日曜日の朝は7時前に家を出た。
半袖のTシャツではちょっと寒い気温ですが気にしない。
東北道は渋滞も無く順調に走れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d8/2d5ab59d71edb6ff7e28901939e1dd68.jpg)
前を走る水上バイクを横に2台積んでいるトレーラーが
バランスが悪くて危険だと感じる。
天気は良くて気温も上がりそうですね。
高速を下りて一般道を走っているとあちこちに
「東北六魂祭り」の看板があり自分の無関心さにあきれた。
東に進み太平洋側を目指すが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d9/73eea4936b6f3e02efb27e61dd87c9a4.jpg)
山に白い布団をかぶせたように雲が見える。
峠は霧で視界も悪かったです。
国道6号線が寸断されたままだから細い県道を大型トラックが峠越え
アップダウンがきつくカーブも多いからペースの遅いトラックを先頭に
数珠繋がりの車列から外れて休憩をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/e4/693e62722d862bc218701f195e59e5c5.jpg)
ここは全村避難中の飯館村。
休業中のGSは農協SSと看板があり、だから営業再開しないんだねwww
写真は向かい側にあった飯館牛ミートセンターだけど
二度と人が戻って来ないでしょう。
小沢一郎のポスターがやたら多い。
日本未来の党、国民の生活が第一が目指すのは社会主義体制らしい。
村を捨て、集団移住をして平和な暮らしを約束されたのか?
復興させようと強い気持ちが無いとゴーストタウン化は拡がるだけ。
村を抜ける県道12号は車がビュンビュンと通過していた。
寸断された鉄道の代行バスが浜通りと避難先の内陸部を繋いでいる。
道路脇には車に撥ねられたタヌキをカラスがついばんでいた。
その写真を添えれば原発事故が引き起こした悲しい現実として
説得力は増す。
市町村によって復興を目指すか諦めているかの温度差が激しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/39/948490dc2682d3460e922c5c84e4f368.jpg)
いつもの撮影ポイントで。
車内にある外気温の表示は11℃、寒いはずですね。
それなのに半袖の私(笑)まおさんに負けてないなぁ。
にゃんこはうすに到着して感じたのは駐車してある車が少ないこと。
黙々とキャットフードを倉庫に運んでいたら常駐さんがやってきた。
「あと10分位でありこさんが戻って来ますよ」
確実に全国からここに集まる人の数が減ったと感じている。
給餌用のキャットフードの備蓄も少ないと思った。
給水タンクの容量を見たら半分以上残っていたので
初めて警戒解除された浪江町にでも行こうかなと思案してたら
ありこさんが戻ってきた。
「しゃちくん、網戸張り出来る?」
「やったこと無いし大雑把な性格だからSさんに頼んだ方が良いよ」
「そんなこと言わないでよ!」
と、ゆきさんに案内されて網戸張り職人に変身しました。
割烹着の似合う長期ボラのОちゃんが使っていた部屋。
前日に荷物を引き払い自宅に帰ったそうです。
最近はここに到着するといつも外に出て来てくれたОちゃん。
犬の世話も得意でおやじさんが保護している犬の散歩も引き受けていた。
なんだか寂しい気がしたのはОちゃんが居ないからかな?
