グローバルな料理となったサモサ-中世・近世インドの食の革命(2)
インドのポピュラーな料理の一つに「サモサ」があります。
サモサ(Bre WoodsyによるPixabayからの画像)
サモサは、小麦粉で作った皮で具材を包んだのち油で揚げたもので、三角形をしているのが特徴です。一般的には、ジャガイモ・タマネギ・レンズマメ・ひき肉などをクミン・コリアンダー・ターメリックなどのスパイスで味付けをしたものが具材として使用されますが、様々なバリエーションがあり、中には甘いものもあります。
インドでは、サモサはあらゆる階級の人に食べられていて、屋台などでも売られていますし、レストランのメニューにも載っています。
このように、インドの国民食の一つと言っても良いサモサですが、最初に作られたのはインドではなく、中東だと考えられています。また、インド以外でも、南アジアや南米、アフリカ、ヨーロッパでもサモサに似た料理が食べられていますが、これらはインドのサモサが伝わることで生まれました。
今回は、インドでサモサが生まれ、それが世界の各地に広がって行った歴史について見ていきます。
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サモサは中央アジアや中東が起源とされている。また、「サモサ」という言葉は、「三角形のペイストリー」を意味するペルシャ語のsanbosagから生まれたと考えられている。
9世紀に書かれたペルシャ語の書物の中にサモサに似た料理のことが書かれており、これがサモサの最初の記録と考えられている。また、10世紀から13世紀にかけての中東の国で書かれたいくつかの書物にサモサのことが書かれており、よく食べられていた料理と思われる。当時のレシピは、小麦粉に塩と湯を加えて練り、油で揚げるというものだった。
サモサがインドの歴史に登場するのは14世紀のことだ。14世紀にインドを訪れたモロッコの旅行者イブン・バトゥータが、宮廷での宴で三角形の生地にひき肉やエンドウ豆、ピスタチオ、アーモンドなどを詰めた料理が出されたと旅行記に記録している。
その頃の北インドではイスラム勢力による王朝が栄えており、王宮で雇われた中東の料理人がサモサを持ち込んだ可能性がある。また、中東の行商人が旅の途中でサモサをよく食べていたことから、彼らから伝えられたとも言われているが、詳しいことは分かっていない。
インドに伝わったサモサは、インドで独自の進化を遂げる。すなわち、インドで手に入りやすいスパイスが使用されるようになったのだ。
さらに、ヨーロッパ人がインドにやって来るようになると、彼らから新しい食材がサモサに導入された。それが、トウガラシとジャガイモだ。特にジャガイモは、風味と食感がサモサによく合ったためか、サモサの具材として定着して行った。
一方、インドでサモサのことを知ったヨーロッパ人は、サモサを本国と植民地に伝えるようになった。
インドに最初に植民地を作ったポルトガル人はサモサを大変気に入り、まず本国に持ち帰った。そしてポルトガルではインドで使わない、ブタやウシのひき肉を入れたサモサが作られるようになった。今では、サモサはポルトガル料理に欠かせない一品になっている。ちなみに、サモサはポルトガルでは「チャムサ(chamuças)」と呼ばれる。
また、ポルトガル人は、ポルトガルの植民地であったブラジルや奴隷貿易の拠点があった西アフリカにもサモサを伝えた。
18世紀頃からイギリスによるインド進出が活発化するが、イギリス人もサモサをとても気に入り、世界中のイギリス植民地に広めて行った。こうして、カリブ海の島々や南アフリカ、オーストラリアなどに伝えられ、現代でも人気の料理になっている。