日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

林英臣政経塾3月講義

2012年03月19日 20時10分30秒 | 日記
そろそろ議会も終わりに近づいています、いかわたいきです。


3月16日に林英臣政経塾受講のため大宰府に向かいました。その前に教育福祉委員会で保育の事に関して疑問に思う事がありましたので、明円寺保育園を訪ねました。





副園長さんとたくさんの意見交換をさせて頂きました、ありがとうございます!

そして大宰府へ。場所は太宰府天満宮敷地内の「紫藤館」で行われました。この場所では怖い思いをしたので後で話します・・・。



今回の講義内容は「文明800年周期論概説と東西文明の交代。」という800年を周期で世界の文明が大きな節目となっているという内容です。


その後の徹底討論。




ここで、怖い思いをしました。話の中でふと幽霊の話になり、メンバーの1人が物凄く霊感が強く、色々と話してくれました。
まず、この部屋(20畳位の部屋)には300名以上の方達が集まっている・・・。こういう神聖な場所という事と、僕達が楽しそうに話している事に霊が寄ってきている、この紫藤館には2階があるのですが、その人は2階は1階以上に霊が多くて俺は上がれないと。楽しそうにしているから2階からも覗いているよ。と付け加えてました。


確かに2階からきしむ音(何か歩く音)が頻繁にあったのは気のせいじゃなかったんですね・・・。しかも思い過ごしなら良いのですが、腰回りを引っ張られていた感覚がずっとあったんです。その人いわく悪い霊では無いから危害は加えないと話すも僕はビビりまくり。(29歳のオッサンが本気でトイレに行けませんでした(泣))

後は、その人は守護霊とも会話できるので僕も守護霊からアドバイスを頂きました。守護霊は決して1人ではなく、複数付いているらしく他のアドバイスを受けた人は5人ついているみたいで、亡くなった方ではなく、生霊として身近な方が守っている場合もある。

あと守護霊からのメッセージや警告は代表的なものは耳鳴り、携帯の突然の電波の不具合、最悪の警告は携帯の破損。電波という波にメッセージを載せると言っていたかな?

文字だけなので余り伝わらないかもしれませんが、マジで怖かったですし、ウソやないですよ!



最後に、メンバーから今年の町長選に立候補する方が現れました!絶対に応援に行きます!!





では、また。


教育福祉委員会

2012年03月15日 00時13分12秒 | 日記
勢いとやる気が空回りな、いかわたいきです。

新年度予算に対する委員会(僕は教育福祉委員会)の審査も二日目を迎え、膨大な量だった審議も終わりに向かっています。
この委員会でも自分自身でのたくさんの気づきと行政の取り組みとして「これ、いいな」って思えるモノもたくさんありました。いくつか紹介させて頂きます。


まず、最初に日田市での子供医療費助成です。




今までは、小学生までが入院が無料だったのが、中学生までが入院無料。通院も上限2000円までと一部負担になりました。この取り組みは玖珠、九重、豊後大野市、佐伯市に続き、5番目の取り組みです。3月議会で議決されれば6月から施行されます。4月から行ってほしいと思いますが、手続きの都合上どうしても6月からになるとの事です。



次に、日本一周健康づくりウォーキングです。




これは申請すれば無料で、万歩計、反射リストバンド、マップを貸出しし、1万歩で1マス塗りチェックポイントを通過毎にクオカード500円支給され、日本一周すると表彰されます。僕も申請して貸与されました。

この取り組みは健康年齢という自立した生活ができる年齢の事で若い人達には余り縁の無い言葉ですが、高齢者にとっては、介護を必要とない年齢(期間)となるので、これから超々高齢化社会になる中で、これをいかに伸ばすか?が必要になると思います。ちなみにこの健康年齢に関しましては僕も一般質問でも取り上げています。


最後ですが、これは気になっているというか小学校の統廃合に基づく学校の施設関係です。




見ての通り、統廃合における小中校一貫校設立や国の政策による耐震強度の改築等です。この2年以内にかなりの増改築や補強がおこりそうです。ちなみに財源は国から降りてくるのでそこまで圧迫されるというのはありませんが。


さてさて、明日で今委員会も一旦区切りが付きそうです。今回は新年度という事もあり内容も濃ゆい日々や一般質問を過ごしました。ただ1つ言える事とは一般質問も委員会も確実に3ヶ月前よりも成長していると実感できました。と、いってもまだまだ課題は多いですが(笑)


見た目ではわからなくても変わらないようで、少しずつ変わってきているんですね。


では、また。

龍馬プロジェクト九州合宿2日目

2012年03月13日 23時42分53秒 | 日記
自分のネクタイの好みがいつもワンパターンです…、いかわたいきです。

龍馬プロジェクト九州合宿2日目はやねだんと言われる、高齢者が4割以上の地区で、住民を挙げて芋栽培、焼酎を造り、利益をボーナスとして住民に還元、人が住まなくなった空き家に芸術家を誘致して住んでもらう等、補助金に頼らぬ地域再生に成功している町の視察です。

まずは、フェリーにて移動。




あいにく桜島は少し雲がかってました。

その後、車にて2時間ほど走らせやねだんに到着。














ちょうど、婦人グループの視察も同時期に行われていました。説明・案内をしていただいたのは豊重哲郎氏。ここでも街づくりのヒントとなるものをいくつも頂きました。

ざっくり言うと、豊重さんは「喜びと感動の共有」と話していました。最初の始まりは確かに一人だった。周りも冷ややかだったが、まずは自分が見せる姿勢をとり、手伝ってくれる人が現れそこから皆で全てを共有していった、と言っていました。