網戸張りの目的は猫の脱走防止らしい。
施工箇所分の材料は無いしタッカーの針も少ないし…
替え歌を口ずさんでいた。
福島の 僕ちゃんは 網戸張りたし 網が無し
ゴミを適当に くっつけて
山寺の 和尚さんは この歌は猫虐待だから聴かなくなりましたね。
作業中におやじさんが帰ってきて色々とお話を伺いました。
おやじさんは浪江町に住んでいて避難生活中。
政府による緊急避難指示がもたらす動物の置き去りを見越して
震災直後から犬の避難や保護を精力的にこなす個人ボラさんです。
怪我や病気で苦しむ犬猫を多数保護し奥様の適切なケアによって
救ってきた動物の命は数知れずでしょう。
菅総理(震災当時)は世論を脱原発に導こうと多くの事を捨てさせた。
日本各地にある原発を停めようが福島には何も良い事は起こらない。
それどころか多くの動物が見殺しにされる運命を作った張本人だろう。
おやじさんから驚愕の事実を教えてもらった。
双葉町のお年寄りばかりが現在も100人規模で体育館の中
段ボールの衝立で仕切られた避難所で生活をしているらしい。
2年以上もプライバシーの無い生活を続け自宅には一度も帰っていない
車でないと帰れない事情もあるが…まるで希望を失わせる制度みたい。
そんな住民の飼い犬もおやじさんは保護していて
確認のために避難所まで出掛けることもあるそうで。
とっくに諦めていた飼い犬が生きていることを知らされて喜ぶも
避難所生活では飼えないから里子に出す決意もあったり。。。
福島って何も変わらないし変えられないまま時間だけが過ぎている。
本当の事も伝えられないままだし。
警戒解除されて久しぶりに町に戻った住民を取材する朝日新聞系列は
白い防護服(今は誰も着ていない)を着せられて悲観的なコメントを求められ
「原発のせいでこんなに苦しんでいる」というストーリーが出来てゆく。
現実は腐敗した食べ物が詰まった冷蔵庫を捨てたいと頼む予定が
可哀想な住民として紹介されてしまったり。
まとまった人数のボランティアがいれば家の片付けも進むでしょう。
自宅で暮らしたいと願う住民も沢山居るのですね。
「今度は浪江の町を案内しましょう」と言ってくださり
やりかけの作業を片付けて帰る事にしました。
午前11時前に到着して午後3時までの滞在でした。
走りながら東北道で帰るか常磐道で帰るか悩んでいた。
腹が減って給油もしたいしタバコも買いたい。
福島松川から東北道に上り、安達太良SAで全てを満たしたが激混み。
そうでした。「東北六魂祭り」を見に来た観光客で混雑だった。
磐越道に逃げるか迷ったがそのまま東北道を南下した。
宇都宮以南が断続的に渋滞していると交通情報で見たから
矢板で下りて国道4号で帰りました。
往路は4時間、復路は6時間のドライブです。
帰宅すると家猫達がお腹がすいたと大合唱です♪
自分の食事より先に猫のごはんが優先される
まさに「ただいまんま」状態でした。
何だかいつもまとまらない文章でごめんなさいです。
福島通いはまだまだ続ける予定です。
半袖のTシャツではちょっと寒い気温ですが気にしない。
東北道は渋滞も無く順調に走れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d8/2d5ab59d71edb6ff7e28901939e1dd68.jpg)
前を走る水上バイクを横に2台積んでいるトレーラーが
バランスが悪くて危険だと感じる。
天気は良くて気温も上がりそうですね。
高速を下りて一般道を走っているとあちこちに
「東北六魂祭り」の看板があり自分の無関心さにあきれた。
東に進み太平洋側を目指すが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d9/73eea4936b6f3e02efb27e61dd87c9a4.jpg)
山に白い布団をかぶせたように雲が見える。
峠は霧で視界も悪かったです。
国道6号線が寸断されたままだから細い県道を大型トラックが峠越え
アップダウンがきつくカーブも多いからペースの遅いトラックを先頭に
数珠繋がりの車列から外れて休憩をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/e4/693e62722d862bc218701f195e59e5c5.jpg)
ここは全村避難中の飯館村。
休業中のGSは農協SSと看板があり、だから営業再開しないんだねwww
写真は向かい側にあった飯館牛ミートセンターだけど
二度と人が戻って来ないでしょう。
小沢一郎のポスターがやたら多い。
日本未来の党、国民の生活が第一が目指すのは社会主義体制らしい。
村を捨て、集団移住をして平和な暮らしを約束されたのか?
