食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ビザンツ帝国の食べ物-中世ヨーロッパのはじまりと食(8)

2020-11-12 23:13:46 | 第三章 中世の食の革命
ビザンツ帝国の食べ物-中世ヨーロッパのはじまりと食(8)
今回はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の食べ物について見て行きたいと思います。
ローマ帝国を引き継いだことから、ビザンツ帝国の食はローマ帝国の食の延長線上にあります。しかし、キリスト教の影響などによって新しい要素が加わって行きます。

************
同時代の多くの場所と同じように、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)でもコムギやライムギ、エンバクなどの穀物は最も重要な食べ物だった。これらの穀物からパンが焼かれたが、金持ちは小麦粉から作られた白パンを食べ、お金がない人はエンバクやエンドウ豆、アザミなどの粉で作ったパンを食べた。中でも酵母を使って発酵させた白パンはふっくらとしていて最高級品だったそうだ。

穀物の粉からはビスケットのようなものも作られていた。これは2度ほど焼いて十分に水分を飛ばした堅いパンで、長期保存ができるためビザンツ軍の携帯食となっていた。ただし、食べる時にはスープなどの液体にひたして柔らかくする必要があったそうだ。

また、ビザンツ帝国ではさまざまなお粥も食べられていた。 現代でもギリシア料理の一つとして食べられているトラチャナスという料理は、ひびの入った挽き割り小麦を酸味のきいたサワーミルクやヨーグルトで煮たものだ。これにハルーミーあるいはフェタというギリシア地方特産のチーズを乗せて食べる。このチーズは塩味がきいているため、トラチャナスは酸味と塩味の絶妙な風味があるそうだ(残念ながら私は食べたことがありません)。

ビザンツ帝国では、ブタ、ヤギ、ヒツジ、ウシなどの家畜や、シカや野ウサギなどのさまざまな肉が食べられていた。特に、乳離れしていない子供の動物の肉に人気があったようだ。

肉は鉄板で焼かれたり、あぶり焼きにされて食べられた。また、揚げ物や蒸されることもあったそうだ。調味料には、塩や酢、コショウのほかにローマ帝国と同じように魚醤のガルムが使用されていた。ちなみに、ローマ人に代わってゲルマン民族が支配した西ヨーロッパではガルムは廃れてしまう。

豚肉はひき肉にされてソーセージに加工されることも多かった。ただし、血液を使ったブラッドソーセージを食べることはギリシア正教会によって禁止されていたという。

このブラッドソーセージのように、ビザンツ帝国ではギリシア正教の教えによって食べてはいけないものが決められていた。また、一月以上にわたる長くて厳しい断食の期間があった。この期間中は、肉、魚、卵、バターなどの乳製品、油(オリーブオイル)やワインを口にしてはいけなかった(ただし、日曜日などの儀式ではオリーブオイルとワインは許される)。断食期間中は夜になると、これら以外の食べ物や飲み物を摂ることが許された。

なお、ローマ・カトリックでも当時は長期間の厳しい断食を行っていたが、時代とともに緩やかになった。一方、ギリシア正教では現在でも昔と同様の断食を行っているという。

さて、断食中に食べてはいけないものに魚があるが、その理由は魚には赤い血液があるからだ。一方、同じ海の生き物である貝やイカ・タコ・エビ・カニなどには赤い血はない。このため断食中でもこれらのシーフードを食べることができた。その結果、ビザンツ帝国ではシーフードの料理が発達したという。現代のギリシアでも、タコやイカ、貝類の消費量が多い。


(Mikele DesignerによるPixabayからの画像)

ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルは海に面していたので、断食中で無ければ魚をよく食べていた。当時の記録には、マグロ、タラ、マス、チョウザメ、サーモン、カワカマス、カレイなどの名がある。魚は焼いたり、揚げたり、シチューに入れたりして食べられていた。

ビザンツ帝国では野菜もたくさん食べられた。ギリシア料理の特徴はたくさんの種類の野菜を使うことだが、その理由は野菜が断食の対象でなかったことだ。なお、現代のギリシア料理ではトマトやジャガイモをよく使うが、これらは新大陸(アメリカ大陸)の野菜であるためビザンツ帝国の時代には存在しなかった。トマトやジャガイモがヨーロッパで食べられるようになるのは18世紀以降のことだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。