自宅庭の南天
実を知らず夫(つま)切らんとす花南天
季語:花南天(夏)
南天はメギ科の常緑低木で、5~6月に白色の目立たない小花を多数つける。
暖地には野生もあり、多くは庭木として植えられる。→南天の実(秋)※俳句歳時記
作品の背景:南天の花は細かい白で地味なため、冬に赤く綺麗な実がなるのを知らない夫は切ろうとした。
提出した句:【花南天切ると夫は実を知らず】
先生の添削:「花南天」が夏の季語ですね。旦那様が花を切ろうとするご様子を句の材料とされているところがほほえましいです。
十七音にすると盛り込める内容にも限りがありますので、ある程度省略も必要かと思います。添削句を二句あげてみます。
一句目【実を知らず夫(つま)切らんとす花南天】
夫を(つま)と読む。【▽夫/妻】の解説
≪「端(つま)」の意 ≫ 夫婦や恋人が、互いに相手を呼ぶ称。※goo国語辞書
俳句では(つま)と読むことが多いようだ。この読みは浮かんでこなかった。
でも(おっと)は3文字で(つま)に変えると2文字となるので、十七音のスムーズな流れができる。
二句目【南天の花や夫は実を知らず】
これは切字(や)を使って簡潔になっている。まだまだ切字が使えない。
ただ、私は「切ろうとする」夫を詠みたかったので…この句では庭の南天を何気にしか見てない「実を知らない」だけの夫になってしまう。
それで「切る」の入った一句目を写真に載せることにした。
私はやっぱり欲が深いのかもしれない。
省くといえば、私と真逆に、夫は切ったり、捨てたりをすぐする。
注意していなと、何でも片っ端から片付け(捨て)てしまう。
今年、紫陽花が3花しか咲かなかったのは、夫が(芽のつくところもお構いなしに切って)剪定したからだと思うのだが・・・。
それは義母にそっくりで、義母も同じようだった。(性格の遺伝か?そんな母をみて育ったせいか?)
お義母さんに片づけられ無くなったマーガレットを思い出す。
その悔しかったことを今でも覚えている。(欲深いうえ、執念深い私)
私はその白い花がいっぱい、風に揺れている・・・のを想像して植えた。
こんな風になるのを頭の中に描いて!
※tomocafeさん/写真AC
それが、雑草のごとく(実際に雑草だと思ったらしい)片付けられてしまったのだ。
でも片付け上手はいいこともある。義母の遺品の整理は、正直とても(楽)だった。
余計なものはあまり無かった。すっきりと片付いていたのだ。
庭はもとより、手紙類、写真類、衣類、全てみんな近々のものしかなかった。
68歳で亡くなったので、(断捨離)をしていたわけでもなかっただろうに!だ。
今回の添削で、「ある程度省略も必要かと思います。」という先生の言葉は俳句だけでないのでは…と思った。
私はもう必要ないだろう…いろいろなものを後生大事と持っている。(手紙、はがき類などは20歳前後のものからある。)
持っているものを少しスッキリとしたら、俳句の方にもキレ(切れ)ができてくるのかもしれない。
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