食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

中世の日本料理の発達-中世日本の食(5)

2021-01-11 19:37:01 | 第三章 中世の食の革命
中世の日本料理の発達-中世日本の食(5)
現代の日本でフォーマルな日本料理と言えば「会席料理」になります。これは先付(さきづけ)から始まるコース料理のことです。

一方、同じ読み方をする「懐石料理」も日本の伝統的な料理です。この料理は茶の湯に関係していて、茶を飲む前に提供される料理のことをいいます。
このように会席料理と懐石料理は異なるものですが、歴史をたどって行くと同じ起源を持っていることが分かります。

今回は、会席料理と懐石料理の起源である中世の日本料理について見て行きます。

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記録に残されている日本の最も古いフォーマルな宴会が「大饗(だいきょう)」だ。これは平安時代(794~1185年)の中頃から、宮中や高級貴族の邸宅で開催されていた大規模な宴会のことである。

大饗は今の乾杯に当たる「酒礼」で始まる。酒礼では、出席者が盃に入った酒を順番に回し飲むという行為を3度繰り返す。この儀式のような行為から「三々九度(三献の儀)」や「駆けつけ三杯」が生まれたと言われている。

酒礼が済むと「饗膳」と呼ばれる食事に移る。大饗は唐の文化の影響を受けていて、料理を乗せる台としては「台盤(だいばん)」と呼ばれる脚つきの大きな膳が使われていた。台盤の上には複数人分の料理が一人前ずつ器に盛られて並べられていて、出席者は台盤の周りに置かれた椅子に座って、箸と匙を用いて料理を食べたと考えられている。

なお、時とともに台盤の脚は短くなり、出席者は椅子を使わずに床の上に座って食事をするようになった。また、台盤のような大きな食卓の代わりに一人用の小型の膳(銘々膳(めいめいぜん)と呼ぶ)が使われるようになり、客の前には数個の膳が並ぶことになる。

ところで、現代で使われている「台所」という言葉は、貴族の邸宅で調理を行い、台盤の上に配膳をする部屋を「台盤所」と呼んだのが語源とされている。

鎌倉時代(1185~1333年)になり武士に政治の実権が移ると、公家は大規模な宴会である大饗を行うことができなくなった。一方の武士の方も、源頼朝が質素な生活を推奨したことから、きわめて質素な食生活を送ることになった。頼朝は武士が貴族の華美な風習に染まることを嫌い、この方針が後世に引き継がれたのである。鎌倉時代の武士は「一汁二菜」の食事をしていたと言われている。

鎌倉時代以降に正月になると有力な御家人が将軍にふるまった食事が「埦飯(おうばん)」と呼ばれるものだ。埦飯はもともと宮廷の警備係だった武士が宮廷行事の際に出された昼食のことだった。

鎌倉時代の埦飯は、ご飯の上に薄く切ったアワビやクラゲ、梅干しを乗せ、それに塩と酢を添えただけの簡単な食事であった。それでも、ここから江戸時代の民衆の酒宴を椀飯振舞いと呼ぶようになり、現代でも気前よくおごることを大盤振舞いと言っている。

室町時代(1336~1573年)になると、京都に幕府を開いた将軍は公家の文化を取り入れるようになり、食事も豪華なものになって行った。そして、公家の大饗のように儀式的な要素が強い宴会が行われるようになる。そこで出されたのが「本膳料理(ほんぜんりょうり)」と呼ばれるものであった。初期の本膳料理は足利義満(在職:1368~1394年)の時代には成立していたと考えられており、江戸時代が終わるまで発展と変化を続けた。

本膳料理を簡単に言うと、一人用の銘々膳の上に様々な料理のお椀や皿が並べられた料理のことだ。本膳料理の最も簡単な形式は一汁三菜で、飯・香の物・汁物・膾(なます)・煮物・焼き物が出される(飯と香の物は数に入れない)。

料理の規模が大きくなると、一の膳(本膳)に加えて、二の膳、三の膳と膳の数が増えて、最も多い場合には七の膳まで出されることもあったという。なお、膳の数が増えるにともなって、料理の数も二汁五菜(あるいは七菜)、三汁七菜(あるいは十一菜)と増えて行った。

なお、本膳料理は武家や公家だけが食べたものではなく、僧侶も食べていた。この場合は、精進料理の本膳料理が出されていた。

本膳料理では大饗と同じように、料理を食べる前に「式三献(しきさんこん)」という酒礼が行われた。これは、3つの酒の肴に対して、それぞれ3回ずつ乾杯を行うもので、儀式的な要素が強かった。ちなみに一つ目の酒の肴には雑煮が出されることが多かったらしく、これがめでたい正月に雑煮と一緒におとそを楽しむという習慣につながったと考える学者もいる。



さて、本膳料理で出された料理だが、調理法の発達によって現代人が見てもかなり美味しそうなものが出されていたようだ。いくつかの献立をあげると次のようになる。

塩鮭の焼き物、キジの焼き物、鯛の焼き物、サザエの焼き物、鯛の汁物、小鳥の汁物、ナマコとヤマイモの汁物、クジラの汁物、キスの焼びたし、かまぼこ、アワビの酢の物

本膳料理は武士のおもてなしの料理として発展してきたが、やがて茶の湯に取り入れられることで「懐石(料理)」が生まれることになる(次回は懐石料理のお話になります)。


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