気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

鎌倉散策~②【大船観音寺】完成に30年を費やした白衣観音(びゃくえかんのん)

2024年12月20日 | 旅行

大船駅歩道橋から見た観音様
(2024・12・9/iPhone写)

居なくなって10年経ったけれど、ナラが私の心を埋めているスペースは今も大きい!

ナラのお墓参りに行く時は、JR横須賀線の大船駅からバスに乗る。

その乗り換え時の歩道橋から、いつも見ている観音様は慈悲深く優しいお顔をしている。

するとナラが「また来てくれたんだね!」と言っているような気がしていつも涙が溢れそうになる。

なのでいつかは直接拝観したいと思っていた。

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【大船観音】は聞くところによると、「胸像」だと言われている。

「胸から下は土に埋まっている!」などとの都市伝説もあるらしい。

私も、遠目で見る限りは立像だと思っていたので・・・

先日、北鎌倉の円覚寺散策の折に一緒に行った友達にそのことを言うと「一つ手前の駅なので降りて観よう」ということになり、大船駅で一度降り拝観することになった。

※大船観音寺のホームページより抜粋

昭和4年4月14日、起工式が行われ、工事が着手されました。
しかし、建立予定地が丘の突端で地層が東側斜面に崩れる地層であることから、当初の計画である立像建立を変更しなければならないこととなり
坐像を検討したが地形との調和がとれないことから、胸像に変更されたといわれています。
そして、世界恐慌という世相の中で寄付金は思うように集まらず、昭和9年にはとうとう工事が中断され、観音像は未完成のままの状態で23年間放置されることとなりました。
昭和56年11月20日、曹洞宗の包括下にある「大船観音寺」としての準備と手続きを行い、神奈川県より寺院としての認証を受け、現在に至っています。

     

12月9日(月)

10:30 【参道入口】

参道入口の真ん中にある赤いコーンをよく見るとお地蔵さまが彫られている。

【地蔵コーン】

【参道】

【山門】

山門は無人のため参拝料300円は入口に置いてある募金箱へ入れる。

山門の奥に見えるのが本堂。

山門付近から大船の街並みが見渡せる。

そこから観音様までの階段を登る。

左手に見えるのは【大梵鐘(ぼんしょう)】

大晦日には一般の人でも除夜の鐘をつくことができるらしい!

【手水舎】

ここからも大船の街並みが見渡せる。

観音様に近づいてみると、確かに胸像だった。

左手に写ったのが観音様の右胸部分で、胸像は高さ約25m、幅約19mあるらしい。

確かにインパクトが半端なかった!

ここで友の一人が「観音様の額のところに観音様がいるらしい(いらっしゃる)」と気づいた。

写真※パンフレットから

iPhoneのカメラをマックスにして写してみると確かに!

冠の中に【阿弥陀如来様】がほんとうにいらっしゃった!またビックリ

【胎内】

観音様の背後から中に入ることができ、そこでは木彫りの千体仏や平和への願いをこめた千羽鶴・建立に関わる資料・写真を見ることできる。

※写真は撮らなかったのでパンフレットから

「観音様への伝言帳」もあったので、思いは3人とも一緒ということで私が代表して「家内安全・健康祈願」を伝言(お願い)を書き留めた。

     

帰り際、境内に咲く綺麗な紫色の花に気づいた。(野牡丹?)

そして【縁結びの木】

「縁結びの木」を見て「もういいや!」「そうだね!」と…何気ない私達の会話!

すれ違いざまに聞いた他人(ひと)からするとある意味…怖いなと思ったかもしれない!

     

長年見てみたいと思っていた大船観音寺を散策し、観音様が胸像だったことも分かったのだけれど、気になるのは都市伝説・・・

それでネットのいくつかのサイトを見てみると、やはり原因は地表からの高さにあるらしい。

電車から、または駅の歩道橋から見ると胸から下の距離(長さ)が絶妙に立っているように見える。👀

先日歩道橋から写したもので見てみて、なるほどと思った。

長年の謎の解けた散策だった。


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