にゃんこはうすにケーキを届けた。
子供の頃はクリスマスと言えばケーキを食べるのが楽しみでした。
いつからでしょうか?
女性や子供を喜ばせたくてケーキを買うようになったのは…
クリスマスイブの日、夕食をスーパーへ買いに行った。
買うつもりは無かったのに買い物かごに入れてしまった(-_-;)
おじさんだって苺のショートケーキが食べたいのです。
ヤマザキのケーキ2個入りを食後にペロリ
翌朝、会社でペロリと食べた。
美味しかった。
私が福島第一原発の事故から住民が避難して動物が置き去りになっている
それを知ったのはブログ「うちのとらまる」さんでした。
書店で「のこされた動物たち」を買って読み
警戒区域の中に忍び込み猫が餓死しないように給餌をされてるのを知り
感動したものです。
栄養状態の悪さから冬の寒さで相当数が死んでしまうだろう…
春を迎えた頃、かなりの頭数の猫が生き延びているのが判った。
その頃既に「にゃんこはうす」のブログも読んでいたから
雪の中、懸命に給餌をした皆さんの活動のおかげだと思っている。
4月になると南相馬市南端の小高区が警戒解除され
状況がガラリと変わってきた。
私も父の死後、相続税を支払い雑事から解放されて
キャットフードを積んでにゃんこはうすに届けながら
小高区も視察している。
津波被害で町が壊滅した南三陸町に行った1年後に
福島の復興に着手しようとしている自分に酔っていた。
もしかして私は復興の救世主なのかも知れない、ヒーロー気分だった。
道の駅「南相馬」に集合して給餌の体験会を開催してくれたとらまるさん。
誰でも入る事が出来るようになった小高区を新たに給餌する方が現れると
これまで活動してた方の負担を減らすことが出来ます。
現地の集合時間が朝の7時、江戸川を夜中に出発しないと
間に合わないから断念した。
それからは月に1~2回、にゃんこはうすへフードを届ける。
父の一周忌法要と新盆を済ませてから私の車を届けた。
にゃんこはうすを離れて独力で給餌活動を始めようと考えていた。
8月、楢葉町が警戒解除されてすぐさま下見に出掛けた。
常磐道利用ですごく近いから通いやすいのも魅力です。
とらまるさんと同じように単独で給餌活動をする意気込みだった。
現地では猫が居そうな場所は他人様の敷地や家に無断で入らないと
難しいと判断する。
にゃんこはうすで給餌ポイントを教わり、別働隊のように動くか?
でもにゃんこはうすの活動は私の考えているものとは違うと感じている。
その頃、とらまるさんのブログでも楢葉町で給餌の体験ツアーみたいな
企画があり魅力的な女性がブログに顔を出して登場していた。
彼女たちはメイクもしてるし服装もオシャレです。
それを観て、給餌ボランティアが増えたかも知れません。
まるで雑誌Be-Palを読んでいるかのような錯覚を覚えた。
一度餌を置いた場所を猫が覚えてくれたのに1度きりの活動では困ります。
「給餌活動をしました!」とブログで書いたきりの人もいるそうですwww
先日、にゃんこはうすでそんな話題で盛り上がった時
一時的にせよ、私の心を見透かされたようで恥ずかしかったです。
にゃんこはうすでは基本的に依頼主さんからの要望で動きます。
飼い主さんが一時帰宅では保護出来ない猫を中心に
給餌や捕獲活動に取り組みます。
そして警戒区域内に津波被害で半壊した家が在るボンママさんを中心に
地元での信頼は厚いそうです。
独力で給餌活動をする夢は崩れ去った。
自らが主体的に動くのは格好良いのだけども
しっかりとした信念を持つ方を支えるのもやりがいがある。
そんな心の変化があったときに「一兵卒」に立ちかえると表現するもの。
どこかの政治家に教えてやりたいぜよ!
子供の頃はクリスマスと言えばケーキを食べるのが楽しみでした。
いつからでしょうか?
女性や子供を喜ばせたくてケーキを買うようになったのは…
クリスマスイブの日、夕食をスーパーへ買いに行った。
買うつもりは無かったのに買い物かごに入れてしまった(-_-;)
おじさんだって苺のショートケーキが食べたいのです。
ヤマザキのケーキ2個入りを食後にペロリ
翌朝、会社でペロリと食べた。
美味しかった。
私が福島第一原発の事故から住民が避難して動物が置き去りになっている
それを知ったのはブログ「うちのとらまる」さんでした。
書店で「のこされた動物たち」を買って読み
警戒区域の中に忍び込み猫が餓死しないように給餌をされてるのを知り
感動したものです。
栄養状態の悪さから冬の寒さで相当数が死んでしまうだろう…
春を迎えた頃、かなりの頭数の猫が生き延びているのが判った。
その頃既に「にゃんこはうす」のブログも読んでいたから
雪の中、懸命に給餌をした皆さんの活動のおかげだと思っている。
4月になると南相馬市南端の小高区が警戒解除され
状況がガラリと変わってきた。
私も父の死後、相続税を支払い雑事から解放されて
キャットフードを積んでにゃんこはうすに届けながら
小高区も視察している。
津波被害で町が壊滅した南三陸町に行った1年後に
福島の復興に着手しようとしている自分に酔っていた。
もしかして私は復興の救世主なのかも知れない、ヒーロー気分だった。
道の駅「南相馬」に集合して給餌の体験会を開催してくれたとらまるさん。
誰でも入る事が出来るようになった小高区を新たに給餌する方が現れると
これまで活動してた方の負担を減らすことが出来ます。
現地の集合時間が朝の7時、江戸川を夜中に出発しないと
間に合わないから断念した。
それからは月に1~2回、にゃんこはうすへフードを届ける。
父の一周忌法要と新盆を済ませてから私の車を届けた。
にゃんこはうすを離れて独力で給餌活動を始めようと考えていた。
8月、楢葉町が警戒解除されてすぐさま下見に出掛けた。
常磐道利用ですごく近いから通いやすいのも魅力です。
とらまるさんと同じように単独で給餌活動をする意気込みだった。
現地では猫が居そうな場所は他人様の敷地や家に無断で入らないと
難しいと判断する。
にゃんこはうすで給餌ポイントを教わり、別働隊のように動くか?
でもにゃんこはうすの活動は私の考えているものとは違うと感じている。
その頃、とらまるさんのブログでも楢葉町で給餌の体験ツアーみたいな
企画があり魅力的な女性がブログに顔を出して登場していた。
彼女たちはメイクもしてるし服装もオシャレです。
それを観て、給餌ボランティアが増えたかも知れません。
まるで雑誌Be-Palを読んでいるかのような錯覚を覚えた。
一度餌を置いた場所を猫が覚えてくれたのに1度きりの活動では困ります。
「給餌活動をしました!」とブログで書いたきりの人もいるそうですwww
先日、にゃんこはうすでそんな話題で盛り上がった時
一時的にせよ、私の心を見透かされたようで恥ずかしかったです。
にゃんこはうすでは基本的に依頼主さんからの要望で動きます。
飼い主さんが一時帰宅では保護出来ない猫を中心に
給餌や捕獲活動に取り組みます。
そして警戒区域内に津波被害で半壊した家が在るボンママさんを中心に
地元での信頼は厚いそうです。
独力で給餌活動をする夢は崩れ去った。
自らが主体的に動くのは格好良いのだけども
しっかりとした信念を持つ方を支えるのもやりがいがある。
そんな心の変化があったときに「一兵卒」に立ちかえると表現するもの。
どこかの政治家に教えてやりたいぜよ!