古代中国の食生活
中国は広大だ。古代中国では乾燥地帯の黄河流域と高温多湿地帯の長江流域で文明が発生したが、得られる食料に大きな違いがあったと推測される。つまり、長江流域ではコメの栽培が可能だったが黄河流域はコメの栽培に適しておらず、それ以外の穀物、中でも「アワ」が主食になった。尚、「米」は元々はアワを表した文字であったと言われている。
アワは野生のエノコログサ(ネコジャラシ)を栽培化することで誕生した。野生のエノコログサは実が成熟すると脱粒するが、栽培化したアワでは脱粒が起きにくくなった。
アワは紀元前6000~前5000年の黄河流域の斐李崗遺跡・磁山遺跡で栽培されていたことが確認されている。紀元前2000年の喇家遺跡ではアワで作った麺が見つかっており、これが現在のところ世界最古の麺である。ちなみに、喇家遺跡は黄河の氾濫で一瞬のうちに泥で埋まってしまったため、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋まったポンペイに倣って「東洋のポンペイ」と呼ばれる。
古代中国ではイヌ・ブタ・ヒツジ・ウシ・ウマ・ニワトリが「六畜」と呼ばれ、労働力や食料として利用された。ニワトリ以外の家畜化については既に述べたので(イヌ・ブタ・ヒツジ・ウシ・ウマ)、ここではニワトリの家畜化について触れておく。
ニワトリの家畜化は紀元前7000年頃にタイを中心とする東南アジア一帯で行われたとされる。やがて紀元前6000年頃に中国に伝わり、品種改良により大型化した。ちなみに、日本には1世紀頃に朝鮮半島を経由して伝わった。また、オリエントへは紀元前3000年頃に伝わったとされる。
今ではニワトリは卵の生産に無くてはならないものだが、元の野生種は年間の産卵数が約30個と少なく、主に観賞用あるいは闘鶏用に飼育された。このため、貴重な卵を食べるのはタブーとされていたが、紀元前2000年~前1500年には世界各地で卵の食用としての利用が始まった。
それ以外のタンパク源としては、黄河や長江に住むコイやフナ、そして中国の伝統的な食用魚のケイギョ(桂魚)などの川魚を食べたようである。
一方、中国が起源の飲み物として「茶」がある。茶は伝説上の皇帝(神)である「神農」が見つけて人々に伝えたとされている。神農がお湯を飲もうとした時に湯の中に茶の葉が入り、素晴らしい風味のお茶ができ上ったとのことだ。それは紀元前2700年と言われるが、実際に文献で茶が確認されるのは紀元前1世紀のことだそうだ。