本当に大事な事はシンプルなんですね。

帰りの鹿児島~大分は車だったので本当にキツかったです(泣)


想いは心を、人を、街を変える、ですね。


では、また。

龍馬プロジェクト九州合宿

2012年03月12日 18時36分03秒 | 日記
体がなまり気味のいかわたいきです。

報告が遅れましたが、2月27~29日と龍馬プロジェクト九州合宿で宮崎と鹿児島に行ってきました。

27日は日田市議会の議会開会日だったので、発言通告書を提出後、すぐに車で宮崎市に向かいましたが…宮崎市まで高速で4時間超かかりました。恐るべし宮崎…

その後、仲間と合流したのはいいですが、着いたのが22時前だったので余り宮崎の仲間と意見交換ができなかったです。

次の日は車にて鹿児島に移動。



場所は知覧特攻平和念館。説明はいらないと思いますが、太平洋戦争時代沖縄に向けて特攻に行く場所でもありました。

中は撮影禁止でしたので画像はありませんが、悲痛な思いが駆け巡ります。


ここまでなら普通の観光ですが、僕達はここからが本題です。鳥濱トメさんをご存じですか?特攻隊基地で「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見てきた方で「特攻の母」と呼ばれています。

そのお孫さんにあたる鳥濱明久さんから本当の姿の特攻隊員のお話を聞きましたし、検閲を逃れトメさんに渡されていた手紙や実際の出撃地、三角兵舎の跡地を見せていただきました。




鳥濱明久さん


特攻に行かれた方達は10~20代です。皆が皆必ずしも「天皇陛下万歳」とか「お国のため」とかには特攻に行ってないんです。「皆が笑って死んでいった」という事もありません。





実際の三角兵舎跡地です。特攻が決まるとこの場所にて最後の一夜を過ごします。叫ぶ者、泣きわめく者、木刀を持ち木に何度も打ち付ける者、そして脱走した者、色々いるんです。

検閲を逃れた手紙には恋人や妻への想いの手紙もありました。誰もが死に怯え、泣き喚いていました。

そんな想いを抱えながらも彼らは、天皇やお国ではなく、自分の愛する人や家族、故郷を守るために出撃して行ったのです。

僕達より若い人達の犠牲と悲しみのおかげで平和になっている今の時代。彼らの想いを無駄にしないよう僕達が頑張る番なのではないでしょうか?


その後、場所を移し、リーダシップについて室舘勲氏からご教授。






人材育成についてはStart!おおいたでもお世話になった奥健一郎氏から。





とても内容が濃ゆい合宿1日目でした。


では、また。

2011.3.11から1年。

2012年03月11日 23時56分27秒 | 日記
あの日から1年が経ちました。3月11日の東日本大震災のため、ご家族、ご親戚、ご友人を亡くされた方々に哀悼の意を込め、心からお悔やみの言葉を述べさせていただきます。

本日は、スーパーに隣接の衣料品店前で東日本大震災被災支援募金活動を行わせて頂きました。








ボランティアとして協力して頂いた三隈高校の生徒達に感謝です、ありがとうございます!

ちょっと大きな量販店だったので老若男女問わずたくさんの方が募金をしてくれました。
しかし、僕が1つ思った事は子供を連れた家族もたびたび見たのですが、中には素通りする方もいます、別に募金は強制でもないのですが、家族連れ=子供がそれを見ているという事です。
そうなるとその子供の中で親、大人は募金しないんだというイメージが作られてしまうかもしれません。逆に親が募金している姿を見せていたら、その子の中で大人は当たり前に募金するというイメージが作られ自分達も当たり前にするかもしれません。
是非を問う訳でなく、どういった大人(親)ならカッコいいかなと思います。どうせなら僕はカッコいい大人になりたいですね。


僕は僕達ができる支援は?という事を考えていました。

ちょうど1年前の3月11日に皆様は何をしていたでしょうか?
僕はハッキリと覚えていますが、その日は選挙前で活動しており、前津江付近にビラ配りとポスティングをやって帰っている途中に、道端で出会った人にビラと一緒に自分の想いを伝えていました。その時に地震の話を聞きましたが、ただ地震しか聞いていなかったので特に気にもしませんでした。

そして家に帰り着き、テレビをつけた時に皆様が目の当たりにしている映像を見ました。絶句でした、不謹慎ですが、これは本当の映像なのか?と思っていました。リアルなのに受け入れきれない状態でした。

僕は支援には3つあると思います。「僕でもできる事」、「僕じゃなくてもできる事」、「僕じゃなければできない事」です。
僕でもできる事は、募金や物資を送る等ですし、僕じゃなくてもできる事はボランティア等でこれは土木に詳しい方等が相応しいと思います。(実際、僕も災害復旧ボランティアに一週間ほど行く予定でしたが、臨時議会が入り断念。)人手として足手まといになりたくないというのもあります。
そこで僕じゃなければできない事です。僕は政治家として訴える事、行政を巻き込み支援に結び付ける事です。前のブログでも書きましたが、インフラ整備や復旧は国レベルの力と時間が必要ですが、復旧が落ち着いた時、細く長く出来る日田市としての支援を僕は提言します。(詳しくは前の記事を見て下さい。)

これは僕なりに考えた支援という形ですが、皆様にも同じ日本人として被災者の方達に何かしてあげたいという気持ちは持っていると思いますし、くすぶっていると思います。でしたら何か少しでもいいので行動を起こしてみませんか?募金でもいい、ボランティアをするのもいいですし、ネットでのワンクリック募金や被災地情報の拡散、ただ心の中で祈るというのもあります。

要は形なんてどうでもいい、あなたが起こしたその行動こそが支援と僕は考えます。




では、また。