復興させようと強い気持ちが無いとゴーストタウン化は拡がるだけ。
村を抜ける県道12号は車がビュンビュンと通過していた。
寸断された鉄道の代行バスが浜通りと避難先の内陸部を繋いでいる。
道路脇には車に撥ねられたタヌキをカラスがついばんでいた。
その写真を添えれば原発事故が引き起こした悲しい現実として
説得力は増す。
市町村によって復興を目指すか諦めているかの温度差が激しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/39/948490dc2682d3460e922c5c84e4f368.jpg)
いつもの撮影ポイントで。
車内にある外気温の表示は11℃、寒いはずですね。
それなのに半袖の私(笑)まおさんに負けてないなぁ。
にゃんこはうすに到着して感じたのは駐車してある車が少ないこと。
黙々とキャットフードを倉庫に運んでいたら常駐さんがやってきた。
「あと10分位でありこさんが戻って来ますよ」
確実に全国からここに集まる人の数が減ったと感じている。
給餌用のキャットフードの備蓄も少ないと思った。
給水タンクの容量を見たら半分以上残っていたので
初めて警戒解除された浪江町にでも行こうかなと思案してたら
ありこさんが戻ってきた。
「しゃちくん、網戸張り出来る?」
「やったこと無いし大雑把な性格だからSさんに頼んだ方が良いよ」
「そんなこと言わないでよ!」
と、ゆきさんに案内されて網戸張り職人に変身しました。
割烹着の似合う長期ボラのОちゃんが使っていた部屋。
前日に荷物を引き払い自宅に帰ったそうです。
最近はここに到着するといつも外に出て来てくれたОちゃん。
犬の世話も得意でおやじさんが保護している犬の散歩も引き受けていた。
なんだか寂しい気がしたのはОちゃんが居ないからかな?
網戸張りの目的は猫の脱走防止らしい。
施工箇所分の材料は無いしタッカーの針も少ないし…
替え歌を口ずさんでいた。
福島の 僕ちゃんは 網戸張りたし 網が無し
ゴミを適当に くっつけて
山寺の 和尚さんは この歌は猫虐待だから聴かなくなりましたね。
作業中におやじさんが帰ってきて色々とお話を伺いました。
おやじさんは浪江町に住んでいて避難生活中。
政府による緊急避難指示がもたらす動物の置き去りを見越して
震災直後から犬の避難や保護を精力的にこなす個人ボラさんです。
怪我や病気で苦しむ犬猫を多数保護し奥様の適切なケアによって
救ってきた動物の命は数知れずでしょう。
菅総理(震災当時)は世論を脱原発に導こうと多くの事を捨てさせた。
日本各地にある原発を停めようが福島には何も良い事は起こらない。
それどころか多くの動物が見殺しにされる運命を作った張本人だろう。
おやじさんから驚愕の事実を教えてもらった。
双葉町のお年寄りばかりが現在も100人規模で体育館の中
段ボールの衝立で仕切られた避難所で生活をしているらしい。
2年以上もプライバシーの無い生活を続け自宅には一度も帰っていない
車でないと帰れない事情もあるが…まるで希望を失わせる制度みたい。
そんな住民の飼い犬もおやじさんは保護していて
確認のために避難所まで出掛けることもあるそうで。
とっくに諦めていた飼い犬が生きていることを知らされて喜ぶも
避難所生活では飼えないから里子に出す決意もあったり。。。
福島って何も変わらないし変えられないまま時間だけが過ぎている。
本当の事も伝えられないままだし。
警戒解除されて久しぶりに町に戻った住民を取材する朝日新聞系列は
白い防護服(今は誰も着ていない)を着せられて悲観的なコメントを求められ
「原発のせいでこんなに苦しんでいる」というストーリーが出来てゆく。
現実は腐敗した食べ物が詰まった冷蔵庫を捨てたいと頼む予定が
可哀想な住民として紹介されてしまったり。
まとまった人数のボランティアがいれば家の片付けも進むでしょう。
自宅で暮らしたいと願う住民も沢山居るのですね。
「今度は浪江の町を案内しましょう」と言ってくださり
やりかけの作業を片付けて帰る事にしました。
午前11時前に到着して午後3時までの滞在でした。
走りながら東北道で帰るか常磐道で帰るか悩んでいた。
腹が減って給油もしたいしタバコも買いたい。
福島松川から東北道に上り、安達太良SAで全てを満たしたが激混み。
そうでした。「東北六魂祭り」を見に来た観光客で混雑だった。
磐越道に逃げるか迷ったがそのまま東北道を南下した。
宇都宮以南が断続的に渋滞していると交通情報で見たから
矢板で下りて国道4号で帰りました。
往路は4時間、復路は6時間のドライブです。
帰宅すると家猫達がお腹がすいたと大合唱です♪
自分の食事より先に猫のごはんが優先される
まさに「ただいまんま」状態でした。
何だかいつもまとまらない文章でごめんなさいです。
福島通いはまだまだ続ける予定です。