旅に、彷徨いに、放浪に、乗り込む人々、列車の通り過ぎる村、場、山間、タジキスタンの現実が、映し出されて、映像の美しさ、淡い光と影、モノクロの美しい風景、荒涼とした空間なのだが、家畜たち、列車の運転手、主人公の少年は、彼とは知りあいで、乗せてもらっているのだ、弟とともに、乗り込んできた娘二人、主人公はまともに顔を合せられないままに、弟に、頬にキスしてと言えと、笑みで見つめ、何よと娘たち、少年の言葉に、娘は叩く、皆が笑いに、幼い少年のおませな言葉に、運転手は、列車を止め、連結を確かめるためと時間稼ぎ,駅舎の男に語り掛け、貨車の中に、待っている娘、少年が覗くと、娘が裸で、一人の娘は去っていったが、残った娘、二人の娘の関係は、着飾った二人、こうして、男たち、女たちは、思いを満たしているのだ、列車とは、荷物を運ぶばかりではない、皆の欲望をも運んでいる、ロングの映像の素晴らしさ、辿り着いた街、大きな池のある町、父親、ともに暮らす娘、愛人か、結婚しているのか、現れた少年に驚き、良く来たと、食事、娘は何所か、不満顔、父親と娘の二人の世界に入り込んできた息子たち、大きな池は、公園か、父親の部屋の中、研究所の中、温室、栽培されている植物、緑、ここは、共産党政権の、実験場、この地に在った品種改良、そして、水場、灌漑、父は研究者、娘は医師、計画経済の夢の後、廃墟、池の橋も脱落しているのだし、父も、母も、こうして、夢世界に、理想の世界に、飛び出して、結果何も成らずに、そのままに暮らして、残されたのは、祖母の世代、そして、生まれた子どもたち、この街でも映画の芝居を真似ておどける若者、昼間から何している、仕事は無いのか、ないのだ、労働者の国のはずが、労働が無いのだ、夢破れた廃墟たち、主人公は弟を置いていきたいと、困惑の父、兄が弟の面倒を見るのは当たり前だとばかり、父親の身勝手、主人公は弟を置き去りにして、列車に乗ろうと、そこに昔の知り合いの青年、町に来た時にも語らっていた、つまらないことから、諍いに、殴りあい、血まみれの二人、何しているのか、まさに、この姿こそが、有り様こそが、タジキスタン、責任を押しつけ、逃れ、ややもすると諍いに、皆が、やるせなくて、苛立って、走る走る、約束の列車に飛び乗って、間に在った、だが、主人公はどこに、村に戻るのか、ここから、都会に出ていくのか、そんな最中に、貨車で物音が、弟が、乗り込んでいるのだ、どうやってやって来たと主人公、父の仕業、愛人の仕業、堂々巡り、遊ぶ子どもたち、サッカーの青年、屯す青年たち、水たまりの中の小魚、幼い少年が手を晒している、そこに弟が、彼はいつも土を食べるのだ、兄に叱られながらも、また、土を口にする、土を食べる、空腹なのだろうか、食べられない土、土地、口にするとは、根気よく、耕せとのことか、肥沃の土地にしようとのことか、食べられない土の中で、土地の中で空回り、そこから、脱出しなくては、だから、父の住まう研究所、公園、水場のある部屋は、可能性の世界だったはずなのだ、しかし、この計画経済は、あまりに言葉尻ばかりで、現実に即していない、土地に、人々に、伝統に、生活に、根ざした、開墾でないのだ、共産党の言葉に依る、支配、采配、小魚の水たまりも、研究所の廃墟の一つ、この空回りの中、列車は走る、大した荷物も運ばれていない、客も荷もない列車、空車、空回り、映画、芝居、サッカー、喧嘩、恋などなくて、セックス、列車は走る、ラストは線路の横の池の水面から捕らえる列車の移動、横移動、列車を追ってカメラも移動する、どこまでも、列車は、この水を、運べないか、巡らせられないか、カメラもまた水面に残された、可能性の水は、カメラは、映画は、こんな空回りの列車移動から、飛べ、主人公らを乗せた列車を見送りながら、私たちは、その先を、今、土をついばみながら、元気出せと映画は私たちを追いたてていないか、