日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

龍馬プロジェクト九州合宿

2012年03月12日 18時36分03秒 | 日記
体がなまり気味のいかわたいきです。

報告が遅れましたが、2月27~29日と龍馬プロジェクト九州合宿で宮崎と鹿児島に行ってきました。

27日は日田市議会の議会開会日だったので、発言通告書を提出後、すぐに車で宮崎市に向かいましたが…宮崎市まで高速で4時間超かかりました。恐るべし宮崎…

その後、仲間と合流したのはいいですが、着いたのが22時前だったので余り宮崎の仲間と意見交換ができなかったです。

次の日は車にて鹿児島に移動。



場所は知覧特攻平和念館。説明はいらないと思いますが、太平洋戦争時代沖縄に向けて特攻に行く場所でもありました。

中は撮影禁止でしたので画像はありませんが、悲痛な思いが駆け巡ります。


ここまでなら普通の観光ですが、僕達はここからが本題です。鳥濱トメさんをご存じですか?特攻隊基地で「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見てきた方で「特攻の母」と呼ばれています。

そのお孫さんにあたる鳥濱明久さんから本当の姿の特攻隊員のお話を聞きましたし、検閲を逃れトメさんに渡されていた手紙や実際の出撃地、三角兵舎の跡地を見せていただきました。




鳥濱明久さん


特攻に行かれた方達は10~20代です。皆が皆必ずしも「天皇陛下万歳」とか「お国のため」とかには特攻に行ってないんです。「皆が笑って死んでいった」という事もありません。





実際の三角兵舎跡地です。特攻が決まるとこの場所にて最後の一夜を過ごします。叫ぶ者、泣きわめく者、木刀を持ち木に何度も打ち付ける者、そして脱走した者、色々いるんです。

検閲を逃れた手紙には恋人や妻への想いの手紙もありました。誰もが死に怯え、泣き喚いていました。

そんな想いを抱えながらも彼らは、天皇やお国ではなく、自分の愛する人や家族、故郷を守るために出撃して行ったのです。

僕達より若い人達の犠牲と悲しみのおかげで平和になっている今の時代。彼らの想いを無駄にしないよう僕達が頑張る番なのではないでしょうか?


その後、場所を移し、リーダシップについて室舘勲氏からご教授。






人材育成についてはStart!おおいたでもお世話になった奥健一郎氏から。





とても内容が濃ゆい合宿1日目でした。


では、また。