気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

【月】をお題にした母の句~雨後の月

2021年09月21日 | 伊代の俳句

(メルヘンカメラマンさん/写真AC)

濡れている光放ちて雨後の月

雨上がりの月が濡れた木々や花を照らし

辺りがまるで光りを放っているように美しい

季語:月(秋)

※俳句歳時記:月は四季それぞれの趣きがあるが、そのさやけさは秋にきわまるので、単に月といえば秋の月をいう。

月はいわゆる雪月花の一つで、古来大いに詩歌に詠まれ、物語の背景を支えてきた。➡春の月(春)・夏の月(夏)・冬の月(冬)

この句も解読するのが難しかった。

雨後というのは雨上がりという情景で、季語は(月)で(秋)を詠ったものだと思う。

雨後の月を詠った句を参考にしようとネットで探したが、なかなか母のような句はなかった。

ゆえ自分なりに解読してみた。

母の短冊を載せる見出しの写真は、月が照らしたコスモスの幻想的な写真をいただいた。

今夜は「中秋の名月」8年ぶりに満月と同日らしい。

この南関東は沿岸部を中心に雨雲がかかるところがあるとの天気予報なので、見る事ができないかもしれない。

             

彼岸入りの昨日、我が家の墓参りに行ってきた。

いつもは山の上のお茶屋さんに寄ってお線香とお花を買い、手桶に水を頂いて下まで降りて行くのだけれど、

今回はお茶屋さんには寄らずこの間見つけた道から行ってみようということになって、近所のスーパーでお花を買い、お線香とお水を持って行った。

とても良い天気だったので、ススキの穂が青空のなか、キラキラと綺麗だった。

 

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【夜の秋】をお題にした母の句~オルゴール

2021年08月20日 | 伊代の俳句

オルゴール胸に沁みくる夜の秋

   秋の気配が漂う涼しい夏の夜は オルゴールの音も胸に沁みてくる

季語:夜の秋(晩夏)

※俳句歳時記:古くは秋の夜と同じ意味であったが、近代以降、夏の季語として使われるようになった。

晩夏になると夜はすでに秋の気配が漂うことを言う。→秋の夜(秋)

        

去年、母の句を整理していて「夜の秋」とは?、母が(秋の夜)と間違えたのだろうか?などど思って、とりあえず秋の句の中へ入れていました。

しかし俳句を習いはじめて、これは夏の季語で、俳句にはこの微細な季節の言葉(季語)あり、

秋には「涼しい」「寂しい」とか、「実り」などといった情景があって、そんな秋のような気配を感じ始めた…夏の夜を「夜の秋」と詠むことを知りました。

母が聞いていたオルゴールの曲は分かりません。(YouTube検索してみました。)

 もしかするとこんな曲だったのでしょうか?

ノクターン ショパン ※オルゴール専門店オルゴール屋&伊豆オルゴール館

「悲愴」とか「ラ・カンパネラ」なども考えられます。

それとも、誰でも知っているような「エリーゼのために」だったのかもしれません?。

「ノクターン第20番(ショパン遺作)」はオルゴールで聞くと、沁みるというか…涙が溢れそうです。

何年か前、孫娘の誕生日祝いに自由が丘のオルゴール屋さんへ行って、あれこれ探したのを思い出しました。

あの時、「流行り廃りの無いクラシックがいい」と言った私の意見を聞かず、夫が「拝啓十五の君へ」を選んだのでした。

もう、18歳になったはまだ聞いてくれているでしょうか?

おととしの夏から母の俳句をブログに載せはじめ、これで48句目です。「伊代の俳句」

 きっかけとなった母の句碑(2019年9月20日ブログ)

今日は彼岸の入り・・・母の句をやっと、やっと…解読する。 - 気がつけば思い出Ⅱ

今日はお彼岸の入り。母が生前菩提寺に建てた句碑を解読本を購入したり、解読アプリをダウンロードしてみたりして、何とか読もうとして約一カ月。やっ...

今日は彼岸の入り・・・母の句をやっと、やっと…解読する。 - 気がつけば思い出Ⅱ

 

その母の句もだんだんと残り少なくなってきました。(一抹の寂しさがあります・・・

繋いでいけるようにと思ってはじめた俳句「喜代の俳句」を頑張るしかなさそうです。

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空蝉をお題にした母の句 & はじめての俳句🖊17

2021年07月03日 | 伊代の俳句

※kabuyochuさん/写真AC

縋る身は哀しきものよ空の蝉

季語:空の蝉・空蝉(うつせみ):夏(晩夏)

蝉の空、蝉の脱け殻をいう。※俳句歳時記

[悲しい・哀しい]とは心がいたみ、泣きたくなる気持ち(にさせるようす)だ。※三省堂国語辞典

しがみついている姿を(縋る)とし、蝉の殻を(空)とし哀しきものと詠っている。

この句は縋るしかない境遇を空蝉に重ねているのだと思う。

空蝉を詠った母の句はもう一つある空蝉の一つは供華にすがりおり】

去年のブログ

OGPイメージ

空蝉をお題にした母の句~源氏物語第3帖~一茶の句 - 気がつけば思い出Ⅱ

空蝉(うつせみ)のひとつは供華にすがりおり蝉の脱け殻のひとつが仏前に供える花に離れまいとして、しっかりつかまっている季語は晩夏空蝉(うつせみ...

