ⅭⅩⅩⅠ「眩暈」を見る聴く、
メカスの死、東京の剛造、水辺から思いを馳せる、メカスの写真、思い出、過去、若かりし頃の二人、出会い、詩人として、映像作家として、来日したメカス、過去の写真が、挿入されて、死して1周年、アメリカに、ニューヨークに、メカスの部屋に、そして、彼の残した大作、つまりは、その息子に会いに、この息子こそが、メカスの人柄を表しているのだと、ニューヨーク、通り、町、ビルの屋上から、昼に、夜に、夜景の美しさ、通りを彷徨い歩き、昔、出版された己の詩集を買い求める、古本屋に有ったのだ、流石、ニューヨーク、剛造の詩を語るメカス、立体的だと、街中、歩いて、この辺だったと、そこに、現れる息子、手を振る、近寄ってくる息子、見つめ合う二人、抱擁するでもない、見つめるばかりの二人、素晴らしい、見ることなのだ、再会とは、メカスを一番に理解している二人、息子と友人と、だが、それ以上に、メカスの視線、視点、言葉、声、生活、暮らしを知っている二人の再会、抱き合うのではなく、見つめ合い、あくまで、恥じらい、見つめ合い、大変な1年だったねと、哀しい1年だったねと、メカスを失った、哀しみは、あの息子の視線の中に、全てが、剛造を見つめる笑みの中に、全てが、何だ傲慢さの欠片もない、やさしい視線とは、メカスに依って作られた、あの視線、メカスの祈りが、息子に、この視線を繋いでいかなくては、そして、部屋の中に、片付けられている部屋、未だ雑然としているが、多くの物が、博物館に運ばれた、ニューヨークは凄い、メカスの物がいち早く、博物館に、そこで息子は仕事をするらしい、作品のみならず、多様な品々の、収集、整理、記録、なのだろうか、部屋の奥、ソファに寝ていたメカス、最後には、ベッドで、起き上がろうとして、そんな部屋の中で、インタヴューを受ける剛造、最中に、倒れて、運ばれて、疲れていたのか、捕らわれていたのか、何にメカスの死した場所、回復してまた部屋の中、息子と語らう、最後の時、起き上がろうとしていた、問いかける剛造、いや、ベッドで寝ていて、半身を起こそうと、笑っていた、いや、沈黙の後、息子は語る、覚悟の視線、理解する剛造、眩暈、最後のメカスの視線、覚悟、そして、同じ場所で倒れる剛造、今、その眩暈を振り返り、メカスを受け止める、メカスの最後を受け止める、それは、眩暈なのだ、そして、それを詩に、書き、部屋で立ち、己の詩を朗読する、叫ぶ、め・ま・い、メ・カ・ス、メカスの最後を、その全てを、剛造の全てが、めまいが、繋ぐ、めまいメカス、剛造は語る、ゴダールでも、撮れなかった、メカスの揺れ、ぶれ、カメラの動き、どこか曖昧で、絶対化しない視線、やさしさなのだ、優しさとは、受け入れること、まさに、息子の視線ではないか、恥じらい、目を丸くし、受け止める、直ぐには、判断しない、受け止めて、受け入れて、ゆっくり語り出す、そんな視線、世界を、皆を、あなたを、まずは、ゆっくり、見、受け止めて、受け止めて、視線、視点ではないのだ、視点たち、これこそが、あの揺れる画面ではないのか、メカスが歌い出す、仕事をするな、私は、そんな仕事はしないのだと、笑みで、軽やかに、リズミカルに、歌う、ギターを弾きながら、今有る、世界の、外に、外に、外の物たちの、者たちのネットワーク、剛造は、ニューヨークを歩く、コニーアイランド、水辺、路地、地下鉄、そして、街の人々なのだろうか、メカスの難民日記を読んでもらう、今もって、街中には、路地には、メカスの言葉が、日記が、言葉が、視線が、声が、屯するのだ、酒を酌み交わし、笑みで、飲み、歌い、歌い、歌い、見て、見て、見て、めまいメカス、めまいメカス、めまいメカス、