空蝉をお題にした母の句~源氏物語第3帖~一茶の句 - 気がつけば思い出Ⅱ

 

こちらもやはり「すがる」の言葉が入っている。

詠いたかったことは二句とも同じなのだろう。とても似ている。

ただちょっとこちらのほうが、やわらかな情景が浮かぶ。

      

私も空蝉をお題に詠んでみた。(添削レポート提出)

作品の背景:庭掃除をしていると空の蝉がまだ枝に留まっていた。空で軽くて小さいのに一年過ごしたのだなあと思った。

提出した句:【枝の上一年越した空の蝉】

先生の添削:日常のふとした発見が読みこまれていて好もしく思いました。

ただ、「一年越した」という表現が素直すぎるようにも思いました。「空蝉や」と切字を用いて、焦点を絞った表現にされたらいかがでしょう。

また中七を「一年越しの」として、「枝の上」につなげるようにするとよろしいかと思いました。

提出句はテキストにあった「説明になっています」「報告的です」になっていたようだ。

【空蝉や一年越しの枝の上】

我が家の枯れ木に止まり、雨風にもめげず一年越した蝉の殻

源氏物語に『空蝉-3帖』などの話もあり、その姿からも(儚い)とか(哀しい)とか詠われる空蝉・・・。

否…殻なのに(空になっても)その存在を保ち続けるとは、意外と逞しいのではないだろうか・・・?。

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幟をお題にした母の句〜初幟(のぼり)

2021年05月01日 | 伊代の俳句

蒼天の風賜るや初幟(のぼり)

真っ青な空のなか 天から吹いているような風を受けて 初のぼり(鯉のぼり)が泳いでいる

季語:初幟(夏)

幟(のぼり)江戸時代には、定紋や鐘馗(しょうき)の絵を染め抜いた幟を兜・長刀・吹流しなどとともに家の前に立てた。
古くは紙製であったが、これが小さくなって座敷幟となっていった。
武家の幟に対して、町人は、滝をも登るとする鯉を出世の象徴として鯉幟をたて、男子の成長を祈った。
これもはじめは紙製であり、五色の吹流しとともに立てる。※俳句歳時記

初幟となっているので、多分この句は弟の息子(甥)の初節句の時に立てた鯉のぼりを詠った句だと思う。

実家は田舎なので、庭に設置され、見上げるような鯉のぼりだった。

少子化のせいもあるのだろうけれど、このごろ鯉のぼりをあげる家も少なくなってきた。

マンションの多いこの辺ではベランダ鯉のぼりをチラホラと見かけるけれど、実家に立てられていたような鯉のぼりはほとんど見かけない。

見出し画像は我が家のベランダ鯉のぼり

母がこの句を詠んだと思われる時に初節句だった甥も、もう30歳を過ぎた。

時の経つのは早いなぁ・・・とつくづく思う。

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雲雀をお題にした母の句~揚雲雀

2021年04月11日 | 伊代の俳句

※ヨシボーさん/写真AC

揚雲雀吾は地を這う農婦なり

気持ちよさそうに雲雀が囀りながらどこまでも空高く上っていく
かたや私は地に這いずり作業をしている農婦です

※すずしろさん/イラストAC

季語:揚雲雀(あげひばり)(春)

雲雀:スズメ目ヒバリ科の留鳥で、雀よりひと回り大きく、茶色。草原・河原・麦畑などに枯草や根で皿形の巣を作る。
巣から飛び立つときは鳴きながら真っ直ぐに舞い上がり、ついで急速に舞い降りてくる。
春の野に空高く朗らかに「ピーチュルルゥ~」と囀る姿は昔から親しまれてきた。
揚雲雀は高く舞い上がって鳴いているヒバリを指す。※歳時記

※まこげさん/写真AC

揚雲雀果てなき想い天に告ぐ (伊代)

(揚雲雀)を題にして詠んだ母の句をもう一つ昨年の4月19日のブログに載せている。

その時も書いた幼い頃の思い出。
ぽかぽかと暖かな春の日、蓮華畑に寝そべり見上げる真っ青な空に雲雀が鳴いていて、なんとも言えない至福の時だった。

※hana*hanaさん/写真AC

でも母は雲雀のことを「いいなぁ~羨ましいなぁ・・・」なんて眺めていたのだろうか。

あれは母が幼い私にくれた至福の時だったのかもしれない。

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